きよかのブログ

高等遊民を目指します。

女子大生おすすめ!Dutch brand 特集

すっかり真夏日が続いております。
長く寒い冬は鬱屈としていて辛いですが、打って変わって快晴が続き22時まで日が沈まないとなると、それはそれでどうすればいいのかわからない。
 
もう二年目なので流石に慣れたいところですが、友達とよく言い合うのが、
晴れでも雨でも、"This is not the weather to study." というかんじ。
晴れている日は昼からテラス席でビールを飲みたいし、
雨風が吹き荒れている中では自転車を学部まで走らせたくない...
 
まあ、晴れている日はアムステルダムでも散歩しましょう。
アムステルダムのだいたい全部徒歩圏内な放射線状の都市設計は良いですよね。
方向音痴且つ運河の景色が続くと結構道に迷うんですが、そんなこんなで私が歩いて見つけたオランダのお気に入りを紹介したいと思います。
お土産探しにも助かるんじゃないでしょうか。
ミッフィーばっかりっていうわけにもいかないし、ストロープワッフルとチーズは重くてかさばる。
キューケンホフに行くことはできてもチューリップは持って帰れないし。
 
ちなみに私の好きなブランドはユニクロ無印良品ニューバランスで、化粧は普段しないですが、匂いモノが好きです。
でももうロクシタンのハンドクリームはいらないかな...
オランダにニトリと百均があればいいのにな、と思います。
24歳の大学院生(女)です。
そういう人が紹介していると思ってもらえると幸いです。参考までに。
タイトル完全に釣ってますよね。すみません。てへ!
 
お土産に限ってもオランダって本当に微妙な位置にいるんですよね。
 
個人的な印象ですが、
お茶はイギリス (Fortnum & Mason)
チョコはベルギー(GODIVA
スキンケアはドイツ(Kneipp)
雑貨はスウェーデン(FLYING TIGER)みたいな?
 
でもだいたい全部日本にもある。
 
そんなわけで超ランダムですが、まだ多分日本に上陸していない一挙紹介します。
敢えてジャンルを書いてないので、名前から感覚的にクリックしてみてください。(目次機能気に入った)
 
  • Love Stories
ラクかわ、良い言葉です。
なのでワイヤーは、いらないです。
かわいいと言っても、kawaiiがほしいわけじゃない。
万人から愛されるアイドル的存在ではなく、ツウにこそ愛される。
「あ"〜いい」と見ていてため息が出るけれども、機能性あってこそ。
そういうことなんです。
そういうことなんですよ!!!!!
私が今言ったことはオンラインカタログをブラウズするなり、お店に実際足を運ぶなりすれば分かります。
でもなんとしてでも一度身にまとってみるという経験をすべき。
時代はブラじゃなくて、ブラレットなんだなぁ〜
日本のウンナナクールの上位互換という感覚です。
実は日本にいたときからインスタ伝いで知っていたのだけれど、アムステルダムのおしゃれストリート (De 9 Straatjes) で運命的に本店を見つけときは高まりました。
 
  • Fabienne Chapot 

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ツモリチサトがブランド事業を終了してしまうというニュースは、一着も持っていない私にも大打撃でした。(?)

単にファンだから(見る専だけど)なだけでなく、これを機に日本のファッション界は「大人になってからファッションで楽しめるイタさ」みたいなのを失っていくんじゃないかな〜と思ったから。

例えば私の祖母はもう90歳をゆうに超えているのですが、「敢えて白髪を染めなくなったことで明るめの花柄が似合うようになった」などベンジャミン・バトンもびっくりの現役っぷりで、黒ばかり着がちな私が辟易してしまうほどです。

こちらの女性はどんな年齢でも「旬」や「期限」という言葉を自らに当てはめません。
いくつになってもいろんな色を着るし、短くても長くてもいい。
そんな気質をよく表しているのがこのブランドで、多分ターゲットはお値段的に30~40代なのですが、この色使いやデザインでそれが成り立っている。
そして20代の私がそれに憧れるという。
「イタい」って使っておきながら、すごく悪意のある言葉だと思っています。
「自分はできるけどやらなかったのになんでアイツが」みたいな羨望も含まれてる気がして。
ノーブラや乳首云々が各メディアで話題になってましたが、いきなりそっちでメッセージ性を込めて大解放しなくても、ファッションには自分が楽しめる範囲の自由さから始めてみてもいいかも。
でもここの服の模様をずっと見ていると東南アジアに行きたくなるので危険です。
 
  • Ace & Tate

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お店の窓に"Insecurities are damn sexy"と書いてあったので思わず入ってしまったのだけど、店内はメガネ屋さんでした。

私は小学校低学年から目が悪くなってしまって、高校でコンタクトレンズデビューした人間でして、自分の目の悪さと眼鏡には嫌な思い出しかないのです。

あの小学〜中学における眼鏡でイメージが下がる感じ、なんなんですかね...

眼鏡が理由でいじめられたわけでもないですが、「眼鏡取った方がかわいいね!」という心無い発言には無意識に傷つけられてきた人間です。

そういうわけで眼鏡だけは他の人に似合うって言ってもらっても信じられない。

どれくらい眼鏡(をかけている自分)が嫌いかというと、コンタクトレンズが入りづらい日があったら外出を避けるほどです。

でもなんだろう、このお店、特にこの店舗にはなんかそういうのを払拭してくれる何かがあった。

だから特別窓の謳い文句(落書き?)も自分宛てのメッセージに思えた。

insecurityがsexyってなんだよ。

(個人的にはanxiety=不安、insecurity=不安定という感じで、どっちも嫌ですけど後者の方が深刻なイメージ。)

そんなことあるわけないだろ!!!!!

と思いつつ、明るい店内を見回してたら眼鏡ってポジティブなんだなって。

オランダの人たちみたいに眉目秀麗だったらそりゃどんな眼鏡でも似合うがな、と思ってしまいますが、そういうことじゃなくて、なんか自分に似合う眼鏡を見つけたくなるお店だったんですね。

国内に広く展開していますが、上のインスタグラムの投稿の店舗がかわいくてオススメ。

店内は試着し放題で、耳のかけごごち、フィット感で選べるようになってます。

これもまたおしゃれエリアのDe Pijpというエリアにありますので、犬も歩けばおしゃれカフェとストアにぶち当たったり、オープンマーケットが開かれるなどしています。

Zoffよりは高めですが、コンセプトは似ています。

 

  • MARIE-STELLA-MARIS

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先ほど匂いモノが好きだと書きました。

といっても香水系じゃなくって、アロマディフューザーの噴出口を顔の下に置いて冬をやり過ごす感じ。

(衛生的にも見た目も良くないので真似しないでください)

特にレモングラス大麻よりも罪が深い」と思っています
トムヤムクンに入っているかと思えば、ルームフレグランスとして生活に清潔感をもたらしちゃう。
こんなことってある!???
そんなレモングラサーにはぜひMARIE-STELLA-MARISのLemon Notesで手を洗ってみて欲しい。
もうね、トムヤムクンの海老を手を使って食べた後にこれで洗うべきなんですよね。
レモングラススペクトラムとでも言いますか、なんかその香りとしての豊かさに圧倒されます。
このブランドも結構運命的な出会いをしたのですが、最近日本にも上陸したみたいです。
Marks&WebとかAesopとか「消耗品なのになんでこんな良い匂いなんですか」シリーズの仲間入りをうまく果たすことでしょう。
ハイブランドの香水は欲しくないけど、トイレのハンドソープで差をつけたいですね。将来的には。
 
  • Yoni

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 あ〜〜〜パッケージ最高〜インスタのフィードも最高〜〜
 
生理ブーム、来てますよね
 

『生理ちゃん』は映画化するし、 omocoro.jp布ナプキンや、月経カップ、ナプキンのいらない生理ショーツ↓なんかも話題沸騰中。

www.instagram.comジェンダー問題と絡まるとまたややこしがられそうですが(私は気にしませんが)、生理に関しては知られなさすぎ、隠されすぎだった。

高校のときは月イチ!の生理痛で、顔面蒼白で3階の教室から這いつくばって1階の保健室に行っていても、通りすがる男友達や男性教員に「生理痛だから」って言えなかった。

ましてや自分がオランダのお気に入りブランドとして生理用品を紹介するようになるなんて、夢にも思っていなかった。

震災の補助物資で「生理用品は贅沢品だ」と言ってしまうような上の人たちにも、可視化していかなきゃいけない。

今更誰が悪いとかではなく、生理現象を一現象として理解を広めていかないと。(生理ほど生理現象っていう言葉が当てはまるの生理現象もないんじゃないか)

日本では生理用品を買ったときに紙袋とかで包装してから更に袋に入れてくれるんですよね。

私はそれを日本独特の”女性のお客さまへのサービス”だと思っていたけれど、いやいやいや、なんで生理中なこと隠さなあかんねん。

そもそもパッケージがかわいかったら、もう抱っこして見せびらかしたくない?

使い心地も良いです。

コットンしか使ってないのに吸水力バッチリだけど、長時間つけてても必要な水分を持っていかれる感じがしない!すごい。 

お正月に観た『パッドマン』も良かったな〜

生理に関しては映画内のインドの状況よりも日本の方が陰湿なやばさがあるな〜という複雑な気持ちにもなりましたが。www.padman.jp 

  • Manduka

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かなりのヨガ大国、オランダ。
スポーツジムにも瞑想、ストレッチ系からハード系ないろんなヨガのレッスンがあって有難い...
私が住んでいるライデンにもヨガスタジオだけで10種類くらいあります。
夏は週末に公園で無料の朝ヨガが開かれたりと、マジで有難い。
エアロヨガだのアクロヨガだの、試せるものは試しましたよ。
最近はそんな感じなくなりましたが、ダウンドッグで結構手首が痛くなったり、滑りやすくて悩んでいたときに先生に勧められたのがこのブランド。
持ち運びしやすいように激薄のトラベルマットを買いましたが、グリップが良いです。
ツルツル系は掃除しやすいけど滑るし、グリップ重視のものはデコボコしすぎて汚れが溜まりやすいんだけど、これはその中間というかんじ。
カエルのマークがよくその特徴を表しています。
色展開もヨガ中に目に入っても気にしない、かといって寒色でも暗すぎないのが良い。
日本だとlululemonとかyoggy sanctuaryが人気な印象でしたが、ヨガウェア中心だったので、好みもありますがマットならmandukaかな!
部活人間だったので渡蘭したての頃は思いっきりハードなアシュタンガやハタヨガをキメまくってましたが、最近良いインストラクターに巡り会いまして、Yin(陰)ヨガにハマってます。
アクティブに眠くなる感じがたまんないですね。
適度に伸ばす筋肉の痛みが眠さを引き起こして、「眠くなるほど気持ちいいwww」みたいな新手の脳内物質が分泌されます。やば。
 
  • Oedipus

www.instagram.comビールはね、ジャケ買いを信じます。タップも良いけどボトルなんですよね〜

ちなみに私の中でハイネケンはビールじゃなくて清涼飲料水です。

ビールとフリッツに関しては隣国のベルギーの方々は黙っていないので、ここでは書けないようなエグいジョークなんかもあります。

でもオランダにも美味しいビールあります!

お馴染みスーパー、Arbert Heijinでビールコーナーを徘徊していたところ思わず手に取ってしまったのがここのビール。

ボトルデザイン、かわいすぎるやろ〜

好きすぎてビールフェスティバルまで行きました。

味も全体的に口当たりがスッキリしているものが多いです。

"IPAs are just pumpkin spice lattes for white guys"なんて、アンチIPAの批判もなんのその。

口当たりの割には度数と満腹感が強いので、ガブ飲みせずちびちび行きましょう。

Deliriumを始めとしたベルギービールよりは重くないです。

  • Barts

www.instagram.com帽子、おしゃれとかじゃなくてオランダでは死活問題なんですよね、冬はね、耳がね。

ゴッホが耳切っちゃうとかじゃなくて、文字通り冬は「寒くて耳がちぎれそう」なんです。

だから耳まで隠れる帽子(beanie)を似合おうが似合わまいが買うんですね。

でもどうせ被るならちゃんとあったかくてかわいいのがいいじゃ〜ん!というわけでおすすめ。

日本ではあり得ない色使いとかあって楽しいですね。

でも全体的に色合いが地味になりがちなところに補色としておすすめ。

アムステルダムのお土産で安っぽいAMSTERDAMロゴの入った帽子がいかにもなお土産屋さんで売ってますが、それよかこっちのが断然おすすめ。 

  • BOOK MARKET

ファッションの流れでいきなり様々ないきもののリトグラフを出してしまってすみません。

やはり素は隠せないもので、ワタクシ、爬虫類や両生類が大好きなんです。

二年前に運命の猫と出会うまでは、好きな動物はレオパードゲッコーやコモドオオトカゲと言っていまして(サイズ感だいぶ違う)、「毛のはえた生物は可愛くない」と豪語していたほど。

若気の至りですね。

しかしこのリトグラフがまた良いんですわ。

小見出しはおしゃれにブックマーケットにしてしまったんですけど、まあそういうところに売ってるんですよね。

箱にこういうのがいっぱい入ってて、紙モノっていうんでしょうか、アンティーク系の古本やハガキと並んでるわけです。

それを発掘する喜びといいますか、一つ一つビニールできちんとカバーされてて、アニメイトで透明のブックカバーをかける人にはわかる、あの蒐集趣味に通づるものがあります。

白黒もカラー版もあります。

私が好きなジャンルは19〜20世紀の百科事典の切り抜きですが、百科事典単位ではなく「海洋生物」「爬虫類」「鳥類」といった感じで箱が分かれてるんですよね。

でも下の方にドイツ語かフランス語かで出典が書かれているので、それを検索すると見つかります。

生物系だけでなく、地理、文化人類学、解剖学などジャンルは様々。買ったところで置く場所に困るんですけど、こういうものこそお土産に渡したくなるんじゃないでしょうか。

私は欲しいです。  

あ、あと古本関連だとこれ!

https://about-blanks.com/wp-content/uploads/2019/03/Unique-sketchbooks-and-notebooks-made-from-old-book-pages-026.jpg

これ、中身白紙でノートとして使える古本なんですよ〜

言ってる意味わからないですよね、私もわからないです。

でもリサイクルというか、とりあえず古本のブックカバーを持つノートなのです。

なので一点ものです。

本屋さんとかで普通に紛れてて開けてみたら中身がまっさらでびっくりするし、表紙はちゃんと古臭いままで、なんかギャップ萌えですね。

ABOUT: BLANKS

という帯が目印です。

表紙がアンティークという点では日本でも大人気のPaper Blank ↓が先輩ですが、本当の古本の表紙を使っているという点でオリジナリティがあります。

www.instagram.com

本が読むこと、眺めること、書くことという行為にきちんと関連づけられている感じが私は好きです。

 

 

こんな感じかな〜全体的に、これらのブランドがきちんと地産地消されているところがいいところ。

国外で人気のブランドもありますが、まずは自国でしっかり売れてるし人気。

オランダ人の人でもオランダのブランドって知ってる人少ないんじゃないかな?というくらいの馴染みようっていうんですか、グローバル展開だけどローカルもきちんとしている。

グローカルとも言えますが語感が嫌いすぎて使いたくないです)

だからアンテナ張ってるとオランダ産のもの見つけるの実は簡単なんですよ。

あとは質素なおしゃれさというか、紹介はできませんでしたが古着であったり蚤の市っぽいのが盛んに開かれてて、オランダのケチさものを大切にする精神がよく表れていると思います。

着こなすのも上手で、見ていて楽しいです。 

 

  • 近況報告

以下はお馴染み大人気コーナー、近況報告です。

 

 ・コーチン

メンタルが弱いもので、色々模索してます。

ライデン大学は心理学(Social and Behavioural Sciences)も強くて、大学院生がインターンとして無料で被験者を募集してたので思わず参加してみました。

5回の定期的なセッションを通してself esteemを高めるなど、自分のなかの低いものを上げてみよう、とのこと。(目標の設定は自由)

運良く良い先生に当たりまして、英語で拙いながらも診察してもらってます。

かえってごまかしが効かなくて、しかも「多分英語だし自分の言ってること意味わからないだろうな」という前提で話すので、頑張って説明しているうちに新しい発見があったりして良いのかも。 

 

修論のトピック

散々迷った挙句、今のところ落ち着く方向に決まってきました。

色々授業を取る中で、一番憧れている先生に見てもらいたかったので、その人の守備範囲に少し寄り添う形に落ち着きました。

私の場合そうでもしないと、壮大なことを試みて後から折れがちなのでちょうどいいかも。

大変なことには変わりないですが。

プレマスターを一年終え(プレマスターって何?)、今やっとマスターなんですけど、これも一年しかないので急ぎ足です。

perceptionとcontextualizationに興味があります。

一つのもの(artefact)があったとき、それを見る人や扱う人、見つかった場所や展示される場所はとても重要で、それ抜きには語れないし、語ってはいけないということになってます、考古学では。

ピュアなオブジェクトという概念も無くはないですが、あくまで対照的概念としてで、オブジェクトは人がひとたび関わった時点で関係を切り離して考えられるべきではないというのが最近の風潮なんですよね。(Material Agency, Object Biographyとか言われます)

発掘物を見て「あ〜イイな〜」で終わっていたら考古学は発展していないんでしょうね。(その感覚も大事だけど!)

あ〜リサーチしなきゃ〜〜〜

 

 ・美術書

TASCHEN

Phaidon

Thames&Hudsonが個人的三大美術書トップランキングで、一冊ずつ揃えたい。

上二つのは一目惚れして以下二冊を破格で購入したのですが、Thames&Hudsonからはまだビビッと来てないな〜

おすすめあったら教えてください。

Art of the 20th Century: Painting (Taschen Art)30,000 Years of Art, New Edition, Mini Format: The Story of Human Creativity Across Time & Space

図鑑的なものがいいですね。

説明とかいちいち読まないので、パラパラとめくってインスピレーションが欲しい。 

 

・「私だから言える」

人種系自虐ネタ好きなんですけど、この前友達が言っていてハッとしたこと。

その子もアジア圏出身なのですが、ギャグをかました後にこの一言。「あ、それ当事者が言えるだけで、そうじゃない人たちが言っていいわけじゃないから。」

日本語にするとキツく聞こえるかもなので英語で補足すると、

"You can't say that."ですね。

違う文脈でよく聞く言葉なのでは。

(「それ言っちゃアカンでしょ!」って感じかな。日本語であまり聞かないので翻訳が難しいですね)

ちなみにこの時はたまたまグループワークのメンバーが全員アジア出身であることを非アジア系のクラスメイトに指摘された、というシチュエーションでした。

でもこれ別に人種に限った話ではなく、自虐ネタをするときは注意したいのは、あくまで自虐であり他虐を簡単に許してはいけないということ。

当たり前ですが本人が言うのと他の人が言うのとでは、単に発言者が異なるだけでなく色々意味が変わってきます。

でも「コイツは自分のことをジョークにして笑いを取っているから他から言われても平気なんだ」と思い、利用してくる人が残念ながら世の中には結構多い。

もちろん状況も色々あるだろうけれども、ダメなときはダメです。

そんなことをし続けていられるのは神の域に達した渡辺直美くらいのレベルで、普通の人は続けていたら結構メンタルにきます。

(少し前にGUCCIの広告に彼女が出たことを叩く人たちがいましたが、彼らにはここで取り上げられないほどの陰湿さとアンヘルシーさを感じます)

そんなときにこの"You can't say that (but I can)."は、「わかってないくせに口出ししないで」という排他的な意味ではなく、「ジョークの本質わかってないね/言っていいことと悪いことがある」となるので、オススメ!

というか私も勉強になった。  

 

 オランダのお花見も良いものです。

もう散ってしまったし日本のお花見はできなかったものの、歩いてるだけで花セラピーですね。

この前ビール片手に夜桜デートした人に「葉桜」の概念を説明しようとしたのですが、(葉っぱ入ってたらもう完璧な"桜"とは言えないという意味で)けっこう難しかったです。

オランダのチューリップ熱もなかなかですが、日本人の桜に対しては熱狂的且つ病的・霊的な何かを感じます。

オランダのチューリップは観光客向けだけど、日本は日本の人の桜熱が半端ない気がする。

坂口安吾の言う通り、死体でも埋まってないとあの妖しさの説明はつかないと思う。

 

 桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫) 

キングスデー、イースターと華やかな感じをうまく避けつつも適度に参加して過ごせたので、陰キャラの私は四月も上出来です。

それでは、また〜!doei doei~ 

エピソード記憶としての食べもの

つまらないデートで奢ってもらった100グラム五千円のシャトーブリアンよりも、親友と八時間くらい飲んだあとに食べる始発前の一蘭のラーメンのほうが美味しい。

そうなんです。

そういうことなんですよ!!!

私は自他共に認めるグルメな人間だと思っているのですが、美味しいものを食べる・作るのはもちろん、「食べ物に関するヤバいエピソード」が多い人間であると自負しています。

 

「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君の人となりを当ててみせよう」と言ったのはフランスの伝説的美食家、ブリア・サヴァランです。

You are what you eat. とかもよく聞きますね。

私の場合そんなこと言われなくてもわかってるっていうか、そうでしかない。

食べ物や食事と言った行為なしには私自身のことを語れないのです。

 

そこで今回はそのうちのいくつかを紹介できたらと思います。

食べ物に関する記事は常に書こうと思っていたのですが、気合を入れまくりたいがために逆にいつも書けずに終わっていたんですね。

あまりの凝り性でもどうしようもないので、ここいらで小出しにしておこうかなと。

いろいろあるんですけど、冒頭の文が以下のエピソードたちの特徴をうまく言い表していると思います。

 

つまり「表参道で五時間並んで食べたパンケーキは美味かった」といったような話は一切出てこないと思っていただいて大丈夫です。

 

食べ物に関してはいろいろな切り口で今後も攻めたいですが、単なる美味しいものたちを描写するのって視覚が情報の多くを占めている今、めちゃ難しいんですよね。

スマホの写真フォルダの中では主役級かもしれないけど、文字情報としては面白くなくなくなってきていると感じられているか、もう読まれないかもしれない。

杞憂だと良いのですが。

インスタグラム様様ですね。

だからといって面白さだけを求めて、珍味ばかりを攻めるのもどうかなと。

 

食べものを語るうえで私たちはこれからどうしていくべきなのか。

別に食べものとしては食べて美味しかったりカロリーとして蓄積されれば本来の目的を果たしているわけなので、別に書かれなくてよい。

写真のみのメニューのほうが文字だけのメニューよりわかりやすいし。

 

でも良い食べものと良い文章に囲まれて育ってきた身として、これからもこのお二方が仲良くされていくと嬉しい

 

というわけで実験的にやってみようと思います。

個人的にグルメライターが本業ではない人たちの書く文章が好きなので、自分の文章もそうなっていくと嬉しい。

 

はい。

メニューみたいに並べてみました。

順番どおりに読んでも読まなくても大丈夫なので、クリックして飛ばして読んでみてください。

見出し機能にチャレンジしてみたよ!

 

  • エビグラタン

記憶力には自信はないが、「食べものを食べる」という行為がいかなるものなのか意識し始めた瞬間はよく覚えている。

小学生のときに感じた圧倒的飢えだった。

というと砂漠でも行かれたんですかと聞かれそうだが全然そんなことはない。

空腹は最高のスパイスとよく聞くが、そんなレベルではない。

空腹のあまりもはや胃腸ではなく鼠径部が痺れてきてしまうほどだった。

なぜそこまで空腹になったのかは覚えていないが、とりあえず飢えを凌いだのがコンビニのエビグラタンだった。299円。

私の母は日々の食事はもちろん、お弁当にも一切冷凍食品を使わないし、コンビニや牛丼屋チェーンで買って済ませることはなかった。

その母が私に車であと五分で家に着くという距離の途中のコンビニで買い与えたという意味でも、このエビグラタンはすごいのだ。

当時はあまり食に関心を示さなかった私の悲痛な空腹の訴えがあの母をコンビニに走らせたというのもすごい。

エビグラタンもたまたまお昼過ぎのコンビニで陳列棚に残されていただけではない。

肉まんやおにぎりよりもお腹いっぱいになれて、しかもきちんと主食として完結している。

汁もないから、車の中でもこぼさずスプーンで食べられる。

でもちゃんとあったかい。

この利便性は愛である。

ちなみにアツアツを急いで掻き込んだため盛大に舌から喉を火傷したし、味はぜんぜん覚えていない。

  • 千歳飴

ミルキーはママの味で、糖分で頭が痛くなるほど食べていたい。

さいころ牛乳も大好きだったから、ミルキーを牛乳で流し込むというカルシウム界もびっくりなかんじでおやつの時間を過ごしていたこともある。

そんな圧倒的支持率を誇るペコちゃんの最終兵器は七五三のときに姿を現すのだが、今風の言葉を使うならこんなユーザーインターフェースの悪さと言ったらない。

細長い飴が細長い袋に入っていて、全方向から舐められるのである。

ポッキーのような持ち手もない。

ベチャベチャにならないわけがないし、七五三の年頃の子どもが丁寧に割って少しずつ食べるなどといった理性を持ち備えてるはずがない。

しかも割ろうとしても竹並みに縦に裂けやすいので、全然食べやすい形にならない。

常に刺さる感じの形を保ち続けるので、あのわたあめよりも曲者である。

でもたまにはいい。

たまにだからいいのだ。

電信柱にぶつかってアイスを落とすような子でも、ハレの日には絶対千歳飴である。

別に込められたメッセージが教訓めいてなくたっていい。

(誰も千歳まで生きない)

でも「食べづらいけど甘くて美味しいので人目を気にせずむしゃぶりつく」なんて原始的な欲求の芽生えは、早いうちに経験しておいて損はない。

狂牛病の脅威はオーストラリアに旅行中の家族さえも逃すことはなかった。

「海外で食べるインスタント麺はおいしい」というのは我が家の家訓のひとつである。

でもほんとうに美味しい。

美味しく感じるのだ。

旅行という非日常と、ふだん”食べさせてもらえない”、”体に悪い”インスタント麺という非日常が合わさっているからだ。

恵まれた子どもならではの記憶である。

だからこそ当時の空港の検閲官に問いたいのである。

こんな家族の幸せを、カップ麺のふた一つ一つをカッターで裂き、あろうことか具だけ抜き取るなんて、こんなに非人道的なことがありますか、と。

いっそ麺まるごと取り上げてくれよ。

でもそんなことで味が損なわれる日本のカップラーメンではない。

あれはラーメンではない。

食のミニマリズムと携帯性を突き詰めた技術の結晶である。

そしてほんとうに非人道的なのは、牛たちをここまで追い詰めた人間なのだと幼心に学ぶ。

  • 唐揚げ

唐揚げは濡れてはいけないはずである。

永遠に和解しあえないと言われていた水と油の、後者の具現化ともいえるこの揚げものは、前者の友達、レモンとの対話を熱心に進めてきた。

その結果「自分の取り分は自分で」というポリシーが定着しつつある。

人にレモンを絞ってあげるのは、水分同士のチューハイだけ。

しかし常識は覆されるからこそ意味がある。

松蔭神社前に喜楽という中華料理屋がある。

看板メニューは唐揚げ定食。

わざわざ看板なんてつける必要すらないほどだ。

スライド式のドアを音を立てて開けるとき、鼻どころか皮膚全体を覆う油とにんにくにの香りが唐揚げを想起せざるをえない。

しかし運ばれてきた瞬間、初めて訪れた客はざわつく。

唐揚げを、しかも老舗の中華屋で濡れた状態で来るなんてと。

まあ落ち着いて、とセットの卵スープを一口すすり、いざ箸でつつくのだが、そのあまりの湿りっぷりにまた躊躇する。

でも空腹が限界でかぶりつくと、もう虜になっていた。

これはいわゆる唐揚げではないが、こうなった経緯には唐揚げという食べものへの探究心があるのだ。

唐揚げを伝えきるためには、主要な要素を切り捨てるときもあったっていい。

歯ごたえは刹那的だが、風味は口の中で持続する。

でも揚げたては揚げたて、アツアツなのだ。

瓶ビールで乾杯するしかない。

食後の口臭を恐れてムスロ定食を頼んだ臆病者にもいちおう一ピースあげる。

もう市販のミルクティーの異様な甘さと牛乳の割合の少なさに怒りを覚えた私は暴挙に出た。

煮え立つ牛乳にそのままティーバックをぶち込んだのである。

我ながら紅茶界を覆す大発明だと思った。

色もすごくいいかんじだし、なんたって濃い。

さっそく家族に自慢したら、「それをロイヤルミルクティーと言うんだよ」とつっぱねられた。

正確にはロイヤルミルクティーも水で抽出してから牛乳を足すそうで、比率の問題らしい。

牛乳ではどうも完全に紅茶の味が出し切れないそうなのだ。

それにしてもロイヤルってなんだ。

そして牛乳の比率が高くなるにつれ高級度が増すのなら、抽出しにくかろうが私の自己流ミルクティーが最高峰ということになる。

そもそも紅茶味の牛乳が飲みたいのか、紅茶に牛乳の風味を付けたしたいのかで論点が異なってくる。

コーヒー牛乳に関してはコーヒーは風味として位置づけられ、なんなら牛乳も存在感が薄くなり、コーヒー牛乳という味が確立しているのだ。

というわけでロイヤルミルクティーもミルクでもティーでもない、二つが混ざったものにしかできない味を目指すべきなのではないか。

とおもっていたらタピオカがあっさり仲介し、新たな地位を確立しつつある。

いずれにせよ一度試していただきたいのが両者の純粋なぶつかり合いとも言えるこの私流のミルクティーである。

暖められた牛乳が作る膜のせいなのか、ティーバッグが沈まないのだがこの相容れない感じがまた良い。

お互いなかなか譲らないのである。

私は猫舌なので長期戦に持ち込まれることが多い。

真っ白だった牛乳が次第に茶葉に心を許していくさまは、透明な水に圧倒的に茶葉が優勢に侵略していくものとは何か違うものがある。

 

いかがでしょう。

なんかこういう、エピソード記憶レストランみたいのやってみたいですね。

メニューにあるものに関して頼むときにそれに関するエピソードを言わなきゃいけない、みたいな。

無意識にやってるときもあるな。

 

ちなみに好き嫌いのない人間としては抽象的な「好きな食べ物はなんですか」という質問がめちゃくちゃ難しいのですが、おまけとしてジャンル別に並べてみようかな。

ブリヤ・サヴァランもこれくらいの答案を見て私を判断してほしいものです。

 

  • おつまみ

日本酒なら、いぶりがっこクリームチーズ、白子ポン酢、なめろう

洋酒ならレバー、パテなど原形をとどめていないシャルキュトリ系とヤギとか臭いチーズが好き。 

  • お酒

ワイン/ドイツとオーストリアらへんのさっぱり甘め

カクテル/圧倒的モヒートだったが、ジンが来ている。XYZとかレモンジュース系のショートカクテルが好き

日本酒/金沢の!

ビール/IPAと見せかけて6パーセント以上あるやつ

  • パン

クロワッサン、キッシュ、くるみパン、メロンパン

好きなパン屋さんはHOKUOです。北欧のパンより美味しいと思う。

  • ケーキ

レモンタルト、ロールケーキ、ショートケーキ

でもレモン以外の柑橘系が乗ってるケーキは好きじゃない!

ダントツで牡蠣

あわよくば牡蠣で当たって死にたい。泡系のワインと合わせると美味しいカクテルになる。オイスターガズム。

  • 麺類

汁なしならとことん濃く、台湾風まぜそばや坦々麺や油そば

汁ありなら鶏そばなどスープ透き通ってる系

うどんは釜玉

  • 調理器具

オーブントースター、ガスバーナー、ブレンダー

熱いものをアツアツで食べたいので、全身を火傷しながらグラタンとか食べます。

目の前で何かが溶けるのを目の当たりにするのが好きなのでバーナー。

ブレンダー万能なのでほしいです。

  • キーワード

炙り、炭、串、揚げ、照り

二つ以上組み合わせるのも楽しい

よだれ鶏、瀬戸内レモン、バビ・グリン

  • お土産

赤福信玄餅、マルセイバターサンド

  • 粉もの

マントウ、ナン、たこ焼き、ホットケーキ

  • 臭い野菜

ニラ、春菊、パクチー

  • 辛い料理

タイ料理、韓国料理、四川料理

一見わかりづらいのにあとからじわじわくる、理不尽な辛さが好き

山椒とか痺れ系も好き

  • ホルモン

マルチョウ、トリッパ、レバー

  • ごはんにかけるもの

味道楽(味道楽って何?)、塩昆布、しらす、ゆかり

  • 食堂

オムライス、カツカレー

どうせなら千カロリーくらいぶつけてきてほしい。

鰻、穴子、鯛

甘いタレを絡めながらご飯と食べるのが好き

  • じゃがいも

フライドポテト、マッシュドポテト、ポテトサラダ、コロッケ

  • 野菜

なす、ズッキーニ、アボカド、大根、さつまいも

  • 揚げ物

天ぷら、かきあげ、串揚げ

  • カレー

バターチキンカレー、グリーンカレーのエビが入ってるやつ

ココナッツミルク強めで!

  • ○○ライス

ハヤシライス、海南チキンライス、オムライス

  • スープ

豚汁、トムヤムクン、クラムチャウダー、オニオンスープ、スンドゥブ

角煮、しぐれ煮、里芋

  • フルーツ

みかんなど柑橘系全般、マンゴー、ざくろ、巨峰、パッションフルーツ、桃、パイナップル

 

好きなものを可視化するの、結構楽しくないですか。

食べものを語るなら、こうやってとことん話したい。

 

だから「地球最後の日に何が食べたい?」という質問が嫌いなんです。

一見、地球が終わるときに食べもののことしか考えてない人が考えた質問と見せかけてそうでもない。

「地球が終わること」と「食べもの」、両方に配慮が足りていない。

こういう質問をしてくる人はだいたい注文するもの決めるのも遅い。

どっちつかずなんですよ。

地球の終わり方にもいろいろあるじゃん、隕石ぶつかって一瞬で死ねるならまだしも、終わりそうな気配がしたら滅ぶ前に逃げるでしょ。

滅ぶ時期が分かっているなら(日本人なら)それなりの脱出に設備投資して、当分はそれなりのご飯食べられるようになってるでしょ。

え、そうでもないのかな、まあとりあえず私は地球滅亡の日にも食べもののことしか考えてないと思います

でもこういうこと言うと「わかってない」とか言われる。

まあまあ言いたいことはなんとなくわかるけど、そんな話をするくらいなら、今空いているグラスを次なにで満たすかとか、残ってる最後のひとくち誰が食べるのかとかを考えましょうよ。

私は地球が滅びようが車に跳ねられようが、「いつ死んでもよくはないけど、それでも万が一のときに後悔しないよう好きなものをちゃんと定期的に摂取する」派です。

でも絶対、走馬灯は食べものばっかりだろうなぁ。

走馬灯、馬、馬刺し、とか考えちゃうもん。

 

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早春小噺寄せ集め

ん〜春は眠い!

最近天気が良くって眠気しかないので、我ながら良いなと思ったアイディアをなんとなく置いておいて今月は良しとします。

私の好きなオモコロやデイリーポータルZの記事ネタになりそうなタイトルを考えて実行に移さない感じ。

あとツイートにしては長すぎ、ブログにしては短すぎみたいな、そんな中途半端な原石(というと聞こえが良い)を集めてみました。

帯に短し襷に長しですね。

 

めちゃくちゃ盛るなら、内容としては益田ミリさんの「よくわからないけどいっか」感を目指しました。

この感覚、大事ですよ。

最近割と親しいと思っていた人に「SNSに挙げている内容がよくわからない」と言われて少しばかり凹んだのですが、世の中は結局わからないことばかりなのであまり気にしないことにしました。

私のわからなさを楽しんでいる人もいるはず!

でもわざわざ「あなたの言っていることがわからないよ」って言ってくれる存在はありがたい。

ていうか「あなたのことはよくわかってる」なんて、よく分かっている人こそ言わなくない?

わかろうとせず、わからせようとせず、流しそうめんを見送る感覚で見守っていただけますと幸いです。

タイミングが合えばすくって食べるかんじ。

 

  • 英単語を検索して出てきたメタルバンドとホラー映画を紹介する
これ本当に面白いくらい、結構真面目な学術用語とか検索しても(一応大学院生なので)よくわからないニッチなバンドや、評価が4.2くらいのC級ホラー映画にぶち当たることが少なくないんです。これ、実は「現在進行形で英語学んでて良かったな!」と思う瞬間の一つだったりします(嘘です)。でもほんと面白い。多分英単語側としても「なんでこの名前にしたの?」って思ってるくらい変なのばっかり。これは意図的に検索しても見つかるものじゃない。具体例を集めていれば良かったのですが、一発で本来検索したい内容であるはずの意味に行き着かないことにイライラして消してしまったことが多かったので残ってないです。逆にメタルバンド好きの人は改めてバンド名の意味を検索してみると面白いかも。
 
  • 形ごとに名前が付いているランジェリーブランドがアツい

下着が好きなんですけど、色々探しているうちに最近のトレンドとしていちいち名前をつけると当たり前だけど個性が出てきて良い、 という印象があります。女性の名前が付いているブランドもあり、試着時に店員さんと話していると「え、誰のこと話してるの?」と言ったわけがわからない状況に陥るのも確かですが、名前とイメージと形は割と一致しているので覚えやすくて楽しいです。ちなみに私の推しメン且つ一番の友達はintimissimiのEleonoraちゃん。

  • 「言ったもん勝ち」の対義語は「言わなかったもん負け」か

個人的にはそうであってほしくないと思う一方、発言の機会や場が格段に増えている世の中だからこそ、そう考え始めている人が多いのかな、という印象を受けます。「あのとき言わなかったからあれで良かったと思った」の、「あのとき」がどんなときだったのかという想像力のある人がもっと増えると良いな。自戒も込めて。

言えない状況で言えなかったことを後出しするのはかっこ悪くなくて、むしろめちゃくちゃ勇気がいることだと思う。

まあこのハイコンテクストな「察して」文化は特定の種類の人や国ではあまり通用しないので、特に嫌なことの場合はきちんと怒りましょう。そして、怒れなかったときは強気な友達に相談して、次に備えましょう。

  • 好きな曲を三日で500回くらい聴いてしまう

いや、別にいいんですけど、音楽に”消費”という言葉を使うのが好きではない自分がいる一方、好きな曲の圧倒的な中毒性から生まれる消費感には毎度驚かされます。そしてさらに怖いのは、こんなに一時期好きなのに飽きる自分がいるということ。でも何かを「好きになる」という行為には、こういう一時的に盲目的な時期と、その熱が過ぎ去った後の付き合い方のバランスがポイントかもしれませんね。

そういえばiPodを使っていた時は、プレイリストの名前を作成時の日付にしていたことを思い出しました。今はspotifyでふとお気に入りに追加してしまうので、自分の音楽史みたいのなくなってきてしまった...こう、簡単に自分史っぽいの作れるの良いよね。

  • 対談がしたい

顔を合わせているときはそこまで話さなかった友達からたまたま連絡が来たりして面白い議論に発展したり、何気なくアップしたインスタグラムのストーリーに鋭い考察が入って、共通の好きなことが見つかってより深い仲になったりと、出会いや付き合い方が多様化してきました。で、「わ〜い!」となって熱い議論を交わすのだけど、対談て前提ではなくて気がついたらなっていた、事後的なものが理想だなと。対談形式の本を読むのも好きなのですが、居酒屋で話している雰囲気を感じさせる、話の始まりと終わりの区別がつきにくい感じ、良いですよね。

私はサシ呑みが好きです。

  • 試着室で買わない服を着て写真を撮る  

 「試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。」というキャッチコピーが一昔前に話題になりましたが、その前に試着室ではまず服そのものと対峙し、恋に落ちるべきですよね。海外の服屋さんが良いのは、柳原可奈子がモノマネしているようなショップ店員が徘徊しておらず、一流デパートでも基本放置プレイなところ。試着室で必要以上に声をかけられることもないので、めちゃくちゃ写真撮っても全然大丈夫。

この前嬉しかったのは、良い意味で絶対にお世辞を言わなそうな店員さんに何気なくカジュアルスーツ上下を着て出たら「めっちゃ似合ってるじゃん!写真写真!」っていわれたこと。普段は誰もお世辞を言わないから、気軽に買わないと思ってる服でも試着できて逆に購買欲が上がる、という謎の現象が起こりました。

あと服を買おうか迷ったらInstagramのストーリーに上げて色んなタイプの友達から意見をもらうもよし!

  • FacebookのMessengerのリアクション機能

があんまり好きじゃない。そもそもいいねボタンが多様化し始めた時から暗雲が立ち込めていた気もする。感情を集約しちゃいけないと思うんですよね。「シェアされているコンテンツに対する反応を多様化させる」という(おそらく本来の目的)よりは、「五つの反応に沿ったコンテンツがシェアされるようになり、反応が計量化しやすくなった」気がします。ユーザーではなく、あくまで作成者のためのものなのでは。そしてその五つの中から選ぶ私たちの感情も微妙なニュアンスを失い始めているのではないかと。

Instagramのストーリーへの反応も、いくつかオプションがありますよね。そもそものFacebookTwitterはコンテンツに対する気軽な共感からのつながりを拡大することで利用者を獲得していったわけだと思うのですが、 upvoteかdownvoteしかないredditや、そもそもそんなものが存在しない2ちゃんねるを見てみるとコメント欄に重きが置かれていて、そこで議論が交わされている。Twittertumblrボタンを押せば済む反応ではないことは、言葉にしなければならない。それがフェイスブックには減ってきている気がする。

なかでもメッセンジャーのハート顔の利用頻度の高さ、気軽さといったらない。Twitterの「お気に入り」の★から♡への以降も、Instagramのダイレクトメッセージの♡の軽さも、多用しておきながらなんだか怖い。昔だったら、♡押されたらどんなコンテンツをシェアしたのであれ、もっと強い意味を持っていた気がすると誰かがツイートしていました。

自分の感情がそのまま伝わることというのはほぼないので、だからスタンプや絵文字に頼るわけですが、使用を重ねる度に私たちの感情がそちらに合わせてきてしまっている気がする。絵文字で肌の色が指定できるようになったように、選択肢が増えれば増えるほど自分の意見を代弁してくれるものが増えるわけなのですが、それだけが表現方法になってしまったら悲しいので、私はブログを続けるのだと思います。♡

でも♡はやっぱり良いよね。♡は良い。

個別のメッセージもアプリによって同じ人に対してでもコミュニケーションの仕方が全然違うなと、Messenger、Whatsapp、LINEを使い分けていて思います。メッセージがかさばりがちだったところに、LINEのリプライ機能は嬉しい。

  • 「海外で活躍する日本人」と「海外に行って(も)変な日本人」

島国だからか、国外に出る人に注目する国、日本。でもその対象は「外に出て日本の文化を広めるために頑張っている」人や、「海外で勉強して帰国後日本でその知識を活かす」人。その対極にいるのが、「海外に行って変なんなっちゃって帰ってこなくなりました」という、国内外に利益をもたらしていない根なし草のような存在で、まあ私なんですけども。

「『クレイジージャーニー』に出そう」ってよく言われますけど、クレイジーはクレイジーでも旅人なら日本が拠点ですからね。私はどちらかというと、元から母国に適合していなかったのが、よその国で暮らしてからというもの帰国後もその傾向が増したという感じです。「どこにいても、どこにも属している(belong)気がしない」というのは少し悲しいことですが、きっと何事もパーフェクトフィットなんてないのでしょう。でもだからこそ実験がてら色々な場所に住んでみたりできるのであり、離れてみて見えてくるものがあるというのは確か。

というわけで私はそこらへんのweabooよりも日本に詳しいオタク、みたいな地位を海外で確立しつつあります。 一応国籍はまだ日本なので、自分のなかの「日本らしさ」と「日本らしくなさ」の葛藤を楽しんでみたいと思います。トルコの時間の流れ方や、Dutch directnessもうまく取り入れていると嬉しい。

 

・self respectとconfidenceの違い

私は自己評価が低い方だと思います。これはもう良いとか悪いとかではなくて、ここまで来たら変わらないものです。でもそのあまりの低さの割には周りにそう思われてない方だと思います。これも結構どうしようもない。

冒頭に戻りますが、「誰かが私のことをどう思っているのか」というのは二重構造の想像みたいなものだと思います。相手がもし私に関する評価を下したとしても、私がその評価を理解できるとは限らないし。いや、私も自分のことよくわからないし。答え合わせというものが不可能ですよね。

でも、たまにはひどいことを誰かに言ってしまう(し言われることもある)!なぜか「私のことを全く知らないはず」の通りすがりの人にもその権利はあるようです。そのときに大事なのがself respectです。

そんなとき「毒を以て毒を制す」とまでは行かなくても、「自分は不当な扱いを受けている」という出来事には強気でいきたい。これ、自信とか自己評価と別物なんですよね。defense mechanismという言葉もよく聞きますが、自分のことは守らなきゃ。そういう感覚を研ぎ澄ませていきたいなと思います。

というのも最近友達と話してて気がつきました。相手の子も自己評価が低いんだけど、なんか気高いなって思ってて、ポイントはself respectなのかなと。

 

追記

24歳になりました!干支2周しちゃったって信じられない。

最近のハイライトは、友達とスカイプしているときに5秒くらい寝てその5秒間に買い物している夢を見て、目覚めたときにそれまでの会話となにも脈絡もなく「スウェット」と口にしたこと。

映画『善き人のためのソナタ』の最初の方のシーンで、「眠らせないのが一番の拷問だ」って言ってたのがあった気がするけど本当にそれで、私だったら眠らせてもらえなかったら真っ先に仲間を裏切ると思います。

拷問シーンで言えば『007 慰めの報酬』のも結構「イテテテテ!」ってなりました。

それではみなさん、良い三月を〜

 

暖かすぎて桜フライングしているライデン。

行為の棚ぼた化(撞着語法)

あけましておめでとうございます!

2019年。

どうも響きが好きではないのですが、始まってしまいましたね。

 

この時期になるともう抱負を書かなくてはいけないか、年末に振り返りつつ新年に間に合うように発表するそうじゃないですか。

私も毎度遅れながらも割と考えるのですが、でも毎年うまいことが言えない、みなさんと同じ人間です!

今年もよろしくお願いします。

 

今回は書き留めたい言葉があるので書こうと思いました。

これが結果として抱負や目標になるならそれもいいかな。

 

というのも昨年後半にかけて精神的ダメージの百鬼夜行が押し寄せ続けていたんですね。

百鬼、しかも毎晩連続で来ちゃうともうどうしようもない。

玄関を閉め鍵を掛け通り過ぎるのを待つしかないんですけど、でもたまに外に出なきゃいけなくて、それでもう絶対エンカウントしちゃう。

これについては現在進行形なので、また全貌が解明してから書こうかなと思います。

今はそれらを妖怪の行進に例えられる程度には回復し戦えるようになってきた、ということだけはお伝えしておきます。

なんで私が選ばれちゃったんだろう〜

年女だから?

 

月イチ更新を目指していたブログが停滞してしまったのも恐らく妖怪のせいですね。

妖怪、便利!

いや〜定期的に書き続けると言うのは本当に体力の要ることで、すでに他で消耗していると無理なんですよね。

村上春樹が書くためにマラソンしているのがわかりかけて来ました。

それに好きなものや楽しいことを書く場なのに、暗い方向に持って行きたくなかった。

ギャグマンガ家の人たちって、きっと単に面白いだけでなく辛いことでも昇華するスキルがないとやっていけないんじゃないか。

 

 

そんななか、先日久しぶりに会った高校の頃からの友人の言葉を紹介・分析したいと思います。

 

彼女と出会ったのが高校一年生で15〜16歳ですから、それはそれは大昔ですね。

クラスが一緒だったのですが、正直なぜ仲良くなったのかあまり覚えていません。

誕生日だけはとても近くて、高校生ながらに「同じ星座でもこんなに違うんだ...」と星座占いを信じすぎているにしても大きな違いに愕然とした記憶があります。

彼女は優等生の中でもトップクラスで、私は特別にうるさい猿とかだと思ってもらえれば大丈夫です。

これは決して卑下などではなく、当時のクラスメイトにアンケートをとれば全く同じ答えが返ってくるはず。

 

私はほとんど覚えていないのですが、本格的に仲良くなったのは、彼女曰く「下北沢のエスニック料理屋」だそうです。

私が彼女をこのお店に連れて行ったことで、このときまだ新ジャンルであった東南アジアやインドカレーに足を踏み入れるきっかけとなってしまったらしいのです。

これは責任重大で、というのも彼女はその後大学も東南アジア関連、仕事も一流企業のグルメ系所属という、味覚のエリート街道まっしぐらでここまで来ているからです。

そうなると流石に自分のことでも猿というのは気が引けてきたので、オランウータンにします。

 

...このように、毎回忘れて、毎回私が訊く「なんで私たち仲良くなったんだっけ?」という質問に彼女が答えるというお馴染みのやり取りを今回会ったときもしていました。

 

大学入学後はだいたい一年に一回ほど顔を合わせるのですが、

やはり最近は高校時代には想像だにしなかった話が出てくるもので

その都度増す話の重みや深みに「私も大人になったな〜」と振り返る指標となっていました。

 

今回は私が主に愚痴を聞いてもらう流れになりました。

 

そうして牛すじカレーを啜りながら身の上話をしたあと、お店を出て次のカフェに向かって歩いていたときに、彼女は言いました。

 

「きよかも辛いこととか悲しいこととかあるかもしれないけどさ」

 

ここで私が予測した言葉は、

「お互い頑張ろう」とか、

「きっと今年はいいことあるよ」でした。

恥ずかしながら。

 

しかし彼女がその次に発した言葉は、

「きよかは私の一部だから」。

 

 

私はその一言に非常に感動し筆を取ることになったわけですが、なぜ私はそんなに感動したのでしょうか、というのを以下分析したいわけなんです。

 

まあそうなんでも分析せずに親友の言葉だと思って素直に受け止めなさいよ、と思う方もいらっしゃるでしょう。

しかしこれが分析結果、私がもっとも必要としていたにも関わらず気がつかなかったことであったと判明したので、書き留めておく必要がでてきました。

感動したことに感覚的に共感できる方もいるかもしれません。

そうした方は答え合わせのような感覚で読んでいただければと思います。

正解なんてないんですけど、もしこれを読んでいる方がいつか誰かに言われたときに湧き上がる感情を理解する手助けになるかもしれないしね。

 

数週間考えていたのですが、キーワードは「アンパンマン」と「棚からぼたもち」かなと思います。

 

(これはまた私の大好きな贈与論に突入してしまうんですけど、混みいった話と先祖のネックレスのために何キロも航海する先人たちの話については私よりも何千倍も専門家で大御所である後述の参考文献を読んでいただくとして)

アンパンマンと棚ぼたの共通点は、誰かに利益を与えていますよね。

でも与え方が決定的に違う。

 

私は彼女の言葉でこれに気が付いたのです。

そもそも、「棚から落ちるぼたもちに意思はあるのか」という哲学的ツッコミが出て来そうですが、それ!そこ大事!

恐らく現代科学の範疇では答えはノーです。

諺のなかでぼたもちは主語として扱われていない。

表現上ではあたかもぼたもちが自ら棚から落ち、人々の口に入っているようですが、解釈としてはあくまでぼたもちを幸運にも手に入れた人間側に焦点が当てられています。

 

ていうか棚からぼたもちが落ちるって何ごと?

それこそ妖怪のような、超自然的な存在を用いないと説明できなくない?

諺作成者にぜひ聞きたい。

調べていると

「棚からぼたもちが落ちるのを口を開けて待っていた」説と

「口を開けていたらぼたもちが落ちてきた」説が出てくるのですが、

前者はもしそうだったとしても、その一見究極の怠け者に見えて実際全然そうではない矛盾した行動が現在の私の理解の範疇を超えているので、以下後者を支持したいです。

 

アンパンマンはどうか。

アンパンマンは「困っている人を助けたい」という明確な意思のもと、自分の身を削る英雄です。

ではもらう側から考えたら?

ぼたもちを”労せずして”手に入れた人と違うのは、こちらも明確な意思のもと助けを呼び、助けをもらった。

とてもわかりやすい関係です。

 

でも、結局どちらも与えている。

お腹が満たされるという点では同じ。

しかもあんこつき!やった!

 

あ〜難しい意思の話になってしまいました。

これも専門外なので、幾度となく紹介している『中動態』を読んでいただければ。

 

友達の言葉に戻ります。

ここで私が言いたいのは、おそらく私は彼女にとってぼたもちだったということです。

 

恩着せがましい言い方をすれば私は彼女に何かを与え、それが彼女の一部になった、というのが通常の解釈なはず。

二者間の関係は矢印で表されるはず。

アンパンマンと彼が助けた人々、という関係と言ってもいい。

 

でも、私たちの場合それが成り立っていないんです。

なぜなら私は彼女に与えていないからです。

というよりも、私は与えているという意識がなかった、という方が正しい。

だから私は感動したのです。

 

自らの意思のもとで行う与える行為でしか、人に与えられないと思っていた

そしてそれには時間を置いて返礼が伴う、と。

贈与論そのものです。

 →こう来て

←こう来る。

 

なんとなく、自分で良かれと思ってやっていることではなくても、なんらかの形で自分の行為が人に利益をもたらすことがあるかもしれない、というのはわかってはいました。

「ありがとう」と直接言ってもらわなくても、私から利益を受けている人がいるかもしれないと前向きになれるというか。

でも言葉にはしづらいというか、言ってはいけないというかそんな気持ちがありました。

でも彼女の一言ですっきりした。

 

これはおそらく「私にとって彼女は何か」という関係にも当てはまります。

どちらも無意識で始まって、いつしかそれがお互いの自分の一部になっていた。

reciprocal!

だから利益という概念なんて掠りもしないんです。

ここに彼女の単語選びのセンスを感じます。

外部からお肉などの塊を咀嚼して消化する一方的な行為ではなく、成形前の柔らかいパンのタネを捏ねているうちにパンと自分の境界がわからなくなった、そんな感じ。

あれすごく気持ち良いですよね。

しかもどちらかに留まってしまっているのではなく、この交換運動は現在進行形で継続中です。

だから、矢印で表すなら🔁ですね。

動きをたくさんつけてGIFにしたいくらい。

 

それにしても「一部となる」ってものすごいことです。

彼女が一番すごいのは、ただ私から何かを吸収しているだけでなく、それをきちんと消化しているところ。

これは言い換えれば私が彼女にたまたま消化しやすいものを与えていたからかもしれないし、単に彼女の消化器官が優れていたからかもしれない。

長い時間をかけて消化という行為に向き合っていたからかもしれない。

いずれにせよ「一部」という言葉の裏には膨大な過程を感じさせる何かがあります。

 

ちなみに私は食べ物でも、知識でも、愛情でも取り入れすぎてパンクすることが多々あります。

ここは欲望に忠実というよりは、感受性が豊か、好奇心と食欲が旺盛に言い換えておきましょうかね。

歩く受容体みたいなんだと思います。

パンクするのもブレイクスルーというか、結構重要な成長の機会だと思うんですけど、立て続けに起こるとどうも難しい。

私は多分それが主な理由でここ数ヶ月疲れていた。

吸収の対義語は消化なんですよね。

発散ではない。

だから取り込みすぎるとあくまで内にしばらくこもっている。

 

 

そンな感じで疲れてしまったので、私は「もらう」「あげる」という意識のもとに行う行為をできるだけ減らしていこうと思います。

ブログにしたって多分そういう意識で書いていると私も読んでいる人もつまらないだろうし。

意思伝達の手段として、自分の考えを文章を通してわかりやすく伝えるという技術は磨いていきたいけれども。

 

実はそこがブログ以上の文の単位(本など)の良いところでもあって、書く側もそれなりに推敲を重ねている(はず)なので、消化する側もそれなりに根気が要る。

そういった時間のかかるコミュニケーションは速度を重視していない分、議論が深められるんではないかなと。

 

「あげる」ことを意識的に行い見返りを求めないほど私は今のところ出来た人間でもなければ余裕もないし、そういったサイクルに疲れてきてしまった。

解消するにはこの「あげる」意識の低下をしていきたいなと。

そしてそれをこの記事のタイトルのように行為の棚ぼた化と名づけたいと思います。

主体を自分ではなく周りに置き換えています。

私という棚からぼた餅が落ちているんだけれども、私は落としていることに気がつかない

(すごくアホっぽく聞こえますけど、私実際によく落し物をするのでこれが自分にとってもっとも適切な表現ということに落ち着きました)

行為には主語があると考えられがちですが、この場合主語があるようなないような、撞着語法になってしまいました。

私は何かを誰かや何かに与えているかもしれないけど、そういった意識を常に持つ必要はない。

数とかも数えない。

消化できる人はうまく消化してくれるだろうし、食あたりを起こす人もいるかもしれないけれども。

これを無責任といった言葉で片付けるのは簡単ですが、

少なくとも自分ができる範囲の行動が誰かのためになれば良いな、と思って生きていればそんな悪いことは起こらないのではないか。

 

5秒ルールみたいな感じで、もう一回拾って自分で食べてしまっても良い。

こうやってくどく書いているのも自分自身を説得させようとしている部分が大きいので、普段から自然にバランスが取れている人は当たり前すぎて読んでいてもわからないかもしれません。

自戒を込めて一言で言うと

好意でやっても返ってこないことの方が大半だし、気にするな、気にするなら無理してやるな」という話ですね。

 

少なくとも今のところは私はアンパンマンのようには自分の身を削ってまでできないからです。

前からそうではないかと思っていたけど、認めるのに時間がかかりました。

 

それに意図的な「贈与」と「返礼」だけでは、やっぱり世界はつまらないじゃないですか。

 

ここは実はボランティアをしている方に聞きたいところです。

あと個人的に非常にお世話になったけどいまだに理解できない、イスラム教などの「喜捨」の精神がある宗教の方や地域の人と話してみても面白いかも〜

 

ここまで書いて思ったけど、私は何かを誰かに与えていて、その返礼として友達から言葉をかけてもらったとも言えるのかな。

マイナスが、プラスに...逆もまた然り。

わー贈与の輪から抜け出してぇ〜!

 

〜近況報告〜

 

・友達と会った日の帰り道にものすごいボルゾイ、オーラで例えるともののけ姫のモロが、しかも三頭が悠悠と散歩していたので、ありがたい言葉を忘れかけるほどだった。

・スペイン人の女友達と二人でクリスマスイブを過ごし、「飲みすぎて苦しいのでブラを取っても良いですか」と訊いたら「当たり前じゃん、家父長制なんか崩壊しとるんじゃ!」(?)と返された。

・現在のハウスメイトの一人が40代のおじさんなのだが、最初に彼の娘が登場、そして次はオネエの同僚(?)が出てきてなかなか本物に会えないかと思いきや、最終的に出てきたのがボブ・マーリーだった。

 

周りに起こる現象がすぐに消化できない、あるあるですね!

 

・参考文献

 うしろめたさの人類学

 

受容体が強すぎる人は読みやすすぎるのに内容のインパクトがすごいので、オーバーフローしないように気をつけてください(私は一年以上引きずっています)

 

性食考

かいじゅうたちのいるところ」の怪獣と主人公の関係くらい、人を好きになってみたい

 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

「パンヴェニスト」って汎(パン)・ヴェートーヴェンの人みたい(?)

 

街場の文体論 (文春文庫)

文中の「滔々と」という表現が素敵。ザ・表意文字と言ったところか。これはいつか使ってみたい

 

・関係ないけど今読んでいる本

数学する身体 (新潮文庫)

イミテーション・ゲーム」もう一回見たくなった

 

人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書)

もう人が物語なんじゃないか。「利己的な遺伝子」ならぬ、人は物語の乗り物

 

あたしとあなた

わたしじゃなくて「あたし」なのがポイント。読書用じゃなくて観賞用のタイプの本です

 

今年もよろしくお願いしま〜す!

 

チャイ!

芸術の秋だよ!①〜完全自己満足応援鑑賞〜

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 暇なときにInstagramPinterestTumblrなどで、とくにアートを閲覧するのが好きです。

Vimeoのアニメとかも楽しい。

(もしおすすめのサービスやアカウントがあったら教えてください)

今のご時世はお金がなくて引きこもってても、画面をスクロールして保存するなりスクショするだけで自分の好きなコレクションができる。

良い時代ですね。

 

しかし便利すぎるサービスはいつの間にか膨大なアーティストを抱え始め、収集がつかなくなって来てまいりました。

私のアカウントも同じ!

整理するの苦手なんですけど、多分そろそろやらないと手遅れになるので実験的にこのブログで試みることにします。

ただまとめてもつまらないのと、思い入れの強い作品を紹介する方法として、応援鑑賞という手法を取りました。

映画の応援上映の絵画バージョンです。

これは三日前に思いついた割には我ながら素晴らしいコンセプトだと思っています。

 

映画館、展覧会、美術館、劇場って、少なくとも日本では大抵の場合「喋ってはいけない場」になってるじゃないですか。

中でももっとも曖昧なポジションにある映画館に関しては、心なしか海外の方が面白いときは笑うとか、どんでん返しの場面で「マジかよ(息を呑む)」みたいなリアクションがよく聞こえる気がします。

応援上映ではないけどより自然に感情が出せる。

そっちの方が個人的には楽しめるし、自分自身が感情を無意識に表に出しやすいので気を使わないで済むというか。

「他のお客様のご迷惑になる」という口実を使って注意しなくても、ある程度のマナーはみんなわきまえつつ楽しむみたいな。

 

これは多少、美術館にもあっていいんじゃないかと思う。

音付きのインスターレーションとか子ども向けの展示じゃなくても、一つの絵を目の前にして一緒に行く人と喋りながら見るというのはなかなか面白いものがあります。

映画と異なり文字やセリフを含まない絵画こそ、敢えて小さく横にある解説を読まず自分なりの解釈を展開する余地があるんではないでしょうか。

 

ちょうど一年くらい前、満を期して『怖い絵』展に美術好きの親戚のおばさんと行ったときの話。

上野で有名な展覧会ということもあって、激混みだった。

中野京子先生の著作は中学のときから大体網羅して3回くらい読み返してるのと伊達に学部で歴史専攻だったわけじゃないので、ほとんどの絵の主題と解説が私の頭に入っていました。

だから私より背が低くて、混雑したなかで人を掻き分けるのに苦戦していたおばさんに全部解説してました。

そしたら密集したなかで近くにいた人に舌打ちされ、黙れみたいなことを言われた。

狭い、狭いよ!狭いのは会場じゃなくてあんたの心だよ!!!!

こちとら雑談してるわけでもなし、あなたの手元にある数百円払って使ってるオーディオガイドなしで親戚孝行しようとしているというのに!

文系苦学生の数少ない使い道を阻まないでくれ〜

 

あと美術館が嫌いな人の視点に立ってみても、「アートそのものが嫌い・興味がない」というよりも「異様に冷房を効かせている」や、「人混みが嫌い」「緊張感がある雰囲気なので疲れる」など、満員電車の話ですか?というような、アートと関係ない意見も目立ちます。

これももったいない。

 

何度ブログで取り上げようと思ったことか!未だ畏れ多い。絵画の解釈の正しさなんてのはなく、楽しんだもんがち。しかもよりスリリングな形で...!この人の解説と観点ならアート以外でも何でも楽しく読めそう。日本人の苦手な聖書トピックから、大人気の血みどろヨーロッパ王家、ギリシア神話、古典ものなど幅広く網羅。

怖い絵 (角川文庫)

 

・・・という経験などがあったあとで、オランダに来てコレクションの素晴らしさに対し空いている美術館に驚き、喋っても写真を撮っても床に座っても怒られないことに感動しました。

真珠の耳飾りの少女も超近くで見れるし、ゴッホジャポニズム展も3周したし、バベルの塔なんか日本から帰って来たのを出迎えました。

トルコの博物館も庭に石柱は横倒しされてるわ、猫は自由自在に出入りするわで無法地帯だった。

全体的にゆったりしてるから小声で話す程度なら誰も咎めないし、子どもが走り回ってても全然余裕。

より作品と人間がインタラクティブであるなぁと思いました。

それは飾られるのみで、自ら言葉を発する術を持たない作品にとっても良いことなんじゃないかと思います。

 

そしてワタクシの永遠の憧れでもある、アンドレ・ブルトン的なことをやってみたかった。

「私の好きな作品群はシュルレアリスムとします!(バーン!)」→本になる流れとか、最高じゃないですか。

自分の好きなもの群を系統付けて新しい名前をつけるって意外と大変そうだけど...

でも多分いわゆるアートの〇〇派なんてだいたい後付け的だし、後世のオタクたちによって名付けられたものでしょ。

 

澁澤龍彦も大絶賛のキュレーション力。確かこの本で『聖アントニウスの誘惑』(多分表紙?)というキリスト教百鬼夜行・魑魅魍魎な賑やかでドストライクな主題を知った。ウンベルト・エーコも芸術集大成的なことをしたけど、守備範囲の広いブルトンの方が個人的には好み。こういう本は青山ブックセンターが強い。

魔術的芸術: 普及版

 

あと最近遠方の友達と電話してて気が付いた。

好きなものや人を褒めるのめっちゃ楽しい。

「頑張って」とかじゃない、そのまま十分頑張ってるから!あなたは!!!

 

Facebookのいいね(ハートその他もあるけど)で終わっちゃもったいない。

電話で話すように具体的に褒めちぎりたい

スクロールしてボタンを押すだけなら、回転寿司で流れてくる皿を「美味しそ〜」と思うのと同じ。

自分で選択し、手を伸ばし、皿を取り、実際に咀嚼しなければ。

そこで初めて、単なる情報の集合体だと思っていたものが意味を持ってくるのではないかな。

これは情報過多・飽和社会でいちいち実行するのは不可能に近く、だからこそ「いいね」が開発されたと思うんですけど、ほんとにこれは記事にしろ何にしろに対し、自分の思いを数値化できているのだろうか。

というか、単なる数値化で終わっていいのかというね。

 

好きなものくらい、自分の言葉で表現したい。

 

直感的に好きというのも超大事な感情だけど、それもいっぱしの説明になりますからね。

 

...というわけで今回は私の好きなアート作品を、ブログ上ではありますが激励したいと思います。

応援上映ならぬ応援鑑賞?熟語の前半と後半の相性の悪さハンパないけど。

長ったらしい解説はなく、単に好きなものの好きな部分を褒めるという完全に自己満足な仕上がり。

絵画という表現の自由に鑑賞者の表現の自由を重ねた、タブルチーズバーガーです。

(これからこういうわけのわからない比喩がたくさん出て来ます)

作品間の流れは意識したけど、順不同!!!

文字だけなのに私のうるささを知っている人はすごくうるさく感じるかも。

 

スタート!

 

現在の私の好みを大まかに言うと「色をたくさん使ってるのに統一感がある」作品が好きです。

 

この嗜好に気が付いたのは、やはりオランダの誇るピエト・モンドリアン先輩のおかげかも。

 

いわゆる完全体の赤黄青黒白になるちょい前の作品が好き。

印象派の影響を受けつつ、自分の味を出そうとしている...

 

\\\\取り込まれたい////

https://i.pinimg.com/564x/ad/b4/78/adb478650c70579a44a6e2fa0f4c76ae.jpg

形もかわいすぎ....

ほんのりくぼみが赤くて、赤血球みたい。

絶対に何か受け止めてくれる形ではある。

ツモリチサトの可愛さの破壊力の高い色合いもここら辺から来ているのではないか。

かわいいのに毒がある、きれいなものには棘がある!

アメルスフォールトのモンドリアン美術館は小さいながらも粒ぞろいでしたよ。

 

モンドリアンがカラフル→モノトーン・三原色に行ったなら、その逆はオディロン・ルドンかな。

 

\\\\空は青だけじゃない//// 

https://d32dm0rphc51dk.cloudfront.net/F0Ro2FVLvmuNz_fUfru6MQ/larger.jpg

初期の人面花とか人面蜘蛛とかもティム・バートンぽくて好きだけど、この時期の開放感のある作風には敵わない。

タイトルにアポロンて入ってるのに、馬のテンション高すぎて全然頭に入ってこないし。

一番好きなのはキュクロプスの絵だけど、エピソードが悲しいから載せない(詳細は前述『怖い絵』参照)

下の部分が黒いのは奈落の底かもしれないけど、イカロスじゃないので落ちても死なないっしょ。

 

色はビビッドになるけど、動物の生き生きした感じはフランツ・マルクが最高だと思っています。

 

\\\\ていうか動物どこ//// 

https://www.kunst-fuer-alle.de/media_kunst/img/41/m/41_00607531.jpg

このレベルになると、動物を生命の輝きレベルで見ることができるんでしょうか。

共感覚的な...?

描写にしたって、オノマトペ以外で説明できなくない?

目のやり場にも困るな〜縦横無尽で、どこから始めればいいのか。

私はまだまだ馬のお尻(?)くらいしか見えません。

まだ原型をとどめている動物のシリーズもあって、なかでもネコ科が可愛くっておすすめ。

 

ここらへんから幾何学模様が多くなってきます。

そしたらパウル・クレーだ。

 

\\\\いつか夜の仄かな闇から現れ出て//// 

https://img.posterlounge.co.uk/images/wbig/poster-einst-dem-grau-der-nacht-enttaucht-378683.jpg

テンションが上がりすぎてタイトルを叫んでしまいました。

この作品は神保町の古本屋街で運命的な出会いをしたんです。

原始的であり神秘的、複雑な色使いの中での統一感、といった言葉では表しきれない。

初めて色鉛筆を買ってもらった子どもの遊び心の結果にも見える。

四角を組み合わせて色を塗るだけで、こんなに表現の幅があるものなのか。

このパッチワーク的な作品と関連してバウハウス・テキスタイルという可愛くて悶えるシリーズもあるよ!

興味のある方は調べてみてね。

 

クレーの相方はヴァシリー・カンディンスキーかな?

 

\\\\万華鏡と顕微鏡のマリアージュ//// 

https://www.wassilykandinsky.net/images/works/55.jpg

まっさらな空を見上げるときに、誰しもプランクトンみたいなのが見えるじゃないですか。

それがなんなのかはよくわからないけど、多分カンディンスキーが空を見上げたときに彼の目にはこう映ったんではないかと思う。

太陽でチカチカしてるのも相まって、微生物っぽいのがカラフルに見えたのかも。

そんな目の不純物をゴミと捉えずアートに消化する目の付け所がさすが...!

他の作品はその音楽性のせいか結構圧倒されてしまうものが多いんだけど、これは親しみやすかったのでポストカードを購入しました。

ミカヅキモとかミジンコとか懐かしい。

 

サイズ大きめにマーク・ロスコ!一番のお気に入りかも。

 

\\\\邪道にして王道//// 

https://i.pinimg.com/564x/67/0c/8e/670c8e08d0b6f2a43206dcbee5638a6c.jpg

まず何よりも、エネルギーがすごい。

これだけ有無を言わせない自信の満ち方を見せつけられると、たじろいでしまう。

でも絶対そこからもらえるエネルギーはマイナスじゃない。

方向的に丸く包み込むというより、前から受け止めて後ろから押されるので、多分同じ絵を自分を挟んで両側に置いたら体内の磁場が狂う

大好きで大好きで何度も見ているけど、いつか実物を見て日光浴ならぬ絵画浴がしたい〜

このアーティストはイカす美術教授に教わりました。

 

うーん、さすがにロスコ相手はちょっと疲れてきた。

波動パネぇって!

箸休めにはならないけど、気分転換にはなるかな、ロイ・リヒテンシュタイン

 

\\\\貫きたいからこそはみ出す//// 

http://www.artnet.com/WebServices/images/ll00086lldoX9GFgUKFJ3CfDrCWvaHBOcZJJE/roy-lichtenstein-imperfect,-from-imperfect-series.jpg

ただのアメコミ完コピおじさんかと思ってたらそんなもんじゃなかった。

これも偶然出会った作品。

見えるね、一度完全体を崩してみたくなる衝動がね!

でもそれは明確なゴールあってこそ。

タイトルのimperfectも納得で、否定形の接頭辞も元からある単語に付け足すもの(im)で、必ずしも不完全→完全ではなく、完全→不完全という流れもありなんじゃないか。

相互補完ですね。

やばい。ここまで抽象的な絵を相手にしてると文体が占い師みたいになってくる。

Moco Museumの展示、最高でした。

 

次はポール・スミスよりおしゃれだと私の中で話題沸騰中のブリジット・ライリー。

 

\\\\水面か森林か夕焼けかどこにいるの〜//// 

é¢é£ç»å

美しい自然を目の前にして、一体化する錯覚は誰しも経験があって、きっとこれはその視覚化したのかな。

クレーもそうだけど、こういう絵ってどこから書き始めて、何色から塗るんだろう。

斜めな四角形がゆったりした流れを作ってるけど、この色使いで落ち着き方は反則でしょ〜

エル・グレコくらいグイグイ三原色押されると引いちゃうんだけど、この人やデ・ステイル作品の引き際の良さというかなんというか。

今気がついたけど、両側に置いている色が暗めなので真ん中が浮かび上がるように明るく見えるぞ!

 

最後に、この方をもちましてを一度総まとめとさせていただきたい。

 

ダミアン・ハースト

 

\\\\全自動博物館おじさん//// 

www.instagram.com

まさかのインスタグラムからこんにちは。

正直一番好きな作品群はこれじゃないんだけど、その中でも全体の代表な気がした。

(架空沈没船を引き上げたベネツィアのシリーズが一番好き)

この狂気じみるほど整然とした色を並びといったら。

作品"群"というのも、彼の作品が多岐に渡るなかで必ずグループ化できるから。

そしてグループ間をつなぐキーワードが「コレクション」だと思う。

当たり前かもしれないけど、グループ内とグループ同士の作品群を全体像として見たとき、矛盾なく創作するというのはとても難しい。

何よりも作品量がとてつもないし。。。

コレクターと作家が一つの人間に存在することって有り得るんですねぇ。

 

<まとめ>

 

ダミアン・ハーストのコレクション/制作の仕方と、紹介してきた絵たちの「色々な色を使用するのに違和感がない」というのは似たようなものじゃないか。

これも人間の欲深さというか、自然にある色(もの)に名前をつけることで支配し、敢えて並べたり混ぜたりもしてみたい。

そうやって出来上がった作品は一目では違和感を感じるものの、おそらく誰しもが心の奥底では持っている欲望を具現化したものなので、見ているとなんとなく落ち着くのかな。

征服欲が満たされるというか。

それが色を研究し尽くした一流のアーティストによるものなら尚更なのかも。

そもそも「何かを描く・表象する」というのも、始まりは対象物に対して完全に一方的な行為だと思っている。

古代ギリシアの彫刻家のなかで「一から彫る(=作る)のではなく、もとから石のなかにある像を彫り出すのだ」みたいなこと言ってる人もいたけど。

難しい!難しいよ〜!

でも一方的に作り上げて出来上がった作品が、これまた一方的に発信するよりは鑑賞者と何らかの形で話せたほうが楽しいんじゃないかな。

すでにこの世にいない作者にとってはファンとの唯一のコミュニケーションツールであるし。

考古学もモノに対する再解釈が可能であり続けるから面白いのであって。

 

以上は厳選した作品で、もちろん今回だけで紹介しきれなかった作品がまだまだあるのと、次は絵画だけなく建築・写真・イラストなども入れられればと思います。

日本の現代のイラストレーターはたくさん好きな人がいるんだけど、もう少し古いと全然知らないな〜

私の知る限り日本芸術で紹介したなかで上の作品群に似てるの、田中一光くらいか。

浮世絵にインスパイアされてる西洋美術は大好物だけども。

 

以下は次回の参考文献です。

 

タッシェンさまさま〜!

もちろん表紙はロスコ。

Art of the 20th Century: Painting (Taschen Art)

あと理論を深めたいので、余力があればゲーテの色彩論でも読むかな。 

ゲーテほど全て事象に対するオタクもいないかも。

人生が足りたのか不安。

他分野の専門同士で話しててこの人に行き着くことが多い。

色彩論 (ちくま学芸文庫)

そうそう、きっかけは忘れたし何が何だかわからないけど気になってるシュタイナー

ルドルフ・シュタイナー 遺された黒板絵

日本のアートブック出版社の中でイチオシのパイ・インターナショナルも新刊で良い本出してるんだこれがまた。

デザイナーのためじゃなくて、鑑賞者にもヒントになることが多そう。

配色の教科書-歴史上の学者・アーティストに学ぶ「美しい配色」のしくみ-

前にも紹介したかもしれないけど、色を研究することは認知科学文化人類学言語学など幅広いです。

これは2017年の激おすすめ本。

言語が違えば、世界も違って見えるわけ

それでは、また!

https://2.bp.blogspot.com/-hjdn2uNxcKY/VoX5bK3LhuI/AAAAAAAA2VY/8BT4C0HXdAs/s450/message_goseichou_woman.png

 

書店定点観測:東京⇆アムステルダム

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今年の北半球はどうかしており、普段は冷夏のオランダさえも40度に達した、と思いきや八月下旬の現在はすっかり秋模様です。

夏は脳みそが沸騰して読めなかった本にもじっくり取り組みたい季節になってきました。

 

以前書いたかも知れませんが、私は本そのものや読書という行為よりも、どちらかといえば本を含めた本のある環境が好きなのです。

となるとやっぱり本屋が好きで、見かけると吸い寄せられるように入ってしまう。

それは世界のどこにいても同じなようです。

現在住んでいるオランダでもいくつかお気に入りの本屋さんが見つかりました。

今ではアムステルダムに行く用事があるときは必ず通うようになりました。

今回はオランダに住んで半年が経ち、ほぼ月イチのペースでアムステルダムの本屋さんを定点観測していて、東京との違いに気がついたことをまとめたいと思います。

(ちなみに東京では少なくとも3日に一回のペースで何かしらの本屋に行っていました。毎回買うわけではないけど。)

 

主に以下の三点になります。

  1. 見つけるのではなく、見つかる
  2. おすすめを構える
  3. 書籍の入れ替わりのペース

 

1. 見つけるのではなく、見つかる

 

世界にどのくらいの本が流通しているのかは知りませんが、途方も無い量であることは確かです。

たかが人間の短い一生のうちに全て読み切るはずもなく、どんなに読書量の多い人でも読む冊数は非常に限られてきます。

そんななかで「読みたい本を自分から見つける」というのは図々しい気がしてきました。

経験したことがある方も多いかもしれませんが、自分に合う本は自分を見つけてくれるんですよ。

なんかふと目に入って、理由はわからないけど目が離せない。

本屋さんも同じで、ぼーっと歩いてるときになぜか看板を見つけて入る。

この偶然が非常に大事だと思います。

私たちはインターネットが発達した結果、自分で探せばどんなものでも見つかるという錯覚に陥っているのです。

でも実は全然そんなことはなくて、検索して辿り着ける情報なんてたかが知れている。

偶然だろうが必然だろうが、虚構だったとしても「運命を感じる出会い」というのはこのご時世に必要なことだと思うんです。

そんな貴重な体験を本屋さんは教えてくれます。

 

今やほとんどFacebookと同義語になったTinderもこの虚構性の上に成り立っていると思います。課金バージョンはどんなのか知らないけど。『でああす』も関連してるかな↓

 

出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと

 

2. おすすめを構える

 

とはいえ、どんなに魅力的な本でも初対面で衝動買いすることは少なくなっているような気がします。

私が両都市の本屋さんを通いつめて気がついたのは、各書店のカラーとも言える推薦本の扱い方でした。

人間は単語でもなんでも繰り返し目に入るものを比較的覚えやすい傾向にあります。

それは本とて同じで、本当に本屋として特定の本を売りたかったら、何かしら目に入る仕掛けを本に纏わせるはずなのです。

アムステルダムの本屋さんは、比較的その傾向が強いように思います。

老舗の居酒屋みたいに表立ってメニューは置かなくても、常連なら絶対頼むものがある。

しかしこれは何度か通いつめなければわかりません。

私が驚いたのは、アムステルダムの大半の書店は半年間そのおすすめがほとんど変化していないことです。

行くと絶対いつもの場所にいて、目に入るようになっている。

流石に3回目くらいになると思わず手に取ってしまう。

違う本屋で同じ本を同じようにおすすめしていたら、さらに気になりますよね。

 

数カ月に渡る積ん読後、やっと読み始めたオルダス・ハクスリーのメスカリン体験記。言語中心の世界を否定しつつ、視覚を言語化できる点においてこの人の右に出る者はいないだろう。↓

 

The Doors of Perception: And Heaven and Hell: WITH Heaven and Hell

 

3. 書籍の入れ替わりのペース

 

東京は本の入れ替わりが激しかった。

3日に1回行っていても、毎回どこか変化している。

私はそのペースに慣れていたので、こちらに来てからもツイッターやインスタグラムで本屋さんや出版社をフォローして、ほぼ毎週くまなくチェックしていました。

アカウントも相当マメで、ほぼ毎日新刊情報を発信している。

でもこれは1.で書いたことと真逆で、やっぱりこちらから踏み込みすぎるといけない。

何よりも読みたい本の題名をメモするだけでも一人の人間の脳のキャパシティを超えてしまって、読むことが追いつかない。

アムステルダムの本屋さんは、まずおすすめをどっしりと構え「ウチに来たならまずこれ読んでみな」と言ってくる。

出版のペースに惑わされずに、まあ落ち着きなよと。

古典もなかなか良いよ、表紙も素敵なバージョンが出たし、といったように。

これは一見「本を売る行為」から離れているようで、結局一番読者および消費者に寄り添っているので、結果的に売れ行きにも繋がるのではないかと思います。

 

日本語でも英語でも読んだ、言わずと知れた世界的名著。インスタグラム(rupi kaurさん(@rupikaur_) • Instagram写真と動画)でフォローすると詩が無料で読める。ポジティブバージョンの新刊も良かった↓

 

Milk and Honey

 

結論

 

何事もスローペースが良いなんて言うつもりはありませんし、現実的ではありません。

(いまだにオランダの事務手続きの遅さに辟易しています。日本のアマゾン過剰再配達も今となってはどうかと思うけど。)

一方で、東京のペースで本屋に通い、東京のペースで本を読んでいた私としては、本に限っては急いで探して読むものでもないし、量を競うべきものでもない。

でもそれが東京にいると起こってしまっていた。

本も結局情報の一部なので、効率よく取り込みたい気持ちがあった。

こちらに来てから本屋の構え方の違いを見て、無理をしなくなった。

読む言語が主に英語になって日本語より読むペースが遅くなったとも捉えられますが、なんとなく生活全般に言えることのような気がします。

 

日本の大学からのアンケートでも何を読んだかではなく、一月の読書”量”を聞かれることが多々あったんですけど、あれってどうなんでしょうね。

一回自分が読みたいタイプの本をいくつか読み始めて見つけたら、感覚さえ研ぎ澄ませていれば、あとはなぜか芋づる式にあちらから出てくるものだと思います。

キーワードでもジャンルでも、なんでも。

もちろんお気に入りの本屋さんを見つけて、そこに全信頼を置くも良し。

だからこちらから無理に探すこともない。

「読書量をこなしたくてもどうこなせばいいのかわからない」と思うのも贅沢な悩みで、且つ読書にハマり始めたときの醍醐味でもあると言えますけれども、乱読も結局限界があるので無理して全く興味のない本を読む必要もない。

ダニエル・ペナックも『読者の権利10カ条』に「読まない権利」を真っ先に挙げていますしね。

出版不況だからか競争社会だからか、本読みを自称していると「月に何冊読むの?」という質問はよく聞きますが、それよりも「好きな本屋さんは?」「おすすめの一冊は?」といった言葉がより投げ交う世の中になってほしいなと思います。

 

子どもに「本を読む」と言う能動的行為の強制というよりは、受動的な行為を仕掛けることで読書に引き込む仕組みを紹介した画期的名著。すでに本好きの大人でも新しい発見があるはず。↓

 

ペナック先生の愉快な読書法―読者の権利10ヶ条

 

 

そろそろどの本屋の話をしているのか気になってきたと思いますので、紹介したいと思います!(順不同)

 

東京

 

良い本屋さんのある街は、良い街!

 

青山ブックセンター本店

 

行きつめた六本木店の閉店には胸が痛みました。平成最後の恥。

www.aoyamabc.jp

 

・本屋 B&B

隠れ家にもほどがある。改装した新店の奥行きが嬉しい。

bookandbeer.com

 

・かもめブックス

最高な坂の上に最高な本屋さん!行くと3周はする。

kamomebooks.jp

 

・代官山 T-SITE

 ゆっくり座って読める本屋の存在をここで知った。実は渋谷から歩ける。

real.tsite.jp

 

アムステルダム

 

狭いわけでもないのに、階段と階数が多い本屋が多い。

 

・The American Book Center

青山ブックセンターの生き写しかと思った。大好き!

www.abc.nl

 

・Waterstones Amsterdam 

イギリス初、ABCの異母兄弟(個人の意見です)。二階?の詩集コーナーがおすすめ。

www.waterstones.com

 

・Athenaeum Boekhandel 

上の二つと非常に隣接している。いくつもの階段で完全に迷宮と化している。

www.athenaeum.nl

 

・TASCHEN

美術出版社の大御所らしく、美術館エリアに近接している。豪華な見た目の割に値段が安いので、店ごと買いたくなる。

www.taschen.com

 

今回は様々な点を考慮して各都市四つずつに絞りましたが、まだまだおすすめがありますし、教えたくない本屋もあります。図書館も素敵なのがいっぱい。

それはまた別の機会に!

長編が読めない

人間はラクなものに流れる方向にある。

上半期の授業を終えた最近の私が非常にいい例であるが、高い生活費・学費を払ってもらっているにも関わらず、こんな生活を送っているとは口が裂けても言えないほどだ。

 

さて、私は長編が読めない。

映像でも連続ドラマやテレビシリーズにはまった試しがない。

小さい頃テレビを見る時間が制限されていたことが影響しているかもしれない。

月曜日、ブラックジャックのあとのコナンは見せてもらえなかった。

 

いや、それかもともと飽きっぽいからだ。

だいぶ前の話になるが、プリズン・ブレイクもプリズンがブレイクする前に見るのをやめた。

ハリー・ポッターロード・オブ・ザ・リングスターウォーズなどなど、断片的には見たり読んだりし、素晴らしいとは感じたものの、一から全部見る気にはとてもなれなかった。

ちなみにゲーム・オブ・スローンズは元彼に「見ないと人生の半分は損してる」と脅されたが、付き合いはじめたときには3シリーズ目などだいぶ進んでおり、当時そんなに一気に見る時間もなければ、よく考えてみれば彼と過ごしていた時間の方が人生において損をしている、と思うに至ったためもちろん見ていない。


強いて「追いかけている」と言えるのは漫画のワンピースくらいだろうか。

でもこれはもはや意地というか執念というか、この作品に魅了されてしまった人の定めだと思う。

ちなみに最近、躍起になってナルトを全巻(72巻)読んでみたのだが、ワンピースとの作品の作り込み方の違いに圧倒させられた。

この二つはほぼ同時に連載が始まったものだが、二つがお互いを生かし続けたのも畑が違いすぎたからだろう。

画のスタイルからストーリー設定まで、何もかも違う。

前者ではあくまでナルトとサスケという二項対立が決してブレない(「もうサスケは諦めたら?」と後半は思うほどだ)一方、後者は内容と仲間と敵と伏線が増殖し続けている。

ワンピースの収集のつかなさに不安を覚えはじめているのは私だけではないはずだ...

作者の頭の構造に私がついていけていないということももちろんあるとは思うが。


それはさておき、振り返ってみると私が今まで紹介している本の中にも長編はほとんどない。

短編集やオムニバスがほとんどであり、学術書でも各章毎に切り口が全く異なっていてこの私でさえも飽きさせないものが多い。

 

その原点は星新一にある、と今ふと思った。

ちょうど私が小学生の頃に、和田誠が装丁を手がけた非常に親しみやすいショート・ショートセレクションが刊行されたのだ。

星新一ショートショートセレクション(全15巻セット)

本のサイズもフォントも明らかに子ども向けで、学校の図書館にも地元の図書館にも児童書コーナーに置いてあった。

 

しかし内容は全く子ども向けではない。

私は私の人格の欠点を周りのせいにするのを特技としているが、あんなものを読ませたらすごくめんどくさい奴になるに決まっている。

まず、たいていの内容がSFというのがさらにあざとい。

星新一なんて名前もSFすぎる。

SFを嫌いな子どもがいるだろうか。

また、彼の作品はSF作品に期待されるべきである「異世界に連れて行ってくれる」効果を持つだけではない。

子どものときは異世界に連れて行かれたままだと思い込んでいたかもしれない。

短時間ですぐ酔えるショットのお酒みたいだ、とあの頃とは違い、お酒を知るような年齢になってしまった私は例えるが、少なくともショットのお酒はすぐ酔えて、ずっと酔える。

しかし彼のショート・ショートはそうはいかない(ショットとショート、似ていますね)。

つい読み終わったあとに後ろを振り返って現実を確認したくなる、そんな恐ろしさがある。

そしてパステルカラーとソフトタッチの表紙にそぐわず、意外とアダルトな描写があっても教科書よりも綺麗な字体でゆったりとした字間の中に書かれていると、これはありなのかな、とも思ってしまう何かがあった。

その点ではお酒を飲んでいるのに気がつかない、ロングアイランドアイスティー的な要素にある。

単にお酒の話がしたくなっただけ!


ショート・ショートの他にも、私の射程距離圏内であった小・中学校や図書館はなかなか選書のセンスがよかったと思う。

よりみちパン!セ シリーズ(再スタート、心から嬉しく思います)や、はじめての文学シリーズなど、なかなか粒ぞろいであった。

はじめての文学(全12巻セット)

 

今でもいつか揃えたいと思っているのはロアルド・ダールのシリーズだ。

ロアルド・ダールコレクションpart2(全12巻セット)

「魔女がいっぱい」の映画がリメイクされるらしいが、未だにそんなことが起こるなんて彼の作品ならではだろう。

ロバート・ゼメキス監督はあの作品の魔女たちの皮膚感や、ポップな言葉の中の残酷さを映像で表現しきれるのだろうか。

 

それ以上に有名で、映像化にも比較的成功したといえるのはチャーリーとチョコレート工場の秘密であろうが、もっと短くてスパイスが効いたものが山ほどある。

小学生たるもの、ダール作品からスラング、いやちょっと背伸びした言葉遊びを学ばずして小学校は卒業できまい。

 

魔女がいっぱい (ロアルド・ダールコレクション 13)  へそまがり昔ばなし (ロアルド・ダールコレクション 12)  いじわる夫婦が消えちゃった! (児童図書館・文学の部屋)

 

そして忘れてはいけないのが挿絵画家の存在で、先ほども星新一和田誠を挙げたが、ティム・バートン(監督)とジョニー・デップ(ミューズ)以上に、ロアルド・ダールにはクエンティン・ブレイクが欠かせないのだ。


これを両方やってのけてしまえるのは、さくらももこ東海林さだお(丸かじりシリーズ)くらいである。

もものかんづめ (集英社文庫) ひとりずもう (小学館文庫) たいのおかしら (集英社文庫)

シウマイの丸かじり (丸かじりシリーズ39)     アンパンの丸かじり (丸かじりシリーズ 34)   どら焼きの丸かじり 丸かじりシリーズ30 (丸かじりシリーズ 30)

 

この二人がなぜ私の好みなのか、もうお分りいただけると思うが、二人の共通点は刊行しているシリーズは長いが、作品間の連続性はない。 

もちろん一貫したテーマはあるが、さくらももこはエッセイのみならず漫画でさえエッセイ的だ。

ああ、久しぶりに読みたくなってきた...

 

このように子ども向け(?)の本というのはいつも侮れないもので、タチが悪いのが大人になってある程度お金を持つようになってから大人買いをしたくなる仕組みになっているのである。

漫画なんて、全巻セットでも古本ならば安いものである。

私はもし子どもができたら、ハタチかそこらで狂ったように大人買いをしないために漫画くらいは買ってやろうと思う。


小・中学生の頃お金がなかった私は、しかし古本屋でブラック・ジャック秋田書店の単行本版は全巻揃えると決めた。

 

ブラック・ジャック 漫画文庫 全17巻完結(文庫版) [マーケットプレイス コミックセット]

ちょっと汚いものならすぐに百円になるからだ。

 

手塚治虫は"たくさんの"作品を産んだと言われているが、"細く長く"ではなく"広く浅く"であった。

いや、”広く深く”だ。

それが彼を漫画の神様たらしめた所以であるように思う。

シリーズものでも10巻を超えることはほとんどなく、超えることがあってもブラック・ジャックのようにオムニバス形式となっている。

彼自身のアンテナや知識が網羅している範囲がそのまま作品群に投影されており、様々な入口が用意されている。

そこには性別も年齢も関係ない。

同じ作品を読み返してみるもよし、黒手塚に挑戦してみるもよし。

 

MW 1  奇子 1  きりひと讃歌 1

 

人間昆虫記 (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)  鳥人大系 (手塚治虫文庫全集)

 

と、このように飽きっぽいにも関わらず私が本好きを自称できているのは、運よく粒ぞろいの作品に出会えたからだ。

 

その傾向は今でも変わらない。

留学先でせっかくなので英語漬けの日々...と思ってもやっぱり長編には手が伸びず(ペーパーバックの軽さと厚さのギャップが無理)、今では詩集に手を出す始末である。

 

Only Dull People Are Brilliant at Breakfast (Penguin Little Black Classics) The Prophet By Kahil Gibran

 

The House on Mango Street (Vintage Contemporaries) マンゴー通り、ときどきさよなら (白水Uブックス)

 

サンドラシネオローズの本は詩とはちょっと違うけど、復刊で話題になったマンゴー通り、ときどきさよならを英語で読んでみた。

口語だけど、いやだからこそ、力強い文体だ。


あとカート・ヴォネガットの未発表作品集とボルヘス奇譚集が読みたい!

はい、チーズ ボルヘス怪奇譚集 (河出文庫)

 

 

また、このブログを書く主な理由の一つとして、ツイッターのタイムラインに流れてきた#54字の文学(または#54字の物語)がある。

意味がわかるとゾクゾクする超短編小説 54字の物語

このプロジェクトはすごくて、私なんかは挑戦してみようとも思わないくらい難しい。

140字で精一杯なのに、54字って...

日本語はインターネット上の言語の多くのパーセンテージを占めていると同時に、英語よりもはるかに少ない文字数で情報を伝達できると聞いたことがある。

とはいえ54字よリも、はるかに少ない文字数で表現する、短歌とか俳句に関しては想像を絶する。

 

このミニマリズムの傾向は、少なくとも私の周囲では無視できないものとなってきている。

今住んでいるオランダもデ・ステイルミッフィー(本名はナインチェ)をはじめとした洗練されたデザインが溢れている(一方で細密画家のような「バベル」のブリューゲルとかヒエロニムス・ボスとかが一昔前に存在していたのがオランダの面白いところ)。

シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン  モンドリアン NBS-J (ニューベーシック・アート・シリーズ)

 

最近会った、私よりも日本らしいお弁当を毎日持参するイタリアの友達にMUJIのアルミ製シャープペンシルを誇らしげに見せられたばかりだ。

何よりも、あの無意味な長編記事が強みのオモコロが文字そばシリーズを導入した背景にはインターネット界のツイッター以上のミニマリズム化の波が押し寄せているのではないのかと疑うほどである。

omocoro.jp

 

しかし、人生でいろんなミニマリズムに出会ってきて思うのは、ただミニマルに収まっているだけではダメである、ということだ。

"大は小を兼ねる"ならぬ、”小が大を兼ねる”ものでなくてはならない。

ここで最初の一文に戻るが、長編が読めない私はラクをしている訳ではない、という結論に至る。

少なくとも読書においては!

....というあくまで自己肯定のための文章を書きたかった。

 

とかいって、なんだかんだ一年くらい続いてるブログ!

このブログが更新できる程度の余裕がある人生をこれからも送っていきたいものだ。

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それでは、また!