きよかのブログ

高等遊民を目指します。

セルフオリエンタル化のすヽめ(拝啓、サイード先生)

最近悲しくなるニュースをよく目にする。

できるだけそういったニュースを取り入れまい、面白い話やくだらない話しか取り入れまい、としている私の耳にでさえも届くのだから相当なのだろう。

一方で、盛んに議論が交わされていてほしい、とも思う。

と書くと事柄をまるっきり他人事として捉えているように聞こえてしまうが、私一人では限界があるので有識者の意見のリツイートやいいね、といったささやかなことでしか参加できない部分があるのも確かだ。

それでも「炎上」で言い表されるような激しいやりとりの応酬を、それこそ対岸の火事を見つめているような気持ちでただ佇んでいるわけでもない。

 

いずれにせよここでは特定の出来事やニュースに関して逐一コメントをするつもりもないし、私はそういった立場の人間ではないと思っている。

立場云々もさておき、ツイッターフェイスブックのように脊髄反射的なメディアではなく、せっかくブログという形を取っているのだから、一次情報を目にしたあと何周かして考えたことを書きたい。

すぐ自分の気持ちを言い表せるようが言い表せまいが、一度自分の中に取り込み咀嚼したあとの意見ならばそれなりの価値があると思っているからだ。

吐き出すのには勇気がいるし、時期も見計らわなければならない。(と思ってボツになっている記事がいくつもありますtbh

 

と、ここまで来てなんだかとても回りくどくて抽象的で申し訳ないのだが、従来の記事を読んでくださっている人であればなんとなく察していただけるように、私は「全ての人に読んでもらって理解・納得される」文章というのを書こうと思っても書ける人間ではない。

極論で言うと「そんな人/文章はいません」となりそうだが、私はその両者からも割と遠いところに位置付けられている方なのではないかと思う。

その特殊性(specificity)(「特別」ともまた違う)が普遍性(universality)と交わる部分もあるし、自分のなかでそれらの琴線が触れ合う距離感やタイミングを見つつ、社会との折り合いをつけていきたいと思っております。

ていうか全員がそうなればいいと思う。

specificity=universalityになったら、すごく楽なのに...

と、今回はなんとなくそんな文章です。

 

タイトルで察した方も多いかもしれないが、ここでは関連してエドワード・サイードオリエンタリズム』を参考に、最近のこの風潮と、私自身での日本国内外での体験について書き連ねたい。

イードのこの著作に関しては学部の時の卒業論文で取り上げたということもあって、一字一句記憶しているとはいかないまでも、図らずもその読書体験は「卒論を提出して大学を卒業するために読む」以上の意味合いを持つことになった。

 

笑ってしまうのだが、私は私がだんだんといわゆる"日本人"に見られなくなってきた、そしてそういった事象を自分なりに整理できるようになった、という体験がここ数年間の間に起こっている。

自ら選んでいるわけでもなく、それが良いか悪いかもわからない。

現在住んでいる国がオランダなのだが、オランダ人に見られるようになってきたかというと、そういうわけでは全くもってない。

 

私は周りの人に「日本人」として分類されなくなってきたか、実際分類できないほどのややこしい(?)存在になってきたといえるのかもしれない。

例えば、初めて会った日本から来た人に日本語で話しかけても「どこから来たんですか?どうしてそんなに日本語が上手なんですか?」と聞かれたりした。

立ち振る舞いや考え方は「ヨーロッパらしく」なってきているかもしれない。

「ヨーロッパらしさ」というのもなんだよ、と思うが。

日本のあらゆる平均に照らし合わせて考えると、体躯からいって身長は高い方、ガリガリではなく、あと日焼けもよくするのでハワイの人ですか、と聞かれたこともあった。

ハワイ、行ったことないです!

 

あとは英語だろうか。

私の英語は日本のアクセントが少ない方で、自分なりにもかなり努力はしているので日常生活・学校生活共に差し支えない。

しかしながら自分の内部から英語に自信を持てた経験が現在進行形であまりないので、お褒めの言葉()をいただいたときは「英語だけじゃなくて、一般的に発音を真似るのが上手いだけです」ということにしている。

その背後にある動機というのは、「British accentに憧れているから」などではなく(そんなアクセントできないし)、英語話者同士ならば日本語英語よりもわかってもらいやすいでしょう、という程度だ。

いや、クソ真面目な完璧主義者なので中学校英語の音読のCD通りの発音しか自分で発することを許さなかった説の方が正しいかもしれない。こわ...

 

そもそも自己紹介で「日本から来ました!!!!!!!!」とわざわざ自分から言う機会も減ってきた。

そのあとの日本に関する質問や感想に答えるのが億劫になってきたというのもある。

何よりも疲れるのが、そういった質問や感想を避けるために自分から予防線を張ってしまうクセがついたことだった。

「英語がうまい」も「背が高い」も、「日本人にしては」という接頭辞なしには成り立たないから、先に自分で付け足してしまうが、その度に「他の人と違うし、違うと思われたい」タイプだなと思われるのもなんだかな、と感じていた。

大方そういうことなのかもしれないが、またそれを他の人に「私はあなたのことわかっていますよ」的に指摘されるのもnone of your business感が半端ない。

違うに決まってるだろッ(みすゞ)

でもその違くなってしまったにしても経緯が色々あるわけで、そこから始めるとなると私にもわからないし、あなたも聞かないでしょう、という。

 

昨年、日本に一時帰国したときも違和感がとてつもなく、終始「久しぶりに帰ってきた」以上のおかしな高揚感に包まれていたことも思い出す。

友達曰く「写真を撮る目線が観光客」だったそうで、そうなるのものなのかもしれない。

視点が新鮮になったからでも鈍ったからでもなく、自分の内側に起因するものではなく周りの全てが「あなたの居場所はここじゃない感」を醸し出していた。

 


そういった周りと自分との折り合いも兼ねて、私は敢えて今自らを描写するならば、「海外在住日本人」でも「日本人留学生」でもなく、「オリエンタル女性」ということにしている。

どこに行っても多分これは変わらない。

常時移行・移動期間ともいえるかもしれない。

一時的に帰りたい場所はいくつかあるんですけどね、落ち着くところはなさそうなんです今のところ。


オリエンタルという単語に関しては、サイードの著作の中で取り上げられている西洋対東洋(オクシデント対オリエント)というのははあくまでケーススタディである。

あくまでポストコロニアル的背景において、前者が後者を一方的に想像し創造した、というだけであって、逆もまた然り(e.g. 先ほどの「ヨーロッパらしさ」など)。

でもより大きな問題点としては、後者がどう描かれようと、当事者たちの意見が反映されなかったこと。

自らを描写する術を持たず、あったとしても考慮されなかったということだ。

 

あれっ!でも待ってください。

私は、私の意思によって自らを「オリエント女性」と描写することに決めました!

だからOrient-と言ってもダブルミーニングなんです、「オリエンタリズムさせないオリエンタル女性」ということなんです。

もちろんこれは周りの人々の言動と環境に伴う自身の変化、と言えば「オリエンタリズムされた」結果なのかもしれないけれど、もうここらへんで自分から言うことにした。

先にやっちゃえばこっちのもんだ、とか言うわけでもなく、性質上こうなることを止められなかったようにも思う。

自然な流れでここに行き着きました。

なのでここいらで自分で言ってみる、そしてそこで内外に起こる変化をまた見てみる。

「異質さ」という意味では、どんな単位のコミュニティでさえ、日本にいたときでさえ、結果論ではあるにせよなんとなく感じていたことなので、もうそういうことなんでしょう。


でも私が言いたいのは、結局、誰にも自分一人で決められることじゃないし、書類一枚でわかるもんでもないし、ましてや他の人にとやかく言われることなんかじゃ絶対ないんですよね、自分がどこに属するかなんて。

私はあるコミュニティにひとたび踏み入れることができればすぐに次の場所を無意識に探しているし、それらなくなったときの予防線を張っているし、落ち着いていることが落ち着かないタイプです。

多分こういう人間はずっとこういう人間なので、これはこれで放っておいてほしいんですけど、ひとところに馴染んでいる人、そしてそういって築き上げた自分の場所を必死に守っている人も放っておくべきなんじゃないかなと思います。

誹謗中傷といった描写だけに留まらず、物騒な行動も目につきます。

私は、そういう人たちこそ自分の立ち位置がわかっていないからこそ、他の人を使っているように思えてならない。

他者のアイデンティティを壊そうとしているようで、心底は全く逆の、自分を中の何かを築きたいという気持ちでいっぱいなんじゃないか。

そうでなければ他の人の主張がすぐ自分の持つ何かの侵害には結びつく、そしてそれを守るために攻撃するという思考に至らないはずです。


こういう時にめちゃくちゃ便利なのが、セルフ・オリエンタル化です。(アジア出身じゃなくても使っておk)

これはもう「私のこと100わかってとも言わないから私にもあなたのこと100理解させようとしないで、ましてやわからないからって勝手に決めつけないでね、決めつけちゃうのも仕方ないけど私には言わないで〜」という、一種の諦めという名の寛容です。

「わかるわけないっしょ(^^)」という。

私も私のことわからないし、周りにどう見えているかもやっぱり言動だけでもわからない。

でもその引っかかる何かの答え合わせ(自分用)のために、目の前にいるパッと見わかりにくい人をわざわざ利用する必要があるのかということ。

自分自身のわからなさを他者に投影しないでね。

わからない恐怖症なのかな、とも思いますが、わからないことってそんな苦しくないですよ。

想像力と優しさで、少なくとも人間関係に関してはなんとかなる。

なんとかしたいならの話ですが....

でも勝手な想像をもとに創造しないでほしい。

結構傷つくしめんどくさいんですよ。

「あなたは○○だから」とか言われるの。


こっちに「アメージングオリエンタル」っていうスーパーマーケットがあるんですけど、もうそれでもいいな....

世界のみんなが当事者さえわからないことを他の人がとやかく言わなくようになるなんて、ミラクルでワンダフルでアメージングでしょ。

これで最初に戻るんですけど、個々のspecificityを万人が理解しているという普遍性(universality)が地球という惑星としてのゴールなんじゃね?

 

まあでも私は最近宇宙人っぽい模様の服や、四つ目になるフェイスフィルターが個人的ブームなので、もはや地球を後にする日も近いのかもしれません...なんちゃって。


うん、本当は今月他にもネタの候補があり下書きを書き連ねたりしていたのですが、厳正な選択の結果、一時間ほどで思い立ちババッと書けたトピックにすることしました。

公開日8月31日って設定できるけどもう九月始まってるし笑

はてなブログの設定変更チート術です。

 

でもこのトピックに関しては小さめながらも各記事で触れてきたことのようにも思えるので、一つの記事にできてよかったかも。

って、卒論書いたのがもう二年ほど前になるけど、まだ考えさせてもらってます、サイード先生。(タイトルに合わせて最後だけ無理やり手紙風にしちゃった)

どうでしょう。

 

オリエンタリズム』に関しては世界一平凡な名前なのにクラシックではあるけれど決して内容が平凡ではない本を出版することでお馴染みの平凡社様から上下巻文庫で出てますが、時間がない方はこれの要所をうまく引用している自分のトピックに合った論文から逆算して必要箇所をまず読んでみることをお勧めします。

日本語でも英語でもいっぱいあります。

でもサイードはやっぱり文体もかっこいいので、そういうのも愉しみたい、論文の締め切りなどに追われていない、時間的にも精神的にも余裕がある方はじっくり読んでもいいと思う。

 

f:id:heavyd:20190908184451p:plain

https://www.heibonsha.co.jp/book/b160202.html

f:id:heavyd:20190908184541p:plain

https://www.heibonsha.co.jp/book/b160203.html

オランダも夏の暑さとは打って変わって、掌を返すように寒くなり始めましたが、秋は良いですね。

エモいっていうんですか、秋関連の思い出は全部そういうことにして良いと思います。

それでは、また〜

先ヅボトルヨリ始メヨ:クラフトジン緊急特集、Brutalist Architectureなど

ジンに関しては「百聞は一見に如かず」ではなく、「目は口ほどに物を言う」という感性を大事にしませんか、というのが今回のブログのテーマです。

つまり「飲んでみないとわからない」とジンの可能性を飲む体験のみに求めるのではなく、「まず視覚情報で楽しんでみては」という。

本来の諺の解釈とは少し異なりますが、それはさておき、もうこんな前置きがもったいないくらい、ジンのボトルたちが素敵すぎるッ

イギリスではなくオランダがジンの本場ということが約半年前に発覚してからというもの、私のpinterestのフィードはジンボトルで溢れかえっており、iPad絞ったらジン出てくるんじゃないかな?と、私の脳内はホガース描くジン横丁(下)の登場人物たちよりジンのことでいっぱいなんですわ。

f:id:heavyd:20190720091200p:plain

https://bunshun.jp/articles/photo/4639?pn=1

もうね、今のジンの洗練っぷりを見せたらホガースまじで筆折ると思うよ。

絵のセンスはあるので、そのままジンのボトルデザイナーに転向するといいのでは?

これは風刺画なので、自身の風刺画を自虐ネタに使うというマイナス×マイナスなので、プラスになりますね。

計算的には大丈夫です。

(当時のロンドンの歴史的背景については画像下リンク先か中野京子センセイの『怖い絵』を是非!)

 

もったいぶらずに行きましょうか。

最初に出会ったのはコチラ。

www.instagram.com

まず、コンテクスト抜きにこれが部屋に置いてあったら中身がなんであれ、もう家具としてのポイントが高すぎるじゃないですか。

サイズ感も良い。

片手で持つには重すぎ、円周もはるかに大きい。

どっしりとした底面にやっぱりもう片方の手を添えたくなり、持っている人にも気品が出るんですよね。

これは飲みましたので味に関しても言及しますと、まず周りの空気の匂いを邪魔しない程度のフレッシュさ(対局にいるのがファブリーズ)が鼻から通ったかと思いきや、飲んでみてもハテ、「ジンとは」という根本的な問い、いや、それよりも「今までの私にとってのジンとは?」という内省的な問いが首をもたげてくる。

もう飲めるアロマディフューザーなんですよね。

ちなみにジンの大元であるジュニパーベリーというスパイスは実からのみのアロマが売っているので、お酒が飲めない人はこのアロマを焚いてプラシーボ効果で酔ったらいいと思う。

別に酔う目的じゃなくてもめちゃいい匂いだけど、でもこのジンのが良い匂い、とだけは伝えておきます。

どっちかっていうと揮発している感じの空気と水分の中間みたいな感じ。

f:id:heavyd:20190803040720p:plain

https://www.facebook.com/KeverGenever/photos/a.868204583273121/1800103970083173/?type=3&theater

えっこれは灯油?それともサクマドロップスですか???

おしゃれなインテリアと一緒に置いてあったら中身わかんないよ〜汗

ジンの家具化進んじゃってるよ〜汗泣

にしてもginという文字が見えませんケド?と揚げ足を取りたい方、甘いですね!

genever, genever, geneverと三回唱えるとjuniper...ジュニパー

言語力は語彙力ではなくて推測力ですよ!みなさん。

オランダ語のgの発音はエアうがい並みにむずいので興味のある方はgoogle先生に頼っていただくとして、そうなんです。

オランダのジンはこう呼ばれるのです。

ジンとの厳密な違いはあるんだろうけど、今はボトルデザインならぬ缶デザインに足を突っ込んでいるのでさておきます。

ほんっと給油タンクみたいでかわいい。

自分の肝臓の近くに給油口を作って、ホースで繋いで肝臓にも直接味わわせてあげたいですね。

前に誰かがタピオカを点滴とかなんとか言ってたので、私は異常者じゃないです。

そもそもこんなインスピレーションは缶デザインありきですから。

f:id:heavyd:20190720095042p:plain

https://scontent-ams4-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/47131762_446760285851565_5015761029875892224_n.jpg?_nc_cat=102&_nc_oc=AQl-WMIUQZ273E8QkKWkA1kdH3_WBlFXHaZTRQGpMAx_N4I3WjzCf4qHEh_b5PRgcBM&_nc_ht=scontent-ams4-1.xx&oh=63ba0619fc55000e19c5f35362192bda&oe=5DB052B7

これはね〜、アルバイト後に隣のバーで店長に奢ってもらったジンなんですよ。

なんでかジントニックの話になって頼んでみて、中ジョッキみたいなサイズで出てきてビビってたらマスターがコショウ挽きでジュニパーベリーを上からかけ始めて、そのときでしたね、ジュニパーベリーとジンが繋がったのはね。

ボトルの形は定番のかわいさなのに、中心から随分人相の悪い女性がこちらを見ていますね、と思って調べたらライデンの連続殺人鬼だそうで、笑ってしまいました。

どこまでも期待を裏切られると楽しいですね。

詳しくは上のFBリンクから公式サイトに飛ぶなどして見てください。

ブランディングとしては100点満点だと思います。

忘れられるかっつーの!

ジンはだいたい透明なものが多いのでね、ラベルの色が液体に映ったりしてそこも楽しいですよね。

酒界のみならず液体界で今最もポテンシャルを秘めている、ジン。

クラフトビールとクラフトジンは始まりも発展も、全く異なる道を歩んでいる印象を受けます。

www.instagram.com

一時期インスタグラム上の広告がジンで埋め尽くされていたことがあって、たまたまオランダでジンリリースラッシュだったのか、インスタグラムが私の脳内を知り尽くしているのか知りませんけど、そのときに流れてきたのがこちらのジン。

刃物のロゴでなんかまた人殺しそうなデザインで、でもなんかおしゃれに留まっててずるいですね。

鬼ころし」くらいダサくあってほしい。

で、ちょっと今大発見をしたので聞いてください。

以下画像がこのジンのウェブサイトの歴史コーナーなんですけど、右上のマーク、見覚えありませんか...?

f:id:heavyd:20190720101221p:plain

https://slagersgin.nl/#

そう、一番最初のV2Cジンだ〜〜〜!

www.instagram.com

オレンジバージョンもかわいいので大サービスで2回目の登場。

でも、よく見ると異なっている。

そう、上のはVOCなんですよ。

そのVOCと言うのが...あの悪名高きオランダ東インド会社(Verenigde Oost-Indische Compagnie)の略称なわけです。

でももうすっかりジン人(ジンびと)の私は、彼らが植民地からスパイスをヨーロッパに運ばなかったらジンもなかったのか...とか論理や倫理がゴッチャになってしまう。

こうすると、ヨーロッパでジン二大大国がオランダとイギリスというのも納得できますよね。

東インド会社、恐るべし...

まあ色々複雑なわけですが、V2CジンがそのVOCのロゴを明らかに意識しているというのもどうなんでしょう。

公式サイトでは名前の由来については以下のように説明していますが、ロゴデザインについては触れられていません。

At the turn of the millennium four young men became friends during their studies in Maastricht, The Netherlands. The place to be, there and then, was the famous Victor de Stuersstraat 2c. A place for good gin and great times.

Get it? V2C.

Our Story — V2C Dutch Dry Gin より

Get it?じゃね〜よ笑

ただのジンヲタたちの自己満足じゃね〜か!そういうの大好きだよ!!!!

www.instagram.com

こちらのジンもいきなりインスタグラムの広告で流れてきてビビったんですけど、フォロワーも多ければフィード全体の作り込みもしっかりしている。

でも私もこれが流れてきたときに、真っ先にジンが思い浮かぶのではなく、ボトルかわいいなから入っていることに気がつくわけです。

ジンの波は内容物であるジンを超えたところから押し寄せているわけです。

ボトルデザインの豊かさ以外の「ジンの懐の深さ」の要素として、「結構なんでも入れていいよ」というもうルールであってもはやルールではないルールがあるのですが(?)、こちらのジンが良い例かも。

バーボンとバニラの香りがするんだって。

もはやジンなのかは謎。

ジンであって、ジンでない...

identityのfluidさもたまんないですね。

ヒトも学ぶべき。

イチゴなんかのフルーツ入れちゃって、ワイングラスで提供するのも最近のGIN KAWAIIトレンドですので、カッコつけようと思って頼んでこうやって出てきちゃっても焦らずかわいく飲むこと〜

 

f:id:heavyd:20190720104216p:plain

https://www.drankgigant.nl/vl92-gin-100-cl.html

もうこれなんかは理科室×モダンアートの領域ですよね。

一休さん』で一休のボス(和尚?)が水飴を隠したくて「舐めたら死ぬよ」と嘘をついたのをまんまと一杯食わされる話がありましたけど、全てはボトルデザインの問題なのではないか。

水甕なんか魚から何までなんでも入れてオッケーなので、逆に怪しまれるわけなんです。

こういう「明らかにキケン」ぽい理科室の棚にある薬品か火炎瓶ぽいのに入れておけば何入ってるかの疑問も浮かばないんです。

堂々と嘘が付く勇気がない時点で、ボスの負けは確定している。

どうでしょう、私は一休に勝ちました。

ジンは、別に隠す必要ないと思いますけどね!

ちなみに公式サイトで良い画像がなかったので酒通販のを使ったんですけど、サイト名のdrankgigantってオランダすぎるやろ〜!

 

そんなこんなでオランダに限っても、この記事のみに限ってもginおよびgeneverの豊かさを少しはご紹介できたかなと。

...と言っておきながらね、私は去年どころか今年もオランダのGIN FESTIVALに参加しておらんのです...

これはもう、ワン・オブ・ザ・一生の恥。

言い訳をさせていただくと、各日程がめちゃくちゃ大学暦に反していて、試験期間に悉く被っていることから、学生の身分で参加するなと言われているようなものでした。え〜ん

ginfestival.nl

今泣く泣くFBの過去のイベントページで開催の様子を見ていますが、やはり何を差し置いても行っておくべきでした...ビアフェスティバルとやっぱり違うんですよね〜なんかおしゃれなんです。

ハイネケンが染み込んだ床で靴の裏ベチャベチャになってないんだろうな〜っていうのが伝わってくる。

それにしてもこの小さな国内でこの蒸留所(distillery)の数、見てくださいよ!

f:id:heavyd:20190720111137p:plain

https://scontent-ams4-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/52920214_305851556789628_709990821679595520_n.jpg?_nc_cat=104&_nc_oc=AQnciiidJx8SWsQFLLSsJL1OFKpDFtsrSfv-2dkHaMbU7jw9mC3fgHHqvkIiKZSOEDY&_nc_ht=scontent-ams4-1.xx&oh=625bfda8a92d4c842209de8da02111f6&oe=5DA3EBD1

画質が嫌がらせのように悪いのでもう全部確認するのは諦めたいですが、まあ数がすごいということだけはわかる。

 

あとですね、ginはmeme界でも結構良い線行ってると思うんです。

なぜかというと絶妙にダサいから。

gincidentやginfluencer、ginvitationなど、"in-"が接頭辞としてよく見るから造語を作るというならまだしも、「自分がこれでニヤリとした」と他の人に知られたくない感じ。

SNSでシェアするとしたら、敢えて自虐っぽくするために"aaaawwwww"(「アチャー」みたいな)とかキャプションを付けます。参考までに。

 

まずはgin festival 公式FBから。

f:id:heavyd:20190720105612p:plain

https://scontent-ams4-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/32247445_956153231226170_7249403766238085120_n.jpg?_nc_cat=100&_nc_oc=AQm3PGIDlj8z2WJQR9OpCn7UNRoGctZlvYEJTJeOAg5792ch4XByj31ipgY1zLK4Tj0&_nc_ht=scontent-ams4-1.xx&oh=79c8fbd273b149464fbdd335b39f8d49&oe=5DE77E46

wwwwwwwwwwwwwwwwww

f:id:heavyd:20190720105902p:plain

https://scontent-ams4-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/55869466_2216962095231258_5621317080348360704_n.jpg?_nc_cat=104&_nc_oc=AQmpKL810hYB3a2zPJtJtQg242EEjEEpAPNfyyGDoExUlBFP0wvQ4CzuVbjP9aEHSTU&_nc_ht=scontent-ams4-1.xx&oh=f151bd9970f323aee7217471a40462f0&oe=5DAEEBEF

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

f:id:heavyd:20190720110041p:plain

https://scontent-ams4-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/28872937_1971373293123474_3386470769595777024_n.jpg?_nc_cat=107&_nc_oc=AQkEQj4dRaHn9Y-bKh6Cme115cM_Zi3dtYlC0U9b2vVxHG48T9sYx6akwrLFe6I2yS4&_nc_ht=scontent-ams4-1.xx&oh=9a9651789750d25625bcc7b6c130eec0&oe=5DAF9610


wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

こういう、いわゆるおじさんが作っているインターネットの世界、好きですよ〜

 

9GAGにも遊びに行って検索かけてみました。

普段のmeme補充先はredditなのですが、はてなブログ上だとリンク貼れないんだよね.. 

f:id:heavyd:20190721155010p:plain

https://img-9gag-fun.9cache.com/photo/aqKqRzv_460swp.webp

↑戦時中の日本軍隊の「月月火火水木金」とかいうキチガイコンセプトと良い勝負

f:id:heavyd:20190721155158p:plain

https://img-9gag-fun.9cache.com/photo/amB4oov_460swp.webp

↑大御所はいつでも良い仕事しますね^^

f:id:heavyd:20190721155628p:plain

https://img-9gag-fun.9cache.com/photo/aKxMyxN_460swp.webp

↑same...."sex, drug, rock'n roll" に次ぐ三大人生必須要素じゃん。Superlikeです

f:id:heavyd:20190721155918p:plain

https://img-9gag-fun.9cache.com/photo/aWYzwq3_460swp.webp

↑これが一番好きかも

f:id:heavyd:20190721160106p:plain

https://img-9gag-fun.9cache.com/photo/aMZMGxR_460swp.webp

↑クラフトジンブームの前に世界のLUSHが日本を舞台にブチかましてた、と思いきや、普通に味だけ考えたらマウスウォッシュいけるやん!(?)

www.instagram.com

↑バーとカフェの前に立ってる黒板は渾身のアナログmemeたちだよね〜世界遺産

f:id:heavyd:20190721162938p:plain

https://www.amazon.co.uk/A1-PERSONALISED-GIFTS-OClock-Doormat/dp/B01J8BC356

↑これが一番有名かな?私が最初っからドアマットで検索かけたわけじゃないです。このフレーズで検索したら出てきちゃったの笑 ポチりそうになったけど。

f:id:heavyd:20190720105932p:plain

https://scontent-ams4-1.xx.fbcdn.net/v/t1.0-9/55467770_2214145272179607_4672016126954176512_n.jpg?_nc_cat=104&_nc_oc=AQktR6XyivFuBbPueRYYXChtoxQA4Ja4ZIUJ2isaZhRvtLne74x-FZehE5lngCceSpY&_nc_ht=scontent-ams4-1.xx&oh=f87c7c449b458c69bbdeb52f4ff765fa&oe=5DE968E0

最後はこちら。うーん、これはイイな...

ここでトニックの話をするのを忘れてしまっていことに気がつくので話しますよ、

ジンの魅力は王道カクテルのジントニックシンプルさ且つ複雑さにある。

ジンを作る上でのルールがダボダボなのは、ジントニックになったあとでも引きずるんですよ。

ジンのイメージとして、ジンそのものよりもジントニックが強い時点で、もうトニックへの依存を堂々と認めているところも潔い。

タマゴが先かニワトリが先か、ならぬ、ジンが先かトニックが先か

そこでトニックとの相性も問われるわけです。

ジントニックなんてそのまま、ジンとトニックでしょ?

という人は、「目に見えるものしか信じない」というカクテル界では御法度の想像力の欠如なので、回れ右か「同じ透明だから」という理由で運悪くジンより強いお酒でも間違えて飲んで回っててください〜くるくる

こういう人に限って「初めて飲んだカクテルはジントニックだった」とか言うんだわ。

どうせ名前でそれぐらいしか何入っているかわからなかったからでしょ〜かっこよくないからね〜

やっぱりロングアイランドアイスティーで冒険しなきゃ〜

ちなみに私は数年前は断然ラム派だったので、ショートならXYZ崇めてました。

今はジン人としてはギムレットいきたいッスね!

 

トニックウォーターに話戻さなきゃ。

トニックウォーターもかわいいよ〜〜

で、だいたいトニックウォーターじゃなくてミキサーと呼びます。

なにで割る〜?みたいな。

www.instagram.com

これもインスタグラムのリア充感に圧倒されますが、可愛さだけは伝えたい。

ジン+トニックでは脇役にされがちですが、そこからマイナスジンでも全然主役張れちゃう。(!?)

むしろ味ついているのでトニックウォーターだけ飲んでいればよくない

という謎の発想に至ります。

ジントニックを作るにせよ、トニックウォーターにこだわるのは当然のこと、というのがオランダ発ではないですが大御所のfever tree先輩。

If 3/4 of your drink is the mixer, mix it with the best.

https://fever-tree.com/en_US

まあ、確かにね、となるキャッチコピーとかわいいボトルのパイオニア

www.instagram.com

かわいいね〜、かわいいね〜え

しかもスクロールしていると、マラリアに効くって出てきてびっくりしました。

すごいじゃん、ジントニック

www.instagram.com

各お酒との相性表なんか作っちゃって、良い仕事すぎる...

こういうインフォグラフィックずっと見ていたい。

組み合わせが無限大なところもたまらんな。

 

トニックウォーターこそノンアルコールなので、どんどんパッケージや広告で勝負して未成年も巻き込んで、逆にボトルデザイン界を牽引していってほしいですね。

でもここでその仲介役となったジンの存在も忘れちゃならんと思うよ。

ジントニック因数分解とでもいうんでしょうか、元から固定されていたものが共通点で括られつつもカッコごとの内容でも勝負できるっていうか...

数学を高一で諦めた割には上手いこと言えてるじゃん。

多分、土曜日の朝四時だからですね! 

www.instagram.com

最後はノンアルコールのジントニックという、もうジントニックのプライドをズタズタにしているかと思いきや、ジントニックの持ち前の許容範囲の広さで寧ろもう新たなジントニックとなりつつあるものを紹介。

まあこれもかわいいから。

かわいいは正義

で、スペルがDutchess(オランダ関連?)かと思いきやDuchess(tなし/意味:公爵夫人)で、もう全然関係ありませんでした。ドヒャ〜

 

こんなおしゃれginstagrammer(オオッ)ばかり紹介しておきながら、当然毎日こんなものは飲めないわけで、私が何をするかというと、オリジナルカクテルを作りました。

これはですね、Dirkというアルコールがオランダの中でも更に安すぎるスーパーで一番安いgeneverを買い、1.5リットルの安いLipton sparkling iced teaで割るんです。

これが美味しい。

オランダ人の友人に「オランダ人(ジン)よりオランダ人(ジン)である」と言わしめた、もう日蘭通商航海条約再締結なるか!?並みの暴力的なカクテルです。

名前はDutch island iced teaです。

オランダは島国じゃないけど発案者の私は島国出身なのと、ロングアイランドアイスティーみたいに一見ジン入ってるの全然わからないトリッキーさを文字りました。

本当に量がわからなくて、ジン:アイスティーを一対一くらいで割ってたら、友達がトイレに行っている間に寝て、時間感覚としては五分くらいで起きたら次の日の朝になってました

気をつけてくださいね〜

 

あとさっき誰も突っ込んでなかったから言うけど、ジン愛好家の名前としてジン人(ジンびと)、読み方"ジンジン"じゃないよ〜★っていうの推し進めていきたいんですけど、自分で口にしておきながらウザさに戦慄したのでやめておこうかな...

日本でも着々とクラフトジンが盛り上がりつつあるみたいなので、是非帰国の折には飲んでみたいですね。

オランダ製と日本製のを比べっこしても楽しいだろうね。

 

それにしても、私は自分の興味範囲が年収一千万の40代独身貴族(男)だと思っていて、全然自分本体と合わないな汗といつも思っていたんですけど、こうして一通り可愛いボトルたちをみた後だと、「洒落た男性が渋いジントニックを片手に知識をひけらかし講釈を垂れつつ、(なんら知識を持たないとされている)同伴者の女性には可愛めのカクテルを渡す」みたいな構図が葬り去られつつあるの、良くないですか。

 

アタシ自分でかわいいジントニック頼みますよ(笑、っていう。

なんならボトルとかも家でかわいいの揃えてるよ〜

アロマも焚くよ〜

なんならあなたにかっこいいジントニックも誂えてあげますけどってね。

ていうかもうそろそろお酒にそういうセクシズム投影すんのやめなよ〜

そういうのが結局アルハラとかにつながるんじゃないの〜。

私も自分の好きなものに勝手に性別や年齢や年収を当てはめちゃってたけど、もう今はジンの方から私に寄り添ってきてる

引き寄せの法則じゃん!

離さないよ〜!

 

ということでですね今回はね、お酒のバーカウンター以外の可能性なんかも探求できたかな〜って感じね。

 

女性が牽引するとブランドが売れる、というのを親しいフェミニズム研究者から聞いており、登山女子、ヨガ女子など女子付け呼びは嫌いだったけど、きちんとした市場メカニズムならジンも乗らないわけには行かないんだろうね。さすが!

 

私は「かわいい」は他の言語に翻訳できないしすべきでないと思っているんだけど、この感性はある程度女性性をもつ人類みんなが普遍的に共有していると思います。

 

cuteやadorableといった、女性が女性的なものに口にしている時でさえやはり少し見下している感が拭えないのではなく、

「あ"〜」と見ていると笑みと涎が溢れてしまうものや、

繊細に作り込まれた強力でポジティブなエネルギーがひしひしと伝わってくるもの、

自分の信奉しているaestheticsを誰かが代わりに自分より上手く体現してくれているもの、

そういったものを私はかわいいと言う。

私はそれを信じるし、正義と呼ぶ。

 

え、なんか書いてて涙出てきたんだけど...

だから英語しか通じない友達にも、かわいいに当てはまるものはcuteとかに翻訳しませんし、目に入ったからには翻訳する暇もなく口をついて出てきてしまうというか...

もちろん、定義も人によって違うし。

私も自分の好きなものたちの共通点の一つとして私なりのかわいいがあるかな、くらいで、振り返ってみたらかわいいだけというのもあります。

大人になったね〜自分。

 

かわいい論になっちゃった。

 

以下こちらのかわいいジントニックはこんな感じ+ライデンのバー情報画像集、参考までに。

GABANジュニパーベリーゴリゴリ大事件、GOEIE MIEのとき。

@ Lemmy's Beer and Whiskycafé

https://goo.gl/maps/bN5HhUEbJRgH8thi6

マスターがグラスにこだわりがあり、Deliriumがon tapのときは象のタップから象足のグラスに注がれるので、入って左側の席に座ろう。ピンクの象より優先すべきものはないです。↓

 

これは...home distilled honey syropですね。嘘です。最強ののど飴とホットはちみつレモンです。

@自宅

 

ライデンのお気に入りのワインバーで敢えてのG&T。だって他の人が頼んでて可愛かったんだモン〜〜〜

@Restaurant Proeflokaal 1574

https://goo.gl/maps/Qda5UPZfWx7sKVRr6

 

気の利く友達が持ってきてくれた。溶けないカプセル氷とレモンを二重グラスに注いで...(ノンアルコール)

@自宅の窓際 めちゃ映えスポット

 

↑これは関係ないけど載せないわけにはいかない。自家製白サングリア。即興で朽ちかけフルーツを寄せ集めたけど、バナナが正解!レモン串は凍らせて氷代わり。泣いた〜

@友人宅キッチン

 

最近今更すぎますがサカナクション新宝島にはまっているので、意識して撮ってみました。全然関係ないな。笑

あ、Suchmosも好き〜幸増す〜

@Annie's (ドリンクは持参です、飲んでないけど写真だけ...)

https://goo.gl/maps/mpANb8kiJLfSx94B8

 

大御所のtanqueray gin(イギリス)とトニックウォーター(ドイツ)。味はさておき、ボトルデザインに限ってはオランダとスカンディナビアの圧勝ですね。最初ジンと氷が入った状態の大きなグラスが運ばれてきて、別瓶のトニックウォーターで自分好みの味に調整する感じ〜映え〜〜〜

@JUST MEET 

https://goo.gl/maps/AEbT7XjsT48TcMhb8

ステーキ屋なのにワインカードならぬジンカードありました。感動!!!

 

オランダにはテラス席と言っても三種類あんの。

①店舗に寄り添う形で歩道向き

②歩道を挟んで運河沿い

③運河に浮かぶ船の上

と来たもんだ!

アイディアの浮かびやすい場所として馬上・枕上・厠上とされてますが、オランダでの私は自転車上・運河上・日光下です。

日、照ってんの当たり前じゃないからね!

もちろんこの日は日曜且つ晴れだったのでドレスアップして③、デッキ部分が空いていたので幸運にも船版お誕生日席となりました。ここではジン×ミキサー+中身(キュウリ、ジュニパーベリー、フルーツなど)選べました...!

七月をともに乗り切った友人と乾杯しました。

@De Stadthouder

https://goo.gl/maps/PYstgTivrEpGUFP37

上からもパシャリ。

結構グラスのサイズも重さもあっていい感じ。

これからもこのグラスでよろしく!!!

 

 

クラフトジン参考記事:

nuwton.com

↑モンゴルナイフさん好きすぎる...

craftgin.jp

↑やはり日本では特に、ジンの”ボタニカル”さ=ナチュラル=健康(?)を推し出していますね。

www.instagram.com

↑クラフトジンフェス、東京でもあったんだ〜

www.ilovegin.com

↑だいたいのかわいいボトルはこちらから架空に仕入れて架空の自宅の架空の酒蔵に格納済みです。

www.instagram.com

↑この前行きたかったけど行けなかった都内の本屋さんがジンも取り揃えていたことが過去の投稿を遡ったら判明...

 

ブログの内容に「日常さがない」と感想を頂き、良いとか悪いとかじゃなくてそうなんだ〜と思っていたけど、文章のジャンル的に論文なのと、内容が本中心で確かに避けられないなと。

自分ではそれでも日常的に考えていることをまとめているので日常なのでは!?と思ったけど他の方のブログを読み始めてそういうことか、ってなりました。

今回は日常(=酒)でした。笑

過去二ヶ月が論文並みに気合い入れて書いちゃたので、今回は本なしで書こうと思ってそんなに長くならないかと思いきやなりましたね。

ていうか結局、あるトピックについて記事を書くとなると、それ関連の本、目につきますしね...ということでかわいいジン本たち。

 

↓Penguin Booksということで、表紙はかわいいけど中身は文字多めで、真面目な感じ。2018年末ということで、やはりこの手の出版社は伝統と流行をわきまえているというか、こういう仕事好きですよ!

f:id:heavyd:20190803033538p:plain

https://www.penguin.co.uk/books/111/1116889/gin--distilled/9781529102857.html

 ↓これもかわいい〜。ハードカバーでちっさくて、アートブック兼家具の領域なので、めくるだけでおっけー。60種類もあるんかってびっくりしちゃうけど、中身はジン全般に関するカクテルではなく、銘柄に合わせてカクテルを紹介しているのもあったので納得。シリーズもので、プロセッコ、テキーラ、ロゼ、ウィスキーなどもあります。タイトルは全部"○○ made me do it"で、「お酒を飲んだがゆえに犯した過ち」を想起させますが、そうじゃなくて「ジンが美味しすぎて何十種類もカクテル作っちゃったよ(作らせられる(使役のmake)くらい美味しいよ)」とのことなんでしょうね。

f:id:heavyd:20190803033833p:plain

https://www.harpercollins.co.uk/9780008280307/gin-made-me-do-it-60-beautifully-botanical-cocktails/

↓一番目に入るのがこれ、まあ表紙がかわいいからでしょうね。2016年出版で先駆けているにも関わらず、内容も充実しています。シンプルなインフォグラフィックで比率が書かれていて見やすいと思う。これもテキーラ、ラムありました。

f:id:heavyd:20190803034857p:plain

https://www.hardiegrant.com/uk/publishing/bookfinder/book/gin_-shake_-muddle_-stir-by-dan-jones/9781784880521

↓同一著者・出版社による進化版がこちら。より秘蔵感が増したというか、最初小さいサイズで出たものが増補版で出ると嬉しいですよね。まあ両方揃えたくなりますよね...という。

f:id:heavyd:20190803035657p:plain

https://www.hardiegrant.com/uk/publishing/bookfinder/book/big-book-of-gin-by-dan-jones/9781784881931

あとは〜最近は自伝系気になりますね。

私が紹介するまでもなく、Kemioさんの「ウチら棺桶まで永遠のランウェイ」、Rolandさんの「俺か、俺以外か。 ローランドという生き方。」読みたいですね。

お二方とも「自信」「自由」「唯一無二」と形容されていていながら全く違うというか、対談とかしたらどうなっちゃうんだろうというかんじ。

なんか、平成末期から令和にかけてこういう方々が人気だという理由で、なんとか日本は保っている気がする。

 

あとはー、以下最近購入した、インテリア兼中身充実アート系出版です。

敢えて枕元にこういったどでかいサイズ感の本を置くことで、 地震が起きて生き埋めになった場合、良い表紙に囲まれながら召されるからね。

f:id:heavyd:20190722155344p:plain

https://de.phaidon.com/store/architecture/atlas-of-brutalist-architecture-9780714875668/

旧ソ連領の共産主義建築や、コンクリート打ちっ放し、手塚治虫の近未来系作品の中のロボットや建物が好きな場合、何をキーワードに検索すれば良いのかわからなかった。

廃墟ブームなどもありましたが、廃墟は廃墟でも元の形は色々だよね...とか思ったりして、そんななかやっと見つかったのがBrutalist Architectureというジャンル!!!

有名で行ったことがあるのがブルガリアにある旧共産党ホールで(佐藤健寿『奇界遺産』より)、日本でが黒川紀章による中銀カプセルタワービルでしょうかね。

近年だとザハ・ハディドがうまく温故知新を体現していた先駆者だったとかなんとか。

亡くなられたのが惜しいです。

数年前にオペラシティのギャラリーでの展覧会、行ったっけ。

って今見たら2014年!?!?!?

やっば〜

f:id:heavyd:20190803043318p:plain

https://www.operacity.jp/ag/exh169/j/gallery.php#6

好き〜〜〜

 

ジャンルとしての名前はどうなんだろう、そのまんま、brutalに見えるかららしいけど、見えないですけどね私には

別にbrutalでもいいけど、これをbrutalとるするなら"The only thing can be brutal to me is brutal architecture."って言っていきたいかな〜(?????)

色が暗いから、ゴツゴツしているから、この世のものっぽくないから、というだけで「冷たい」としてしまうのは見る側の知識不足に起因する問題なのでは?

あえてbrutalと名付けることで、そしてそれになんとなく一瞬納得させてしまうことで、改めてbrutalの定義を考えさせる感じ、良いよね。

名付けた人はそこまで考えてないかもしれないけど。

もうそういうところも、全部含めて好きなの。

 

この本の先駆けというか、軽いジャブとして同出版社より廉価版で数年前に発売されているのがこちら。

de.phaidon.com

解説を読むとLe Corbusier, Mies van der Rohe, Frank Lloyd Wrightとか、日本でも大人気の建築家が名を連ねているので、旧ソ連建築(及びそれに対する信奉者)だけが当てはまるわけでもなさそう。

 

de.phaidon.com

この二冊を踏まえ、より概念を拡大させたのが2019年発売のこちら。またphaidon様より。まだ読んでないけど、"brutalist"の名前云々に関しても議論が交わされているんじゃないかな。

f:id:heavyd:20190803050009p:plain

https://www.pavilionbooks.com/book/how-to-love-brutalism/

と思ったら書いてありました、Béton-brut(打ちっ放しコンクリート)がbrutalistのみたいですね。

じゃあwiki間違ってるじゃん...やはりちゃんと本を読もう!

タイトルに関しては同意できないですけどね。

こういうものって元から万人受けを狙っていないでしょう。

だから「その魅力をわかってるオレ/アタシ」も含めてこういうものが好きになるジャンルであるのに、そこでそうじゃない人を教育しようとするのはウザすぎやしないか...

と言いつつ自分でもブログを書いたりしているわけですが、その時々好きなものを好きなだけ書いている自分のための備忘録のようなものですから、「何言ってんだコイツ」くらいの距離の取られ方が丁度良いと思ってます。

インターネットのおかげですよ、私のような人間が発言して誰かの目に触れられるというのは。

 

f:id:heavyd:20190803051015p:plain

https://www.taschen.com/pages/en/catalogue/architecture/all/49360/facts.contemporary_concrete_buildings.htm

コンクリートだけが好きだよ〜って人はTaschenのこちらを。

相変わらず低価格で手のひらサイズで良いまとめ方してらっしゃる。

中身見るとbrutalじゃないものも出てくるから、冷たさのなかの温かみや優しさ、という意味でのクールさやスマートさを感じたいならこちら。

f:id:heavyd:20190803051642p:plain

http://fuel-design.com/publishing/soviet-asia/

こちらは中央アジアに絞っておりますので、もうすごい奇想天外な造形で埋め尽くされております。

表紙の文字を読まなくたって、フォントだけで「あっ!旧ソ連だ」となるわけで、もうすごく嬉しくなりますよね。

冷たいとか温かいとかはないですよね、ここまでくると。

 

最後にもう二冊だけ、すみません。

f:id:heavyd:20190803052252p:plain

https://herwigphoto.com/soviet-bus-stops/

旧ソのバス停のみを集めた写真集で、私もなんでこの本を見つけてこんなに嬉しくなっちゃったのかわからない。

こういうニッチさが世界を楽しくさせていくんだと勇気付けられたのかも。

確かにmiddle of nowhereにこんな建築があったらバスは止まるんだろうけれども、そういう意味でのバス停であって、いわゆるバス停ではないだろ...という。

三万キロ旅したそうですこの写真家。

いいな〜いいな〜

 

うん、まあ話を戻すとbrutalist architectureに関しては、Netflixの"LOVE DEATH & ROBOT"が好きな人はわかりやすいかも。

www.instagram.com

たまらんな....

 

あとはダリと晩餐! もしました。

f:id:heavyd:20190722160622p:plain

https://www.taschen.com/pages/en/catalogue/art/all/04682/facts.dali_the_wines_of_gala.htm

f:id:heavyd:20190722161122p:plain

https://www.taschen.com/pages/en/catalogue/art/all/04639/facts.dali_les_diners_de_gala.htm

この2冊セットはず〜〜〜〜っと前から欲しくて、Taschenという素晴らしい出版社を知る前からでもずっと好きで、ダリ美術館も好きで、セールだったので買ってしまいました...ヨーロッパで本すぐ割引しちゃうのありがたいな...!

表紙が一番素晴らしいですが、中身も破茶滅茶で全くワインやレシピが主役でないのは如何なものか。

どういう流れでこの本を作る流れになったのか知りませんが、発案者もすごいし、アートブックにまとめ上げた編集者もすごいし、ダリが何をしてもダリ、もはや既存のものや定義がダリを通して変容されるの、素晴らしいですね...

本作りに関わるとしたら、こういうもの作りたいですね〜

本人たちが大真面目でも、いや、大真面目だからこそ斜め上に着地するんだろうな...という。

予想の裏切り方が、裏切られる予想の方も嬉しくなっちゃってる感じ。

 

 

来月は多分、乗り物について書くとかな!

バイクが目に付くんです。bicycleもmotorcycleも両方。

来月じゃなくてもいつか...

"Little Blue and Little Yellow" 2.0

こんにちは、もう六月ですね。

こちらもオランダなりに猛暑といいますか、日本の夏真っ盛りよりかははるかに過ごしやすいものの、30度を越える夏がやってきました。

日焼けサイコ〜!

あともう一つ、六月といえばPride Month🌈でした。

街中で虹色が目に入るようになって、今回のテーマは色にしようかなと思い色々読んでいたり、前に読んでいたものが色に関連しているものだったりと、まあタイムリーな結果になりました。

今のところセクシュアリティに関して言えば私はLGBTQ etc.には当てはまらないかな、と思っていたのですが、そもそもそういう「誰かが何かの枠に入る」という考え方を改めましょうよという、性別だけに留まらない問題なのではないかなと。

そうやってカテゴライズ、線引きをし続けてとどこかで誰かしらが仲間はずれになるわけで、そういうことじゃないだろ、という注意喚起なのですね。

まあこんなことは先賢の有難いお言葉二番煎じにしかすぎませんが、私にもやっとそこらへんが掴め始めてきたというのは個人的に自分の人間としての成長が嬉しいし、考えるきっかけを与えてくれた人々や環境に感謝するばかりでございます。

そういった意味でのオランダ生活の意義は大きいかも〜

うん。

でもね、多分本編はあまり関係ないかも。笑

それでも私なりに色々な意味での色について考えた記事なので、そこを楽しんでもらえると嬉しいぜ!!!

というわけで前置きはここら辺にして、目次ですよ皆さん。

堅苦しくて恐縮なのですが("恐縮"も堅苦しいな)、本論と補論①②に分かれる結果となりました。

本論だけでも完結しますが、補論①②は本論で取り上げる色以外の色についての参考文献の紹介といった形で考えてもらえるといいかと思います。

本論

『マチネの終わりに』平野啓一郎

かなりの話題作で、ずっと読みたかった平野啓一郎先生の作品。

といいつつも、注意力散漫な私にでさえも「読みたい」を持続させるこの本が持つ力って何だろうとずっと考えていて、表紙だな、と思いました。

驚くことにそれは読み始めてからも続くのです。

内容に対する感想は一言で言えば「時間の力を借りていない時代小説」でした。

もっと時間を置いて寝かせないと、客観化して見ることができない。

小説って少し自分を重ねたり介入させたいときもあるけど、結局「小説だから」で済ませられるじゃないですか。

作品内に出てくる出来事である震災、テロリズムPTSDなど、全てそれなりに私の経験の一部というのもあるのですが、うわ、今蒸し返さないでよって正直思いました。

やっと忘れ始めた頃だったのに〜ってね。

でもそこが著者の意図であるとも思います。

記憶の風化が起こりやすいのはまさに今このタイミングで、つまり人々が「忘れよう」と良くも悪くも前を向いている時期なのではないかと。

それでも読みたいと思ったし、読まなければいけないと思った。

そのためには専門用語や多少難しい言い回しを文中に散りばめるものの、それでさえも中心となるメッセージを伝えるための確固たる計算のもとで行なっている平野先生の小説家としての技巧が大きな部分を占めていると思います。

 

しかもそれらでさえ、あくまで男女の主人公の主軸の周りを回る、恋愛小説を形作る上での要素でしかない。

 

.....という複雑な全てのメッセージを伝えきっているのが表紙なんじゃないか。

白地に大胆な青と黄色で、一見おしゃれなモダンアートと言ってしまっても差し支えない。

f:id:heavyd:20190625191515p:plain

https://k-hirano.com/lp/matinee-no-owari-ni/

でもこれ、もうちょっと目を凝らして(ここからは芸術鑑賞の時間です)、この二色が重なりあっている部分を見て欲しい。

緑、あるじゃん!!!!

この緑の部分がこの小説そのものであると思いました。

黄色と青の、どちらでもいいけれど、何かしら対立する二つの異なる要素を表象しているとします。

主人公の男女二人、二人の恋愛とそれにまつわる事件、書き手と読み手などなど。

これらは明らかに違う色が表すように、それぞれやっぱり独立した二人の存在で、交わることがないと思ってしまうけれど、それでも触れ合う瞬間(まさに英語での「感動」の場合のtouchedって感じ)があるじゃ〜ん、っていうのがこの緑、場所によっては青緑や黄緑になっていたりする。

下の部分の、青が黄色よりも少し面積が大きくて、黄色がそれに乗っかっている感じも良い。

タイトルを表紙に入れなければいけなかったという現実的な問題もあったのでしょうが、表紙全体が色で占められているわけでないのも良い。

タイトル部分の白を残して堆積している感じといいますか、時間をかけて溜め込まれた何か同士が触れ合う瞬間、というかさ。(プレートテクトニクス)(?)

まあこの何か同士は、これを踏まえると30~40代という世代である主人公たち、という解釈が一番有力かもしれないですね。

あ、そこで緑は当事者二人を知っていて第三者の視点から描く、平野先生そのものかもしれない。

でも、何で黄色と青なんだろう?

Pride Monthに言いたくないけれど、男女を表す色と言えば青と赤じゃないの?

....というのはもうみんなの子どもの頃の友達(私にとってはリア友なう)のレオ・レオニおじちゃんが触れているわけなんだ、というのが次章です。

『あおくんときいろちゃん』レオ・レオニ

絵本がすぐ手に入らなくてYoutubeの読み聞かせの動画を見ていたのですが、すごい世の中だなと思いました。

本のオンライン上でのコンテンツ化について、色々考えさせられてしまう。

それはさておき、まずタイトルから。

これ、原作の英語版では"Little Blue and Little Yellow"なので、”くん”や"ちゃん"でそこはかとなく読み取れてしまう性別は与えられていません。

これはもったいないところ!

と、思いきや英語版でもlittle blueは後ほどheが使われていましたが、little yellowは文脈的に代名詞で表す必要がないので良くも悪くも放って置かれていました笑

うむ。

ハイライトとしては、「うれしくてうれしくて緑になってしまいました」という衝撃的な一文で表される通り、littile blueとlittle yellowが抱き合っているうちにお互いの境目がなくなり、緑色の新しい一個体が誕生してしまう、というところ。

...という状態をこういったややこしい専門用語を一切使わず表現できてしまうのがレオ二おじのすごいところ。

原文でセンスが爆裂しております。

Happily they hagged each other

and hugged each other

until they were green.

each otherの繰り返しによる詩的な印象はもちろん、becameではなくwereを使っているところもポイントが高い。

日本語で訳するといずれにせよ「なりました」ですが、なんだろう、これは後ほど二人が再び元の色に分裂してしまう後半部分から振り返って、移行期間しか表せない「緑色になった(=became)」よりも、完全な状態である「緑色であった(=were)」ということを強調したかったのではないか。

このモーメントが重要なんですね。

ひとときでも二人はお互いの境目を忘れて一つになった...というともう完全にアレですが、そういうことなんでしょう。

平野先生に言わせてみるとこんな感じ(拍手)

常と異なるというだけでなく、どこか本質的に自分を見失い、自らを相手にすっかり明け渡してしまう喜び 。

少し悲しいけれど、「緑になったまま二人は幸せに暮らしました」だと普通の絵本なんですよね。

そこを一度「お互いの両親が緑色だと認識できない」という至極真っ当且つ「色でしか自分の子どもを判断できない親」という壁を乗り越えるために、二人は一度元に戻るんですね。

そして緑へのなり方を親たちにも説明するという賢さを発揮するわけなんです。

この成就→喪失→学習という普遍的な神話エッセンスを最もシンプルで美しい手法で散りばめてしまうところ、まじでレオ二おじは永遠の子どもの味方です(合掌)。

f:id:heavyd:20190627165317p:plain

http://www.leolionni.jp/

"Little Blue and Little Yellow" 2.0 試論①

というわけで、私は『マチネの終わりに』は『あおくんときいろちゃん』のアップデートバージョン、つまり2.0として位置付けたいわけなんです、というと非常に強引ですが、この二作が共通で簡潔に「内容を表紙で伝えきっていること」というのは個人的には無視できませんでした。

(タイトルと見出しを英語版にしたのは先述した通り性別があからさまな日本語訳が気に食わないからです)

先ほど神話という言葉を使いましたが、やはり物語構造って何かしら全世界で普遍的なものがあると思っていて、それは近代以降生まれた小説などのフィクションでも少しずつ形を変えつつ同じ道を歩むと思うのです。

『マチネの終わりに』には冒頭にこんな一文があり、これが全てを伝えきっているといっても過言ではない。

人間には、虚構のお陰で書かずに済ませられる秘密がある一方で、虚構をまとわせることでしか書けない秘密もある。

虚構というと寂しすぎるのでフィクションと捉えたいところですが(敢えて「虚構」を使用している意味はもちろんあるはず)、この後者の「秘密」は「本質」と言い換えて捉えてもいいのでは。

神話世界でも非常に浮世離れしたことが起きまくりすが(=虚構)、でもそこには必ず隠れたメッセージがありますよね。

すごく回りくどいやり方けれども、やはりそういう形でしか伝わらない何かがある、というのは同じなんじゃないかな?

『色彩論』ゲーテ

はい、でもここで終わらないのがこのブログです。

むしろここから!

だって上記二つの作品の共通項である"成就"=「対照的でありながらも一緒になる」を説明するために黄色と青を使用した理由が明かされてないからね。

というわけでここで長期に亘る積ん読(沈黙)を破って放たれたのがゲーテ先輩による色彩論です。yey!

彼はまじで博覧強(狂)記で、違う分野同士の人と話していても「え、そっちでもゲーテいんの!?」ということがよくあります。

この色彩論も単体で有名だけれども、シリーズの一つとして位置付けられている感じかな。

f:id:heavyd:20190628045855p:plain

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480086198/

で、やっぱりあったんですよね〜黄色と青に関する記述がね!

こういう瞬間がたまらない。

この本もね、一字一句きちんと読むよりは辞書みたいにパラパラめくるのが楽しい。

当時としては学術書だったのかもしれませんが、文体はさすがのゲーテということもあって詩的表現に溢れているので、内容そのものよりも美文を眺めるだけでも良いと思います。

出てきたのは四編「内的関連の概観」の最初のほう、「色彩の決定性」というところ。

(本当にパラパラめくっていてたまたま記述を見つけただけなので、 それ以前にも触れてる部分があるかもしれません。あしからず。)

一般的に見て色彩は二つの方向に向かって自己決定を行なう。色彩が提示する対立関係を我々は分極性と名づけ、プラスとマイナスによってひじょうによく表示することができる。

 

プラス    マイナス

黄      青

作用     脱作用

光      陰影

明      暗

強      弱

暖      寒

近      遠

反発     牽引

酸との親和性 アルカリとの親和性

へえ、化学的専門用語はよくわかんないけど、光陰や寒暖がそれぞれの色によって示されそうなことはなんとなく納得がいきますね。

そしてすぐ次の部分。(下線筆者)

両側の混合

 

この特殊化された対立関係をそれら自身の中で混ぜ合わせても、両側の性質は互いに打ち消されることはない。しかし、これらの性質が平衡点にもたらされ、両者のいずれをも特に認識できないようにされると、この混合は目に対して再び特殊な性質を帯びる。すなわち、それは一つの単一のものとして現われ、そのさい、われわれは合成されたということをもはや考えない。この単一のものをわれわれは緑と呼ぶ。

キター!

回りくどい説明ではあるものの、割と緑も早く出てきてくれて私としてはスッキリ。

この記述は『あおくんときいろちゃん』とシンクロしますね。

対立し合うものが混ざりきって落ち着いている状態が緑なのか。

 

黄色、青、緑、それぞれの色についての言及もあります。

黄色は「光に最も近い色彩」で、「つねに明るいという本性をそなえ、明朗快活で優しく刺激する性質を有している」。...(ネガティブな印象も述べられています)

対して青。

「黄色がつねに何か光を伴っているように、青はつねに何か暗いものを伴っているということができる」。

お、以下の言い回しすごくかっこいいですね。(強調筆者)

この色彩は眼に対して不思議な、ほとんど言い表しがたい作用を及ぼす。青は色として一つのエネルギーである。しかしながら、この色彩はマイナス側にあり、その最高に純粋な状態においてはいわば刺激する無である。それは眺めたときに刺激と鎮静を与える矛盾したものである。

ここまで来ると哲学の域に入っちゃってるじゃん、という記述はこちら。

われわれから逃れていく快い対象を追いかけたくなるように、われわれは青いものを好んで見つめるが、それは青いものがわれわれに向かって追ってくるからではなく、むしろそれがわれわれを引きつけるからである。

日本語でいうと「吸い込まれそうな青」って感じかな?

そして緑。(下線筆者)

最初の最も単純な色彩とみなされる黄色と青をその最初の出現のさいにすぐ、その作用の第一段階において重ね合わせると、緑色と呼ばれる色彩が生ずる。

われわれの眼は緑色の中に現実的満足を見出す。二つの母色、黄と青が混合のさいにまったく均衡を保ち、どちらの色彩にも特に認められない場合、眼と心情がこの混合されたものの上で安らぐことは、単純なものの場合と変わらない。われわれはそれ以上を欲することもなく、またそうすることもできない。

ちょっとドイツ語と日本語の翻訳の都合上かもしれませんが、文がややこしい。

可もなく不可もない、均衡状態としての緑といった感じでしょうか。

ここでもやはり黄色と青が"親"(混ざる前の色)として出てきて、緑の個の色としてのこの二色に対する依存度が強いことが伺われます。

緑って自然のなかによく見られる色であったりと、落ち着くというイメージを持たれているし、真っ向から対立する青と黄の中間色として両者を落ち着かせるという意味でも役割と印象が合っているね。

黄色と青の対立も逆算的に生まれたものなのではないかと思います。

little blueとlittle yellowが緑の状態で泣いているうちに青と黄に分裂したように、安定している緑の状態を無理矢理解剖したら青と黄色が出てきた、そんな感じ。

...というわけで私はまた『マチネの終わりに』の表紙と内容の関連性について話を戻します。 

"Little Blue and Little Yellow" 2.0 試論②

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる 。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです 。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える 。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか ? 」

私はここで試論①における解釈(黄色と緑は登場人物二人の象徴)を、記憶や過去の観点から見直したいと思います。

以上のセリフは主人公たちのうちの一人によるもので、二人が合ったときに交わされる会話の一部であり、このトピックは一貫して物語の中で度々触れられることになります。

私はここで、現在の主人公それぞれの状態を緑と捉えたい。

過去の嬉しかったこと(黄色)や悲しかったこと(青)が混ざっていてできあがった自分がある今、黄色と青のどちらに近い緑になりたい(未来)ですか?

というのが作者が伝えたかったことなのではないか。

もう色が混ざっていて判別がつかないものもあるけど、大体の人は緑として体裁を保ち、今現在を生きている。

もちろんたまに貯まった青が強く顔を出すこともある。

それか新しい青が新たに追加されるということもあり、せっかく今まで持っていた黄色でさえも薄めてしまうかもしれない。

でも私たちは黄色を自分の内外に見いだすことによって緑に戻れるんですよ。

それでも緑がなぜ緑なのか、何から成り立っているのかはいつも忘れない方がいいかもね。

だから視点の問題なんですよね。

この物語の結末は、主人公が様々な出来事を経て、お互いに緑になったからこそ訪れるものであると感じました。

この意見に対し、「過去は変えられない」とするのが村上春樹先生。イヨッ!

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年村上春樹

これは『マチネの終わりに』や『あおくんときいろちゃん』と異なり、神話の仕組みが開示されている小説なので読みやすいっちゃ読みやすい、読みにくいっちゃ読みにくい。

好みが分かれるところです。

海辺のカフカ』も古い神話を説明している新しい神話みたいなところがあって、私は好きでした。前知識がなくても勉強になる。

 

それにしても「色がない」というのは、どういうことなのか。

仲良し5人グループで、多崎つくる以外は全員名字に色がついている。

アカ(男)、アオ(男)、シロ(女)、クロ(女)。

...五人はそれぞれに「自分は今、正しい場所にいて、正しい仲間と結びついている」と感じた。自分はほかの四人を必要とし、同時にほかの四人に必要とされているーーそういう調和の感覚があった。それはたまたま齎された幸運な化学的融合に似ていた。同じ材料を揃え、どれだけ周到に準備をしても、二度と同じ結果が生まれることはおそらくあるまい。

...とはいいつつも、色の設定の時点でとりあえず反対色である同性キャラクター同士の対立は避けられないわけなんですね。

だから色をもたない、いやもたないからこそ色を自分で「つくる」ことができる彼の存在が必須だった。

アカとアオの間では紫になれるだろうし、シロとクロの間ではグレーになれる。

他の組み合わせが起こってもまた然り。

だから「ない」ことを少なくとも周りには求められていた。

...おまえがそこにいるだけで、俺たちはうまく自然に俺たちでいられるようなところがあったんだ。おまえは多くをしゃべらなかったが、地面にきちんと両足をつけて生きていたし、それがグループに静かな安定感みたいなものを与えていた。船の碇のように。

補っていたというより、溶媒に近いかもしれませんね。

でもこの役目は色を持つ人々がつくるに対して抱いていた想像であり、彼自身のなかでは色をもたないことにコンプレックスを抱いていた。

しかも五人が完璧すぎて、色で運命的につながったとも言える仲間以外とのつながりをもたなかったこともあり、他の人々がつくる人間関係と相対化できなかった。

この運命や完全体という神話もまた崩れ去るわけなんですが、その理由が後から種明かしされていきますね。

大筋としては主人公が「失った過去を取り戻す」物語なのですが、その行動の引き金となるのが以下の部分。(下線筆者)

「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それがもたらした歴史を消すことはできない」。沙羅は彼の目をまっすぐ見て言った。「それだけは覚えておいた方がいいわ。歴史は消すことも、作りかえることもできないの。それはあなたという存在を殺すのと同じだから」

「どうしてこんな話になってしまったんだろう?」、つくるは半ば自分自身に向けてそう言った。むしろ明るい声で。「この話はこれまで誰にもしたことはなかったし、話すつもりもなかったんだけど」

沙羅は淡く微笑んだ。「誰かにその話をしちゃうことが必要だったからじゃないかしら。自分で思っている以上に」 

わ〜〜〜深〜〜〜い...

もう、「なんで話しちゃったんだろう」という、こぼれ落ちてしまった瞬間というか、これ臨床心理学だったら一番良いセッションなのではないか。

でもこの「辛い過去をつい話してしまった」だけで戸惑うつくるを、沙羅(つくるのデート相手)は「追求せよ」と促すのです。

これはとても辛いし、危険な作業です。

つくるからしてみれば、事件以来ずっと自分は青の状態のままで黄色が入ってくる余地なんてあると思えない。

でも沙羅は彼女自身の存在(助け)があるからこそ、青を掘り下げていくつくるにも黄色が見いだせると信じたし、それが他でもない二人の関係における彼女の役割だと確信したのではないか。

これを「辛い過去をもつつくるくん」を「助けてあげなきゃ」と上から目線ではないのも、彼女の使う言葉の節々に表れています。

「義務とか権利とか、できればそういう言葉を出さないでほしい。なんだか憲法改正論議をしているみたいだから」

 クール。

こういう大人になりたいな。

 

表紙行きましょう、表紙!

お、ハードカバーと文庫、二パターンある。

村上春樹の作品こそ、国内外でも色々な形で出版されているので、表紙を見比べるのが非常に楽しい。

f:id:heavyd:20190627173041p:plain

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163821108

f:id:heavyd:20190627172953p:plain

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167905033

いいですね、二バージョンで使用している絵こそ異なるものの、同じアーティストです。

Morris Louis(モーリス・ルイス)という方。

f:id:heavyd:20190627222343p:plain

https://www.metmuseum.org/toah/works-of-art/67.232/

この絵が一番有名じゃないかな?

まあ言わずもがな、私の大好物のジャンルでございます〜ありがとうございます。 

帯の言葉は両方とも、小説内に出てくるなかで印象に残った言葉ではありませんでした。私にとっては。

にしても、春樹作品に出てくる「導く系女子」とでも言いますか、そういう子イイですね。

主人公の「ぼく」を翻弄する存在に見えながらも、小説として彼女たちがいなければ成り立たないんですよね。

ここではつくるを含む五人グループをパレットの上に乗せ、色使いを決めるのが沙羅なんですね。 

"Little Blue and Little Yellow" 2.0 試論③ (結論?)

さて、過去は変えられるんでしょうか、どうなんでしょうかね。

『マチネの終わりに』と『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は書いてある言葉たちこそ対立しそうなものの、メタメッセージは似ているのではないかと思いました。

過去のために過去は変えられないけれど、未来のために過去は変えることができるし変えても良い、という。

起こった事実そのものは変わらないけれど、これからどうなりたいかで事実の読み取りかたを変えても良い。

我ながら太字のとこ、良い言い回しができて満足〜

色のイメージ同様、自分の過去における青と黄色の普遍性は変えられないと思います。

当時自分が認識したものを、反対色に変えるなんて黒魔術もびっくりの技術です。

難しい。

でも私たちはそれでも緑でなんとかやってるじゃないか。

人工的にせよ、青ばっかりだったかもしれないところを黄色で中和させようとしてきたじゃないか。

そうすると優しい緑色になっていくわけで、でもそれには結構日々のメンテナンスが必要で...

...というのがこの小説たちの伝えたかったことであるし、『マチネの終わりに』の場合は表紙がそれにも出てるんじゃないの、というお話でした。

個人的には「過去に戻る」うえで、全くその過去に関係していない人(木元沙羅)に結果的に頼ることに多崎つくるの方が、『マチネの終わりに』の自分たちで頑張りすぎな主人公の二人より、共感できました。

人の力、借りて良いんだよ〜〜〜!

行ったり来たり、お疲れ様でした。

論文と違って字数制限がないので、「本来の結論とは直接関係ないかもしれないけど思考プロセスとして経たという事実は大事」な部分が書けるの、良いっすねブログ。 

補論①「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」ガイ・ドイッチャー/"Through the Language Glass: Why the World Looks Different in Other Languages" Guy Deutscher

この本、前も多分紹介したんですけどやはりあまりにも素晴らしいのでもう一度登場させていただきます。

素晴らしすぎる本というのは一文一文が素晴らしいので、目で単語を追ったあと頭で整理するのに時間がかかるんです。

面白くて一気に読めてしまうんだけど、内容が頭に入ってなかったかも。

噛まずに飲み込んでしまう感じというのもたまらないのですが。

f:id:heavyd:20190628221337p:plain

http://www.intershift.jp/w_gengo.html

f:id:heavyd:20190628221658p:plain

https://www.penguin.co.uk/books/1090315/through-the-language-glass/9780099505570.html

日本語・英語ともに表紙とタイトルがもったいない感は否めないです。

それでも大絶賛が飛び交う本であるし、日本語訳も素晴らしいのでぜひ。

私は90歳を超えてもなお現役の言語オタクの祖父のプレゼントしました。

もう二年ほど前のことです。

色という一見世界共通(なはず)の概念に対し、ある言語使用者はそれを表現する術を持つ一方、そうではない言語を話す人もいる。

それに対して科学界は長年にわたり熾烈な論争を繰り広げてきたわけなんですが、以下筆者が出した結論がこちら。

そんなわけで、過去数十年にわたって集められたデータは論争の両陣営ーー貪欲な自然主義者と文化主義者ーーのどちらも完全には満足させられなかった。しかしむしろ、両陣営とも楽しく仕事に勤しんでいるというのが実情かもしれない。色の概念が主として文化に決定されるのか、主として自然に決定されるのかを心ゆくまで論争し続けられるからである(互いに意見が一致していては、学者商売は成りたたない)。しかし、どちらかになるべく偏ることなく証拠を見直せば、それぞれが真実の一部分を我がものとして主張しあっていることに気がつくはずであるーー文化と自然の双方に、色の概念を我がものと主張する正当な権利があると同時に、どちらの側も完全な支配権を握ってはいない。 

作品内でももちろんきちんと説明されていますが、自然主義者は先天的なもの(身体構造や人種)、文化主義者は後天的なもの(環境)と言い換えたほうがわかりやすいかもしれません。

筆者は言語学者であり、ケーススタディとしてこの本の執筆にあたり色を選んだというだけで、他の部分にもきちんと目が向けられています。

 

数世紀前から辿る研究史(=論争史)を辿るのが興味深いのはもちろんですが、やはりこれらを俯瞰したからこそ持てる筆者の中立的な立場というのがとてもかっこいい。

青と黄色に話を戻せば、筆者はミリグラム単位で丁寧に対立するそれぞれの絵の具を測って混ぜ続けた結果、緑になったというわけなんですね。

そこでできた案牌や「どっちだっていいじゃん」という諦めからくるものではなく、良い塩梅が今たまたま生まれているだけだよってことなんだろうな。(アンパイとアンバイかけました、はい)

それは「特定の色を示す言葉が無いから」というだけである特定の人々を野蛮とみなしてしまうことでさえも”科学”とされていた時代よりかは進歩ありきの安定ですが、そこに胡座をかくのではなく、この姿勢をいつでも忘れないようにってね!

認知能力に関するかぎり、人類は基本的に平等だというのを認めたことは、二〇世紀が戴く王冠を飾る宝石の一つである。したがって現在では、民族・種族間の心的特徴の差異を説明するのに、まず遺伝子に目を向けるということはしなくなった。二一世紀の私たちは、文化的慣習によって、とりわけ異なる言語を話すことによって身についた思考方式の違いを正しく認識しはじめている。

この部分なんて、みそから出た涙が目を伝って頬に零れますよね。

本当にこういう仕事っぷり好き...

しかも最後の最後までのこの謙虚さ。

戦闘で並外れた武勲が立てられたと聞くときには、通常、戦況が思うように進んでいない兆候だと思ってまちがいない。戦争が計画通りに展開し、自軍が勝っているならば、個人の並外れた英雄的行為はまず必要ないからだ。武勲が必要なのは概して負けている側である。

本書で紹介した実験のいくつかはきわめて独創的かつ斬新なので、人間の脳という要素を攻略しようとする科学の戦いが、大勝利をあげた兆候ではないかと勘違いしたくなる。しかし実際には、これらの実験に見られた独創的な推論は、大いなる強さではなく弱さの象徴である。これほどの独創性が必要とされるのは、脳の働く仕組みがよくわかっていないからこそなのだ。 

しかし汝後世の読者たちよ、われらがわれらに先立ちし者の無知を許したがごとく、我が無知を許したまえ。遺伝の謎は私たちの眼前で明るみに出たが、私たちがその大いなる光を見ることができたのは、先立つ人々が倦むことなく闇を探しつづけたからにほかならない。だから後にくる者たちよ、苦もなく達した高みから私たちを見下ろすことがあるとしたら、私たちの努力という踏み台があったからこそ、そこへ上れたのだということを忘れないでほしい。闇を手探りし続けるのは報われない仕事であり、理解の光が射すまで休んでいようという誘惑に抗するのは難しいからだ。しかし、もし私たちがこの誘惑に負けたなら、あなたがたの世は永遠にないだろう。

補論② 厳選!色彩系ステキ本(アート・歴史・ファッション)

とくにパイ・インターナショナルの本は家に置いておくだけで教養と風水がアガるのでおすすめ!!!

『色で読み解く名画の歴史』城一夫

f:id:heavyd:20190701000818p:plain

https://pie.co.jp/book/i/4314/

ピカソの青の時代/赤の時代やフェルメールブルー、表紙のクリムトなら金など、結構使用する色によって作家のカラーが出ますよね〜という話。

もちろんそれは入手可能性(availavblity)と関連した、status symbolであったりもしたりしなかったり。

『配色の教科書 歴史上の学者・アーティストに学ぶ「美しい配色」のしくみ』城一夫

f:id:heavyd:20190701002344p:plain

https://pie.co.jp/book/i/5063/

アーティストだけでなく、カラーセオリーを提唱した学者たちも含まれているので、もっとアカデミックに色彩全体のあれこれが俯瞰できます。

ゲーテも出てくるよ!

"The anatomy of colour : the story of heritage paints and pigments" Patrick Baty

f:id:heavyd:20190701003025p:plain

https://thamesandhudson.com/the-anatomy-of-colour-9780500519332

 

中身はしっかり学術書ですが、分厚さと良い大胆な厚みと引用画像の使い方といい、観賞用にも最適な作り。

美術作品というより、内装(インテリア)における色の使い方の歴史がメインなので実用的・現実的な色の使い方が学べて面白い。

"Pantone: The 20th Century in Color" Leatrice Eiseman&Keith Recker /『20世紀の配色 アート・ファッション・インテリアの流行が彩る』

f:id:heavyd:20190701003502p:plain

https://www.pantone.com/products/color-books/pantone-20th-century-color

f:id:heavyd:20190701003656p:plain

https://pie.co.jp/book/i/4139/

色彩見本帳の大御所、PANTONE(パントーン)の本をパイ・インターナショナルが日本語版に、という奇跡のコラボ。

20世紀に焦点を当てているだけあって、敷居の高い"アート"の他にも広告などの大衆芸術(立派なアート)も取り上げられていて、そこの比較が面白いかも!

PANTONEといえば、まさかの公式グッズがめちゃくちゃかわいいので要チェック!

特にポストカードセット、色ヲタの人が周りにいたらぜひプレゼントして一緒に遊ぶと良いです。

”良い色が全て自分の手元にある”ことでしか満たせない征服欲があります。

f:id:heavyd:20190701010148p:plain

https://www.pantone.com/products/pantone-lifestyle/pantone-postcards

f:id:heavyd:20190701010347p:plain

https://www.pantone.com/products/pantone-lifestyle/pantone-mug

f:id:heavyd:20190701010758p:plain

https://www.pantone.com/products/pantone-lifestyle/pantone-notebook-set


"Color Collective's Palette Perfect: Color Combinations Inspired by Fashion, Art and Style" Lauren Wager /『配色スタイル ハンドブック 思い通りの空気感を演出するカラーパレット900』

www.instagram.com

f:id:heavyd:20190701004127p:plain

http://www.bnn.co.jp/books/9042/

Color Collective というオンラインデータベースから生まれた本なので、ぶっちゃけ本を買わずともウェブサイトや著者のインスタグラムを眺めるだけでもおk。

こちらはファッションについて。

黒ばっかり着ていたんですけど、似合う色とか本格的に学んでみたいな〜

最近はオレンジとカーキがマイブーム。

おわりに

最近本編に力を入れすぎていて、身辺話まで持たないんですね〜

今そろそろ書き終わるのも日曜日の18時なので、もう家帰って簡単なご飯作ってNETFLIXエヴァンゲリヲンを見たいので、今回も力入れません。

久しぶりにMADMAXも良いし、BeyoceのHOMECOMINGも応援上映しなきゃ。

最近嬉しいのは、SNS越しでも私のブログなりアップするコンテンツを楽しんでいる人が増えてきたということで、私の最終目標且つ最終形態である「好きなコンテンツと自分の境目が無い」生命体へ着々と近づきつつありますね!

その意味でコンテンツの意味は大きいですね、私がいなくなっても私のエッセンスがあるコンテンツは残るからね。

応援してくださる方、ありがとうございますほんとに!

私が楽しんでいることを楽しんでくれる人の存在、まじありがてぇよ。

来たる七月が素晴らしい2019年上半期の幕開けとなりますように。

それでは、また!