きよかのブログ

高等遊民を目指します。

芸術の秋だよ!①〜完全自己満足応援鑑賞〜

https://4.bp.blogspot.com/-7JFzJBweOE4/WlrurSi2C8I/AAAAAAABJtE/vHXZtJYAUiEMjjoHTu-cL8Z5_iejdOr-wCLcBGAs/s400/idol_fan_penlight_sougankyou.png

 暇なときにInstagramPinterestTumblrなどで、とくにアートを閲覧するのが好きです。

Vimeoのアニメとかも楽しい。

(もしおすすめのサービスやアカウントがあったら教えてください)

今のご時世はお金がなくて引きこもってても、画面をスクロールして保存するなりスクショするだけで自分の好きなコレクションができる。

良い時代ですね。

 

しかし便利すぎるサービスはいつの間にか膨大なアーティストを抱え始め、収集がつかなくなって来てまいりました。

私のアカウントも同じ!

整理するの苦手なんですけど、多分そろそろやらないと手遅れになるので実験的にこのブログで試みることにします。

ただまとめてもつまらないのと、思い入れの強い作品を紹介する方法として、応援鑑賞という手法を取りました。

映画の応援上映の絵画バージョンです。

これは三日前に思いついた割には我ながら素晴らしいコンセプトだと思っています。

 

映画館、展覧会、美術館、劇場って、少なくとも日本では大抵の場合「喋ってはいけない場」になってるじゃないですか。

中でももっとも曖昧なポジションにある映画館に関しては、心なしか海外の方が面白いときは笑うとか、どんでん返しの場面で「マジかよ(息を呑む)」みたいなリアクションがよく聞こえる気がします。

応援上映ではないけどより自然に感情が出せる。

そっちの方が個人的には楽しめるし、自分自身が感情を無意識に表に出しやすいので気を使わないで済むというか。

「他のお客様のご迷惑になる」という口実を使って注意しなくても、ある程度のマナーはみんなわきまえつつ楽しむみたいな。

 

これは多少、美術館にもあっていいんじゃないかと思う。

音付きのインスターレーションとか子ども向けの展示じゃなくても、一つの絵を目の前にして一緒に行く人と喋りながら見るというのはなかなか面白いものがあります。

映画と異なり文字やセリフを含まない絵画こそ、敢えて小さく横にある解説を読まず自分なりの解釈を展開する余地があるんではないでしょうか。

 

ちょうど一年くらい前、満を期して『怖い絵』展に美術好きの親戚のおばさんと行ったときの話。

上野で有名な展覧会ということもあって、激混みだった。

中野京子先生の著作は中学のときから大体網羅して3回くらい読み返してるのと伊達に学部で歴史専攻だったわけじゃないので、ほとんどの絵の主題と解説が私の頭に入っていました。

だから私より背が低くて、混雑したなかで人を掻き分けるのに苦戦していたおばさんに全部解説してました。

そしたら密集したなかで近くにいた人に舌打ちされ、黙れみたいなことを言われた。

狭い、狭いよ!狭いのは会場じゃなくてあんたの心だよ!!!!

こちとら雑談してるわけでもなし、あなたの手元にある数百円払って使ってるオーディオガイドなしで親戚孝行しようとしているというのに!

文系苦学生の数少ない使い道を阻まないでくれ〜

 

あと美術館が嫌いな人の視点に立ってみても、「アートそのものが嫌い・興味がない」というよりも「異様に冷房を効かせている」や、「人混みが嫌い」「緊張感がある雰囲気なので疲れる」など、満員電車の話ですか?というような、アートと関係ない意見も目立ちます。

これももったいない。

 

何度ブログで取り上げようと思ったことか!未だ畏れ多い。絵画の解釈の正しさなんてのはなく、楽しんだもんがち。しかもよりスリリングな形で...!この人の解説と観点ならアート以外でも何でも楽しく読めそう。日本人の苦手な聖書トピックから、大人気の血みどろヨーロッパ王家、ギリシア神話、古典ものなど幅広く網羅。

怖い絵 (角川文庫)

 

・・・という経験などがあったあとで、オランダに来てコレクションの素晴らしさに対し空いている美術館に驚き、喋っても写真を撮っても床に座っても怒られないことに感動しました。

真珠の耳飾りの少女も超近くで見れるし、ゴッホジャポニズム展も3周したし、バベルの塔なんか日本から帰って来たのを出迎えました。

トルコの博物館も庭に石柱は横倒しされてるわ、猫は自由自在に出入りするわで無法地帯だった。

全体的にゆったりしてるから小声で話す程度なら誰も咎めないし、子どもが走り回ってても全然余裕。

より作品と人間がインタラクティブであるなぁと思いました。

それは飾られるのみで、自ら言葉を発する術を持たない作品にとっても良いことなんじゃないかと思います。

 

そしてワタクシの永遠の憧れでもある、アンドレ・ブルトン的なことをやってみたかった。

「私の好きな作品群はシュルレアリスムとします!(バーン!)」→本になる流れとか、最高じゃないですか。

自分の好きなもの群を系統付けて新しい名前をつけるって意外と大変そうだけど...

でも多分いわゆるアートの〇〇派なんてだいたい後付け的だし、後世のオタクたちによって名付けられたものでしょ。

 

澁澤龍彦も大絶賛のキュレーション力。確かこの本で『聖アントニウスの誘惑』(多分表紙?)というキリスト教百鬼夜行・魑魅魍魎な賑やかでドストライクな主題を知った。ウンベルト・エーコも芸術集大成的なことをしたけど、守備範囲の広いブルトンの方が個人的には好み。こういう本は青山ブックセンターが強い。

魔術的芸術: 普及版

 

あと最近遠方の友達と電話してて気が付いた。

好きなものや人を褒めるのめっちゃ楽しい。

「頑張って」とかじゃない、そのまま十分頑張ってるから!あなたは!!!

 

Facebookのいいね(ハートその他もあるけど)で終わっちゃもったいない。

電話で話すように具体的に褒めちぎりたい

スクロールしてボタンを押すだけなら、回転寿司で流れてくる皿を「美味しそ〜」と思うのと同じ。

自分で選択し、手を伸ばし、皿を取り、実際に咀嚼しなければ。

そこで初めて、単なる情報の集合体だと思っていたものが意味を持ってくるのではないかな。

これは情報過多・飽和社会でいちいち実行するのは不可能に近く、だからこそ「いいね」が開発されたと思うんですけど、ほんとにこれは記事にしろ何にしろに対し、自分の思いを数値化できているのだろうか。

というか、単なる数値化で終わっていいのかというね。

 

好きなものくらい、自分の言葉で表現したい。

 

直感的に好きというのも超大事な感情だけど、それもいっぱしの説明になりますからね。

 

...というわけで今回は私の好きなアート作品を、ブログ上ではありますが激励したいと思います。

応援上映ならぬ応援鑑賞?熟語の前半と後半の相性の悪さハンパないけど。

長ったらしい解説はなく、単に好きなものの好きな部分を褒めるという完全に自己満足な仕上がり。

絵画という表現の自由に鑑賞者の表現の自由を重ねた、タブルチーズバーガーです。

(これからこういうわけのわからない比喩がたくさん出て来ます)

作品間の流れは意識したけど、順不同!!!

文字だけなのに私のうるささを知っている人はすごくうるさく感じるかも。

 

スタート!

 

現在の私の好みを大まかに言うと「色をたくさん使ってるのに統一感がある」作品が好きです。

 

この嗜好に気が付いたのは、やはりオランダの誇るピエト・モンドリアン先輩のおかげかも。

 

いわゆる完全体の赤黄青黒白になるちょい前の作品が好き。

印象派の影響を受けつつ、自分の味を出そうとしている...

 

\\\\取り込まれたい////

https://i.pinimg.com/564x/ad/b4/78/adb478650c70579a44a6e2fa0f4c76ae.jpg

形もかわいすぎ....

ほんのりくぼみが赤くて、赤血球みたい。

絶対に何か受け止めてくれる形ではある。

ツモリチサトの可愛さの破壊力の高い色合いもここら辺から来ているのではないか。

かわいいのに毒がある、きれいなものには棘がある!

アメルスフォールトのモンドリアン美術館は小さいながらも粒ぞろいでしたよ。

 

モンドリアンがカラフル→モノトーン・三原色に行ったなら、その逆はオディロン・ルドンかな。

 

\\\\空は青だけじゃない//// 

https://d32dm0rphc51dk.cloudfront.net/F0Ro2FVLvmuNz_fUfru6MQ/larger.jpg

初期の人面花とか人面蜘蛛とかもティム・バートンぽくて好きだけど、この時期の開放感のある作風には敵わない。

タイトルにアポロンて入ってるのに、馬のテンション高すぎて全然頭に入ってこないし。

一番好きなのはキュクロプスの絵だけど、エピソードが悲しいから載せない(詳細は前述『怖い絵』参照)

下の部分が黒いのは奈落の底かもしれないけど、イカロスじゃないので落ちても死なないっしょ。

 

色はビビッドになるけど、動物の生き生きした感じはフランツ・マルクが最高だと思っています。

 

\\\\ていうか動物どこ//// 

https://www.kunst-fuer-alle.de/media_kunst/img/41/m/41_00607531.jpg

このレベルになると、動物を生命の輝きレベルで見ることができるんでしょうか。

共感覚的な...?

描写にしたって、オノマトペ以外で説明できなくない?

目のやり場にも困るな〜縦横無尽で、どこから始めればいいのか。

私はまだまだ馬のお尻(?)くらいしか見えません。

まだ原型をとどめている動物のシリーズもあって、なかでもネコ科が可愛くっておすすめ。

 

ここらへんから幾何学模様が多くなってきます。

そしたらパウル・クレーだ。

 

\\\\いつか夜の仄かな闇から現れ出て//// 

https://img.posterlounge.co.uk/images/wbig/poster-einst-dem-grau-der-nacht-enttaucht-378683.jpg

テンションが上がりすぎてタイトルを叫んでしまいました。

この作品は神保町の古本屋街で運命的な出会いをしたんです。

原始的であり神秘的、複雑な色使いの中での統一感、といった言葉では表しきれない。

初めて色鉛筆を買ってもらった子どもの遊び心の結果にも見える。

四角を組み合わせて色を塗るだけで、こんなに表現の幅があるものなのか。

このパッチワーク的な作品と関連してバウハウス・テキスタイルという可愛くて悶えるシリーズもあるよ!

興味のある方は調べてみてね。

 

クレーの相方はヴァシリー・カンディンスキーかな?

 

\\\\万華鏡と顕微鏡のマリアージュ//// 

https://www.wassilykandinsky.net/images/works/55.jpg

まっさらな空を見上げるときに、誰しもプランクトンみたいなのが見えるじゃないですか。

それがなんなのかはよくわからないけど、多分カンディンスキーが空を見上げたときに彼の目にはこう映ったんではないかと思う。

太陽でチカチカしてるのも相まって、微生物っぽいのがカラフルに見えたのかも。

そんな目の不純物をゴミと捉えずアートに消化する目の付け所がさすが...!

他の作品はその音楽性のせいか結構圧倒されてしまうものが多いんだけど、これは親しみやすかったのでポストカードを購入しました。

ミカヅキモとかミジンコとか懐かしい。

 

サイズ大きめにマーク・ロスコ!一番のお気に入りかも。

 

\\\\邪道にして王道//// 

https://i.pinimg.com/564x/67/0c/8e/670c8e08d0b6f2a43206dcbee5638a6c.jpg

まず何よりも、エネルギーがすごい。

これだけ有無を言わせない自信の満ち方を見せつけられると、たじろいでしまう。

でも絶対そこからもらえるエネルギーはマイナスじゃない。

方向的に丸く包み込むというより、前から受け止めて後ろから押されるので、多分同じ絵を自分を挟んで両側に置いたら体内の磁場が狂う

大好きで大好きで何度も見ているけど、いつか実物を見て日光浴ならぬ絵画浴がしたい〜

このアーティストはイカす美術教授に教わりました。

 

うーん、さすがにロスコ相手はちょっと疲れてきた。

波動パネぇって!

箸休めにはならないけど、気分転換にはなるかな、ロイ・リヒテンシュタイン

 

\\\\貫きたいからこそはみ出す//// 

http://www.artnet.com/WebServices/images/ll00086lldoX9GFgUKFJ3CfDrCWvaHBOcZJJE/roy-lichtenstein-imperfect,-from-imperfect-series.jpg

ただのアメコミ完コピおじさんかと思ってたらそんなもんじゃなかった。

これも偶然出会った作品。

見えるね、一度完全体を崩してみたくなる衝動がね!

でもそれは明確なゴールあってこそ。

タイトルのimperfectも納得で、否定形の接頭辞も元からある単語に付け足すもの(im)で、必ずしも不完全→完全ではなく、完全→不完全という流れもありなんじゃないか。

相互補完ですね。

やばい。ここまで抽象的な絵を相手にしてると文体が占い師みたいになってくる。

Moco Museumの展示、最高でした。

 

次はポール・スミスよりおしゃれだと私の中で話題沸騰中のブリジット・ライリー。

 

\\\\水面か森林か夕焼けかどこにいるの〜//// 

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美しい自然を目の前にして、一体化する錯覚は誰しも経験があって、きっとこれはその視覚化したのかな。

クレーもそうだけど、こういう絵ってどこから書き始めて、何色から塗るんだろう。

斜めな四角形がゆったりした流れを作ってるけど、この色使いで落ち着き方は反則でしょ〜

エル・グレコくらいグイグイ三原色押されると引いちゃうんだけど、この人やデ・ステイル作品の引き際の良さというかなんというか。

今気がついたけど、両側に置いている色が暗めなので真ん中が浮かび上がるように明るく見えるぞ!

 

最後に、この方をもちましてを一度総まとめとさせていただきたい。

 

ダミアン・ハースト

 

\\\\全自動博物館おじさん//// 

www.instagram.com

まさかのインスタグラムからこんにちは。

正直一番好きな作品群はこれじゃないんだけど、その中でも全体の代表な気がした。

(架空沈没船を引き上げたベネツィアのシリーズが一番好き)

この狂気じみるほど整然とした色を並びといったら。

作品"群"というのも、彼の作品が多岐に渡るなかで必ずグループ化できるから。

そしてグループ間をつなぐキーワードが「コレクション」だと思う。

当たり前かもしれないけど、グループ内とグループ同士の作品群を全体像として見たとき、矛盾なく創作するというのはとても難しい。

何よりも作品量がとてつもないし。。。

コレクターと作家が一つの人間に存在することって有り得るんですねぇ。

 

<まとめ>

 

ダミアン・ハーストのコレクション/制作の仕方と、紹介してきた絵たちの「色々な色を使用するのに違和感がない」というのは似たようなものじゃないか。

これも人間の欲深さというか、自然にある色(もの)に名前をつけることで支配し、敢えて並べたり混ぜたりもしてみたい。

そうやって出来上がった作品は一目では違和感を感じるものの、おそらく誰しもが心の奥底では持っている欲望を具現化したものなので、見ているとなんとなく落ち着くのかな。

征服欲が満たされるというか。

それが色を研究し尽くした一流のアーティストによるものなら尚更なのかも。

そもそも「何かを描く・表象する」というのも、始まりは対象物に対して完全に一方的な行為だと思っている。

古代ギリシアの彫刻家のなかで「一から彫る(=作る)のではなく、もとから石のなかにある像を彫り出すのだ」みたいなこと言ってる人もいたけど。

難しい!難しいよ〜!

でも一方的に作り上げて出来上がった作品が、これまた一方的に発信するよりは鑑賞者と何らかの形で話せたほうが楽しいんじゃないかな。

すでにこの世にいない作者にとってはファンとの唯一のコミュニケーションツールであるし。

考古学もモノに対する再解釈が可能であり続けるから面白いのであって。

 

以上は厳選した作品で、もちろん今回だけで紹介しきれなかった作品がまだまだあるのと、次は絵画だけなく建築・写真・イラストなども入れられればと思います。

日本の現代のイラストレーターはたくさん好きな人がいるんだけど、もう少し古いと全然知らないな〜

私の知る限り日本芸術で紹介したなかで上の作品群に似てるの、田中一光くらいか。

浮世絵にインスパイアされてる西洋美術は大好物だけども。

 

以下は次回の参考文献です。

 

タッシェンさまさま〜!

もちろん表紙はロスコ。

Art of the 20th Century: Painting (Taschen Art)

あと理論を深めたいので、余力があればゲーテの色彩論でも読むかな。 

ゲーテほど全て事象に対するオタクもいないかも。

人生が足りたのか不安。

他分野の専門同士で話しててこの人に行き着くことが多い。

色彩論 (ちくま学芸文庫)

そうそう、きっかけは忘れたし何が何だかわからないけど気になってるシュタイナー

ルドルフ・シュタイナー 遺された黒板絵

日本のアートブック出版社の中でイチオシのパイ・インターナショナルも新刊で良い本出してるんだこれがまた。

デザイナーのためじゃなくて、鑑賞者にもヒントになることが多そう。

配色の教科書-歴史上の学者・アーティストに学ぶ「美しい配色」のしくみ-

前にも紹介したかもしれないけど、色を研究することは認知科学文化人類学言語学など幅広いです。

これは2017年の激おすすめ本。

言語が違えば、世界も違って見えるわけ

それでは、また!

https://2.bp.blogspot.com/-hjdn2uNxcKY/VoX5bK3LhuI/AAAAAAAA2VY/8BT4C0HXdAs/s450/message_goseichou_woman.png

 

書店定点観測:東京⇆アムステルダム

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今年の北半球はどうかしており、普段は冷夏のオランダさえも40度に達した、と思いきや八月下旬の現在はすっかり秋模様です。

夏は脳みそが沸騰して読めなかった本にもじっくり取り組みたい季節になってきました。

 

以前書いたかも知れませんが、私は本そのものや読書という行為よりも、どちらかといえば本を含めた本のある環境が好きなのです。

となるとやっぱり本屋が好きで、見かけると吸い寄せられるように入ってしまう。

それは世界のどこにいても同じなようです。

現在住んでいるオランダでもいくつかお気に入りの本屋さんが見つかりました。

今ではアムステルダムに行く用事があるときは必ず通うようになりました。

今回はオランダに住んで半年が経ち、ほぼ月イチのペースでアムステルダムの本屋さんを定点観測していて、東京との違いに気がついたことをまとめたいと思います。

(ちなみに東京では少なくとも3日に一回のペースで何かしらの本屋に行っていました。毎回買うわけではないけど。)

 

主に以下の三点になります。

  1. 見つけるのではなく、見つかる
  2. おすすめを構える
  3. 書籍の入れ替わりのペース

 

1. 見つけるのではなく、見つかる

 

世界にどのくらいの本が流通しているのかは知りませんが、途方も無い量であることは確かです。

たかが人間の短い一生のうちに全て読み切るはずもなく、どんなに読書量の多い人でも読む冊数は非常に限られてきます。

そんななかで「読みたい本を自分から見つける」というのは図々しい気がしてきました。

経験したことがある方も多いかもしれませんが、自分に合う本は自分を見つけてくれるんですよ。

なんかふと目に入って、理由はわからないけど目が離せない。

本屋さんも同じで、ぼーっと歩いてるときになぜか看板を見つけて入る。

この偶然が非常に大事だと思います。

私たちはインターネットが発達した結果、自分で探せばどんなものでも見つかるという錯覚に陥っているのです。

でも実は全然そんなことはなくて、検索して辿り着ける情報なんてたかが知れている。

偶然だろうが必然だろうが、虚構だったとしても「運命を感じる出会い」というのはこのご時世に必要なことだと思うんです。

そんな貴重な体験を本屋さんは教えてくれます。

 

今やほとんどFacebookと同義語になったTinderもこの虚構性の上に成り立っていると思います。課金バージョンはどんなのか知らないけど。『でああす』も関連してるかな↓

 

出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと

 

2. おすすめを構える

 

とはいえ、どんなに魅力的な本でも初対面で衝動買いすることは少なくなっているような気がします。

私が両都市の本屋さんを通いつめて気がついたのは、各書店のカラーとも言える推薦本の扱い方でした。

人間は単語でもなんでも繰り返し目に入るものを比較的覚えやすい傾向にあります。

それは本とて同じで、本当に本屋として特定の本を売りたかったら、何かしら目に入る仕掛けを本に纏わせるはずなのです。

アムステルダムの本屋さんは、比較的その傾向が強いように思います。

老舗の居酒屋みたいに表立ってメニューは置かなくても、常連なら絶対頼むものがある。

しかしこれは何度か通いつめなければわかりません。

私が驚いたのは、アムステルダムの大半の書店は半年間そのおすすめがほとんど変化していないことです。

行くと絶対いつもの場所にいて、目に入るようになっている。

流石に3回目くらいになると思わず手に取ってしまう。

違う本屋で同じ本を同じようにおすすめしていたら、さらに気になりますよね。

 

数カ月に渡る積ん読後、やっと読み始めたオルダス・ハクスリーのメスカリン体験記。言語中心の世界を否定しつつ、視覚を言語化できる点においてこの人の右に出る者はいないだろう。↓

 

The Doors of Perception: And Heaven and Hell: WITH Heaven and Hell

 

3. 書籍の入れ替わりのペース

 

東京は本の入れ替わりが激しかった。

3日に1回行っていても、毎回どこか変化している。

私はそのペースに慣れていたので、こちらに来てからもツイッターやインスタグラムで本屋さんや出版社をフォローして、ほぼ毎週くまなくチェックしていました。

アカウントも相当マメで、ほぼ毎日新刊情報を発信している。

でもこれは1.で書いたことと真逆で、やっぱりこちらから踏み込みすぎるといけない。

何よりも読みたい本の題名をメモするだけでも一人の人間の脳のキャパシティを超えてしまって、読むことが追いつかない。

アムステルダムの本屋さんは、まずおすすめをどっしりと構え「ウチに来たならまずこれ読んでみな」と言ってくる。

出版のペースに惑わされずに、まあ落ち着きなよと。

古典もなかなか良いよ、表紙も素敵なバージョンが出たし、といったように。

これは一見「本を売る行為」から離れているようで、結局一番読者および消費者に寄り添っているので、結果的に売れ行きにも繋がるのではないかと思います。

 

日本語でも英語でも読んだ、言わずと知れた世界的名著。インスタグラム(rupi kaurさん(@rupikaur_) • Instagram写真と動画)でフォローすると詩が無料で読める。ポジティブバージョンの新刊も良かった↓

 

Milk and Honey

 

結論

 

何事もスローペースが良いなんて言うつもりはありませんし、現実的ではありません。

(いまだにオランダの事務手続きの遅さに辟易しています。日本のアマゾン過剰再配達も今となってはどうかと思うけど。)

一方で、東京のペースで本屋に通い、東京のペースで本を読んでいた私としては、本に限っては急いで探して読むものでもないし、量を競うべきものでもない。

でもそれが東京にいると起こってしまっていた。

本も結局情報の一部なので、効率よく取り込みたい気持ちがあった。

こちらに来てから本屋の構え方の違いを見て、無理をしなくなった。

読む言語が主に英語になって日本語より読むペースが遅くなったとも捉えられますが、なんとなく生活全般に言えることのような気がします。

 

日本の大学からのアンケートでも何を読んだかではなく、一月の読書”量”を聞かれることが多々あったんですけど、あれってどうなんでしょうね。

一回自分が読みたいタイプの本をいくつか読み始めて見つけたら、感覚さえ研ぎ澄ませていれば、あとはなぜか芋づる式にあちらから出てくるものだと思います。

キーワードでもジャンルでも、なんでも。

もちろんお気に入りの本屋さんを見つけて、そこに全信頼を置くも良し。

だからこちらから無理に探すこともない。

「読書量をこなしたくてもどうこなせばいいのかわからない」と思うのも贅沢な悩みで、且つ読書にハマり始めたときの醍醐味でもあると言えますけれども、乱読も結局限界があるので無理して全く興味のない本を読む必要もない。

ダニエル・ペナックも『読者の権利10カ条』に「読まない権利」を真っ先に挙げていますしね。

出版不況だからか競争社会だからか、本読みを自称していると「月に何冊読むの?」という質問はよく聞きますが、それよりも「好きな本屋さんは?」「おすすめの一冊は?」といった言葉がより投げ交う世の中になってほしいなと思います。

 

子どもに「本を読む」と言う能動的行為の強制というよりは、受動的な行為を仕掛けることで読書に引き込む仕組みを紹介した画期的名著。すでに本好きの大人でも新しい発見があるはず。↓

 

ペナック先生の愉快な読書法―読者の権利10ヶ条

 

 

そろそろどの本屋の話をしているのか気になってきたと思いますので、紹介したいと思います!(順不同)

 

東京

 

良い本屋さんのある街は、良い街!

 

青山ブックセンター本店

 

行きつめた六本木店の閉店には胸が痛みました。平成最後の恥。

www.aoyamabc.jp

 

・本屋 B&B

隠れ家にもほどがある。改装した新店の奥行きが嬉しい。

bookandbeer.com

 

・かもめブックス

最高な坂の上に最高な本屋さん!行くと3周はする。

kamomebooks.jp

 

・代官山 T-SITE

 ゆっくり座って読める本屋の存在をここで知った。実は渋谷から歩ける。

real.tsite.jp

 

アムステルダム

 

狭いわけでもないのに、階段と階数が多い本屋が多い。

 

・The American Book Center

青山ブックセンターの生き写しかと思った。大好き!

www.abc.nl

 

・Waterstones Amsterdam 

イギリス初、ABCの異母兄弟(個人の意見です)。二階?の詩集コーナーがおすすめ。

www.waterstones.com

 

・Athenaeum Boekhandel 

上の二つと非常に隣接している。いくつもの階段で完全に迷宮と化している。

www.athenaeum.nl

 

・TASCHEN

美術出版社の大御所らしく、美術館エリアに近接している。豪華な見た目の割に値段が安いので、店ごと買いたくなる。

www.taschen.com

 

今回は様々な点を考慮して各都市四つずつに絞りましたが、まだまだおすすめがありますし、教えたくない本屋もあります。図書館も素敵なのがいっぱい。

それはまた別の機会に!

長編が読めない

人間はラクなものに流れる方向にある。

上半期の授業を終えた最近の私が非常にいい例であるが、高い生活費・学費を払ってもらっているにも関わらず、こんな生活を送っているとは口が裂けても言えないほどだ。

 

さて、私は長編が読めない。

映像でも連続ドラマやテレビシリーズにはまった試しがない。

小さい頃テレビを見る時間が制限されていたことが影響しているかもしれない。

月曜日、ブラックジャックのあとのコナンは見せてもらえなかった。

 

いや、それかもともと飽きっぽいからだ。

だいぶ前の話になるが、プリズン・ブレイクもプリズンがブレイクする前に見るのをやめた。

ハリー・ポッターロード・オブ・ザ・リングスターウォーズなどなど、断片的には見たり読んだりし、素晴らしいとは感じたものの、一から全部見る気にはとてもなれなかった。

ちなみにゲーム・オブ・スローンズは元彼に「見ないと人生の半分は損してる」と脅されたが、付き合いはじめたときには3シリーズ目などだいぶ進んでおり、当時そんなに一気に見る時間もなければ、よく考えてみれば彼と過ごしていた時間の方が人生において損をしている、と思うに至ったためもちろん見ていない。


強いて「追いかけている」と言えるのは漫画のワンピースくらいだろうか。

でもこれはもはや意地というか執念というか、この作品に魅了されてしまった人の定めだと思う。

ちなみに最近、躍起になってナルトを全巻(72巻)読んでみたのだが、ワンピースとの作品の作り込み方の違いに圧倒させられた。

この二つはほぼ同時に連載が始まったものだが、二つがお互いを生かし続けたのも畑が違いすぎたからだろう。

画のスタイルからストーリー設定まで、何もかも違う。

前者ではあくまでナルトとサスケという二項対立が決してブレない(「もうサスケは諦めたら?」と後半は思うほどだ)一方、後者は内容と仲間と敵と伏線が増殖し続けている。

ワンピースの収集のつかなさに不安を覚えはじめているのは私だけではないはずだ...

作者の頭の構造に私がついていけていないということももちろんあるとは思うが。


それはさておき、振り返ってみると私が今まで紹介している本の中にも長編はほとんどない。

短編集やオムニバスがほとんどであり、学術書でも各章毎に切り口が全く異なっていてこの私でさえも飽きさせないものが多い。

 

その原点は星新一にある、と今ふと思った。

ちょうど私が小学生の頃に、和田誠が装丁を手がけた非常に親しみやすいショート・ショートセレクションが刊行されたのだ。

星新一ショートショートセレクション(全15巻セット)

本のサイズもフォントも明らかに子ども向けで、学校の図書館にも地元の図書館にも児童書コーナーに置いてあった。

 

しかし内容は全く子ども向けではない。

私は私の人格の欠点を周りのせいにするのを特技としているが、あんなものを読ませたらすごくめんどくさい奴になるに決まっている。

まず、たいていの内容がSFというのがさらにあざとい。

星新一なんて名前もSFすぎる。

SFを嫌いな子どもがいるだろうか。

また、彼の作品はSF作品に期待されるべきである「異世界に連れて行ってくれる」効果を持つだけではない。

子どものときは異世界に連れて行かれたままだと思い込んでいたかもしれない。

短時間ですぐ酔えるショットのお酒みたいだ、とあの頃とは違い、お酒を知るような年齢になってしまった私は例えるが、少なくともショットのお酒はすぐ酔えて、ずっと酔える。

しかし彼のショート・ショートはそうはいかない(ショットとショート、似ていますね)。

つい読み終わったあとに後ろを振り返って現実を確認したくなる、そんな恐ろしさがある。

そしてパステルカラーとソフトタッチの表紙にそぐわず、意外とアダルトな描写があっても教科書よりも綺麗な字体でゆったりとした字間の中に書かれていると、これはありなのかな、とも思ってしまう何かがあった。

その点ではお酒を飲んでいるのに気がつかない、ロングアイランドアイスティー的な要素にある。

単にお酒の話がしたくなっただけ!


ショート・ショートの他にも、私の射程距離圏内であった小・中学校や図書館はなかなか選書のセンスがよかったと思う。

よりみちパン!セ シリーズ(再スタート、心から嬉しく思います)や、はじめての文学シリーズなど、なかなか粒ぞろいであった。

はじめての文学(全12巻セット)

 

今でもいつか揃えたいと思っているのはロアルド・ダールのシリーズだ。

ロアルド・ダールコレクションpart2(全12巻セット)

「魔女がいっぱい」の映画がリメイクされるらしいが、未だにそんなことが起こるなんて彼の作品ならではだろう。

ロバート・ゼメキス監督はあの作品の魔女たちの皮膚感や、ポップな言葉の中の残酷さを映像で表現しきれるのだろうか。

 

それ以上に有名で、映像化にも比較的成功したといえるのはチャーリーとチョコレート工場の秘密であろうが、もっと短くてスパイスが効いたものが山ほどある。

小学生たるもの、ダール作品からスラング、いやちょっと背伸びした言葉遊びを学ばずして小学校は卒業できまい。

 

魔女がいっぱい (ロアルド・ダールコレクション 13)  へそまがり昔ばなし (ロアルド・ダールコレクション 12)  いじわる夫婦が消えちゃった! (児童図書館・文学の部屋)

 

そして忘れてはいけないのが挿絵画家の存在で、先ほども星新一和田誠を挙げたが、ティム・バートン(監督)とジョニー・デップ(ミューズ)以上に、ロアルド・ダールにはクエンティン・ブレイクが欠かせないのだ。


これを両方やってのけてしまえるのは、さくらももこ東海林さだお(丸かじりシリーズ)くらいである。

もものかんづめ (集英社文庫) ひとりずもう (小学館文庫) たいのおかしら (集英社文庫)

シウマイの丸かじり (丸かじりシリーズ39)     アンパンの丸かじり (丸かじりシリーズ 34)   どら焼きの丸かじり 丸かじりシリーズ30 (丸かじりシリーズ 30)

 

この二人がなぜ私の好みなのか、もうお分りいただけると思うが、二人の共通点は刊行しているシリーズは長いが、作品間の連続性はない。 

もちろん一貫したテーマはあるが、さくらももこはエッセイのみならず漫画でさえエッセイ的だ。

ああ、久しぶりに読みたくなってきた...

 

このように子ども向け(?)の本というのはいつも侮れないもので、タチが悪いのが大人になってある程度お金を持つようになってから大人買いをしたくなる仕組みになっているのである。

漫画なんて、全巻セットでも古本ならば安いものである。

私はもし子どもができたら、ハタチかそこらで狂ったように大人買いをしないために漫画くらいは買ってやろうと思う。


小・中学生の頃お金がなかった私は、しかし古本屋でブラック・ジャック秋田書店の単行本版は全巻揃えると決めた。

 

ブラック・ジャック 漫画文庫 全17巻完結(文庫版) [マーケットプレイス コミックセット]

ちょっと汚いものならすぐに百円になるからだ。

 

手塚治虫は"たくさんの"作品を産んだと言われているが、"細く長く"ではなく"広く浅く"であった。

いや、”広く深く”だ。

それが彼を漫画の神様たらしめた所以であるように思う。

シリーズものでも10巻を超えることはほとんどなく、超えることがあってもブラック・ジャックのようにオムニバス形式となっている。

彼自身のアンテナや知識が網羅している範囲がそのまま作品群に投影されており、様々な入口が用意されている。

そこには性別も年齢も関係ない。

同じ作品を読み返してみるもよし、黒手塚に挑戦してみるもよし。

 

MW 1  奇子 1  きりひと讃歌 1

 

人間昆虫記 (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)  鳥人大系 (手塚治虫文庫全集)

 

と、このように飽きっぽいにも関わらず私が本好きを自称できているのは、運よく粒ぞろいの作品に出会えたからだ。

 

その傾向は今でも変わらない。

留学先でせっかくなので英語漬けの日々...と思ってもやっぱり長編には手が伸びず(ペーパーバックの軽さと厚さのギャップが無理)、今では詩集に手を出す始末である。

 

Only Dull People Are Brilliant at Breakfast (Penguin Little Black Classics) The Prophet By Kahil Gibran

 

The House on Mango Street (Vintage Contemporaries) マンゴー通り、ときどきさよなら (白水Uブックス)

 

サンドラシネオローズの本は詩とはちょっと違うけど、復刊で話題になったマンゴー通り、ときどきさよならを英語で読んでみた。

口語だけど、いやだからこそ、力強い文体だ。


あとカート・ヴォネガットの未発表作品集とボルヘス奇譚集が読みたい!

はい、チーズ ボルヘス怪奇譚集 (河出文庫)

 

 

また、このブログを書く主な理由の一つとして、ツイッターのタイムラインに流れてきた#54字の文学(または#54字の物語)がある。

意味がわかるとゾクゾクする超短編小説 54字の物語

このプロジェクトはすごくて、私なんかは挑戦してみようとも思わないくらい難しい。

140字で精一杯なのに、54字って...

日本語はインターネット上の言語の多くのパーセンテージを占めていると同時に、英語よりもはるかに少ない文字数で情報を伝達できると聞いたことがある。

とはいえ54字よリも、はるかに少ない文字数で表現する、短歌とか俳句に関しては想像を絶する。

 

このミニマリズムの傾向は、少なくとも私の周囲では無視できないものとなってきている。

今住んでいるオランダもデ・ステイルミッフィー(本名はナインチェ)をはじめとした洗練されたデザインが溢れている(一方で細密画家のような「バベル」のブリューゲルとかヒエロニムス・ボスとかが一昔前に存在していたのがオランダの面白いところ)。

シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン  モンドリアン NBS-J (ニューベーシック・アート・シリーズ)

 

最近会った、私よりも日本らしいお弁当を毎日持参するイタリアの友達にMUJIのアルミ製シャープペンシルを誇らしげに見せられたばかりだ。

何よりも、あの無意味な長編記事が強みのオモコロが文字そばシリーズを導入した背景にはインターネット界のツイッター以上のミニマリズム化の波が押し寄せているのではないのかと疑うほどである。

omocoro.jp

 

しかし、人生でいろんなミニマリズムに出会ってきて思うのは、ただミニマルに収まっているだけではダメである、ということだ。

"大は小を兼ねる"ならぬ、”小が大を兼ねる”ものでなくてはならない。

ここで最初の一文に戻るが、長編が読めない私はラクをしている訳ではない、という結論に至る。

少なくとも読書においては!

....というあくまで自己肯定のための文章を書きたかった。

 

とかいって、なんだかんだ一年くらい続いてるブログ!

このブログが更新できる程度の余裕がある人生をこれからも送っていきたいものだ。

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それでは、また!

土曜日のシミット

あなたは世界を変えたことがありますか?

 

私はあります。

 

最近、「同じものでも見方を変えると違う風に見える」という考え方を耳にするが、そういうのではなくて、本当に私はある。

 

 

今私が住むオランダの街には水曜と土曜に市場が開かれる。

 

野菜や果物、チーズなどが多いが、雑貨なども乱入しているので出店の基準は未だ謎である。

 

到着したばかりの頃はほとんど毎週末行っていた。

 

だいたい毎回同じ店が構えているが、売りものは変わるし掘り出し物もあるからだ。

 

1ヶ月か2ヶ月経った頃、私はこの市場で奇跡の再会を果たす。

 

そう、私はシミットに再会したのだ。

 

トルコの国民的パンである。

 

ドーナツのような形をしているが、れっきとしたパンである。

 

なんならドーナツがシミットを真似したのではないか?

 

パンといってもおそらく油などがふんだんに使われているのでヘルシーには程遠い。

 

ヘルシーで美味しいものなんてないからいいのだ。

 

まずシミットが人を惹きつけるのは、その形だろう。

 

あらゆる点で似たものとしてプレッツェルがあるが、シミットはそんなひねりさえも効かせていない。

 

丸だよ、だからどうした、まずは口に入れてみな!と強気である。

 

ちなみに値段は道端で売っていても一リラ(2015年当時は約五十円)くらい。

 

オプションでチョコかチーズをつけられるが、まずはそのまま食べてみてほしい。

 

どう食べるか、というのも問題である。

 

ドーナツよりは大きいので、両手で持ってがぶりといくと大きな穴の中に顔を突っ込む形になり、勢い余ると目や鼻にぶつかる可能性がある。

 

そしてごまがまぶしてあるので、口の周りに付きやすい。

 

歩きながら食べているときは要注意だ。

 

カモメもあなたのシミットを狙っていることがある。

 

第二の方法というよりも主流はちぎりながら食べる、というもの。

 

この良い点は先述したトッピングをつけやすいことにある。

 

あと言うまでもなく見た目が上品だ。

 

シミットのトッピングはかけるものではなく、給食などで配られるようなプラスチックの小さな市販のソースであり、ディップするものだ。

 

これを毎回ちぎるたびにソースが毎ちぎりことに平等につけられるよう非常に気をもむ。

 

サイズにも問題がある。

 

一個だと少し物足りないが、二個目は直後に食べたくない。

 

二人で分けるには絶対足りない。

 

友達とかには絶対あげたくない。

 

自分で買ってください!と怒りたくなる。

 

ちぎる大きさで私のケチ具合が相手にわかってしまうのも嫌だ。

 

そうなったらやはりかぶりついて分ける隙を与えない、と言うのも一つの手だ。

 

 

 

こんな絶妙さにやられ、私はシミットの虜になった。

 

朝ごはんからおやつまで万能である。

 

しかしながら日本で手に入るはずもなく、帰国後は他のトルコ食品ロスを含め非常に苦しい思いをした。


そして私はなぜかオランダにいる。

 

日本よりは近く、移民も含めてトルコ人口は多い。

 

トルコ語もよく聞こえる。

 

それでも、ケバブならまだしも、シミットに会えるなんて思わなかった。

 

私はあの懐かしい円を見て、やはりトルコとの縁を再認識してしまったのだ。

 

迷わず大人買いした。

 

三つ!

 

もちろん値段は少し高いが気にしない。

 

購入した場所は常連のモロッコ系のおそうざい屋さんで、よく見たらバクラバなんかもあった。

 

私はその1週間をとても幸せな気持ちで過ごした。

 

2日に一回、ちぎって食べた。

 

かぶりつくなんてことはもったいなくてできなかった。

 

 

そしてまた週末。

 

9時から始まるので売り切れる前にと急いでいった。

 

でも、ない!

 

私は以前シミットの隣にあった普通に美味しそうなパンたちには目もくれず、近くにいた売り場のおばさんに「シミットはどこですかッ」と興奮気味で聞いた。

 

彼女はただの売り子さんで、前回買った時にもいたが値段を知らないほどだった。

 

そんな彼女がシミットの行方を知るはずもない。

 

そもそもシミットとと言う単語を知らなかったようだった。

 

なんとか身振り手振りで伝える。

 

すると「あーあれは先週たまたま売っただけなのよ」。

 

私はそこで諦める女ではない。

 

食べ物の恨みは一生の恨み。

 

これはちょっと違う表現であるし、おばさんとしても怒りを向けられるのは御門違いだ。

 

なぜ私が唖然とした顔をしているのかさえも分からなかっただろう。

 

絶対にトルコ人ではない顔で何を言っているんだこいつは。

 

それでも諦めきれなかった。

 

この時点でシミットがただのパンでないことがお分かりいただけると思う。

 

 

そして次の土曜日。

 

もちろんシミットの姿はない。

 

しかし同じおばさんと目が合い、全く同じ質問を繰り返した。

 

おばさんは今度は私が先週の人物と同じだと気づいたような気づいてないような、「ない」と短く答えた。

 

次の週。

 

ない。

 

「ない」。

 

ない。

 

「ない」。

 

1ヶ月ほど経つうちに、私はこの土曜日の朝の短いやり取りが楽しみになっていた。

 

いや、それは嘘だ。

 

美化しすぎた。

 

なんでもいいのでシミットをはやく持ってきて欲しい。

 

「日本なら…」と言いたくないが、これだけ客が聞いているのに持ってこないってどういうことなのだ、

 

と思う一方、

 

最初の週に「一時的な商品だ」と言われたにもかかわらず毎週、失礼な言い方ではないにせよしつこく訊きつづけるのってもはやクレーマーの域である。

 

この図々しさ、もとい「お問い合わせ」能力は海外生活で身につけた私の一部である。

 

「前にも言ったけど…」というのはたとえ何度同じやり取りをしていても有効ではない。

 

入荷したらお知らせが来るシステムなんてないのだ。

 

それにその言葉を口にしているうちにこちらが疲れる。

 

「ああ、私何回言ってるんだろう」と。

 

だから毎回フレッシュな気持ちで、なにごともなかったかのように粘り強く質問する。

 

そして、同じことを答えられても理由に深く踏み込まない。

 

理由をわかった上でやっているので、聞く必要がないというのもあるし、

 

理由はだいたい「ないものはない」からだ。

 

 

そんなやりとりを繰り返して1ヶ月ほどたったある日、シミットは唐突に私の眼の前に現れた。

 

おばさんは嬉々とした私の顔を見て、あ、と思ったようだったが特に何も言われなかった。

 

私はにっこり笑ってシミットを三つ買いたいと伝えた。

 

おばさんは今までの出来事を思い出すそぶりも見せず、普通の接客スマイルでシミットを包んでくれた。

 

未だに値段は不明瞭であり、他の従業員三人ほどに問い合わせていたことも付け加えておく。

 

おばさんは悪くない。

 

目の前に売っているものを売る、それだけだ。

 

不思議と「勝った!」といったような気持ちは起こらなかった。

 

ただ、わたしのやっていたことが正しかったことが認められた気がしてなんだか嬉しかった。

 

私の周りの世界が私が踏み込んでみたことで、ひっそりと変化したことに少し感動した。

 

それ以降シミットはゴールデンメンバーとして加入し、その形と美味しさからこの小さな町の人々の週末を盛り上げている(はず)。

 

毎週微妙に味と形が異なっていて、そこもいい。

 

今やシミットは私にとっての土曜日の儀式となった。

 

世界を変えてみて、自分の世界も少し変わったことに気がつく。

 

自分と世界が思ったより地続きであったことにも。

 

きっとこの程度のことが世界を変えるし、世界を変えるとはこの程度のことなんだと思う。

 

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...なーんて少しクサいことを言ってしまいましたが、軽く本の紹介!

 

上から

 

トルコ料理の本は多くあれど、意外とパンについて言及されることは少ない。盲点をついたもの、

 

・陳腐なタイトルとは裏腹に各界の研究者がドーナツについてガチトークをする。

 

・言わずと知れた名著!洋書のアートブック的な厚さとサイズ。トイレに置いておきたい。

失われたドーナツの穴を求めて

失われたドーナツの穴を求めて

  • 作者: 芝垣亮介,奥田太郎,北尾崇:デザイン
  • 出版社/メーカー: さいはて社
  • 発売日: 2017/07/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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観察の練習

観察の練習

ドラッグクイーンは自らをなんと呼ぶか?

完全ににわかなんですけど、現在RuPaul's Drag Raceにはまっています。

 

https://media.giphy.com/media/3oriOet0wpnkJviVws/giphy.gif

 

簡単にいうと伝説のドラッグクイーン、ルポール↑がオーディション形式で自らの後釜を探す番組のことです。

 

「レース」となっているのは、最初10人前後で始まり、毎回誰かが脱落して最後3人→王者決定戦となるまで戦うからです。

 

よくメディアに取り上げられているのは番組最後のLip Sync(口パク)でしょうか。

 

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その週のビリ二人がルポールの"LIP SYNC FOR YOUR LIFE!"の掛け声とともに予め指定された曲に合わせて歌って踊るわけですが、負けたら帰宅しなければいけないので大体ものすごく気合が入り、アクロバティックな技も繰り広げられます。

 

私は国内外問わずいわゆるドラマやシリーズ番組にはまったことがほとんどないんですけど、この番組はオチ(優勝者)を知っていても楽しめます。

 

なぜこの番組は多くの人々を惹きつけるのでしょう?

 

ここでは「ヘテロで女性で美男美女が好き」というありふれた一女性の視点から語らせていただきます。

 

大まかに

・彼女達が恐ろしく綺麗だから
・元気が出るから
・英語の勉強になるから

の三つに理由が分けられると思います。

 

・彼女達が恐ろしく綺麗だから

 

番組内ではステージ上と楽屋(化粧・衣装作り用)があまりにも明確に分かれています。

 

私は自分がほとんど化粧をしないくせに、日本のアイドルの偽「すっぴん」にはブチ切れる心の狭い人間なのですが、ここでそんな心配はありません。

 

彼女達は舞台裏では完全にオッサンなのです。

 

https://media.giphy.com/media/xUPJPeovD81IGaDPr2/giphy.gif

 

もちろんそのまま男性としても普通にイケメンの人もいますが、中にはビフォーアフターで別人になる人も。

 

出場者の平均年齢も30歳ということが少なくない。

 

体型も細ければいいなんてことはなく、中には豊胸している人など色々です。

 

曲線美のためにはパッドを入れまくるし、ウエストも極限まで細くする。

 

ゴールである「女性」の対局にいる時点で土台はほとんどゼロなわけで、そこからいかに作り込むかが見れるわけです。

 

半顏メイクなんてのがインスタグラムで流行りますがそんなもんじゃない。

 

そしてその完成形を番組終盤のランウェイで拝むときには思わずため息がこぼれます。

 

私の推しメンは以下の方々。

 

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・なぜ元気が出るのか?

 

私は心底曲がっている人間なので「自信に満ち溢れている人」「自らの魅力を知った上で振る舞う人」を好ましく思えません。

 

要は僻んでいるわけなのですが、まさに自信満々で綺麗な彼女達を見ていても、そんな気が起こらないのです。

 

https://media.giphy.com/media/syCRjYSr9slws/giphy.gif

 

これは簡単に言ってしまえば「彼女たちは本来男性で、私は女性だから」だと思います。

 

上記にあげた二パターンは、ヘテロセクシュアルである私は男性に対しては僻むことはせず(勘違いmensplaining fuckboyは論外です)、むしろ魅力に感じます。

 

ハリウッド女優などの別格の女性に対しても同じで、散々言われていることですが僻みという感情は、自分と全く違うタイプには起こりえない感情です。

 

無駄だから!!!

 

これ以上汚い言葉を使うのを避けたいんですが、

 

「なんで私とほぼ同じ立場のこのレベルのコイツが私よりでしゃばってんの?」というときにしか僻みは生まれません。

 

コンプレックスが競争意識に発展して、武器になるときもあるけど!

 

ドラッグクィーンたちに話を戻すと、彼女達は期間は様々ですがとりあえず「生物学的な男性からそこらの女性よりも綺麗な女性になりたい」わけで、それには外見だけでは不十分です。

 

寧ろルポールは自身の経験から内面も次世代クイーンを選ぶ上で考慮に入れます。

 

彼女こそ番組内でもっともウィットに富んでいて、自信満々で、美しい。

 

頭脳勝負も強いられます。

 

そして何より、自信を尊重します。

パフォーマンスに直結するからです。

 

人間はなんに関してもきれいでかわいいものには共感し、心が洗われると思うんですけど、なんか違うんだよな〜

 

芸術品を見たときの「ただ美しい」で片付けられない感情に近いかな。

 

https://media.giphy.com/media/s7PPhMNUUazBe/giphy.gif

 

自分とは違って、自分が絶対になれないもので、自分も目指していないもので、それでいて応援したくなるというのは
相当魅力がある人に対してでないと起こらない気がします。

 

この感情は男女問わずはまったアイドル達には抱いたことがありません。

 

もちろん量産型アイドルたちも血の滲むような努力をしているとは思うのですが、

 

性別だけに絞って考えても


「自らの性別を生かしてその頂点を目指す」のと

「誰もなることを期待しておらず(寧ろ差別もある)、圧倒的不利な対岸を飛び越えてトップに駆け上がる」

とではかなり識の差があると思います。

 

そして彼女達は「ただきれい」であることから寧ろ遠ざかり、新たな地平を築いているように思われます。

 

ただの素人のくせに「彼女達はきれいな女性になりたい」なんて言ってしまったけれど、本当はそんなのとっくのとうに超えているかも。

 

https://media1.fdncms.com/stranger/imager/u/original/25173413/1495828072-sasha-velour-drag-race-season-9-gif.gif

 

・英語の勉強になる

 

これはもちろんで、舞台裏でも表でもスラングは飛び交うわ、冗談でもけなし合うわで非常に勉強になります。

 

youtu.be

↑Bianca Del Rioに”illiterate”と叫ばれたい。

 

何よりも女性よりも女性的な言葉(英語なので非ネイティブとしては日本語ほどはっきりとした性差はわかりませんが)を使うので、きついのに丁寧でわかりやすい。

 

ショービジネスということもあるかもしれませんが。

 

舞台裏の喧嘩のシーンなんかもやらせだとしても圧巻です。

 

そして気がついたのが、彼女の人称の使い方です。

 

アイ・マイ・ミー・マイン

ヒー・シー・イット。

 

穴があったら入りたくなるような日本語英語をいきなり出してしまって恐縮ですが、悲しいかな、これが私たちが義務教育で習う英語ですね。

 

一人称は I(アイ)。

 

私たちはそう習ったはずです。

 

ところがドラッグクイーンになると、三つ使えるんです(!)。

 

もちろん大体はI。

 

そしてsheとheです。

 

https://media.giphy.com/media/B6NNBlB94Wpva/giphy.gif

 

心が女性で体が男性の人、心も体も男性だけど女装を楽しむ人、人により立場は様々ですが、

 

おそらく使い分けているのは、

 

She=女装した自分を語るとき/他のクイーン達を語るとき、

I=女装でも男装でもどちらでもない、もしくは入り混じっているとき

He=女装した自分から生物学的男性時の自分を語るとき(ex.過去)

 

という感じなんだと思います。

(あくまで私の意見なのでもし当事者の方がいたらお聞きしたいです)

使い分けない人もいます。

 

ドラッグネームで呼ぶことも多いですね。

 

 ↓上のことに注意してシーズン10のクイーン達を見てみよう!

youtu.be

 

これは英語独特の表現ですよね。

 

日本だと主語で「俺」「僕」「私」と選べますが、

私は英語の主語至上主義を突き詰めた結果、結局主語が複数になるという矛盾にも魅力を感じました。

 

またまた新しい地平を築いていますね。

 

ニューハーフの「ハーフ」には共感できませんが、色々な意味で「ニュー」な分野を切り開いていく彼女達が好きです。

 

〜終わりに〜


偉そうなことは何一つ言えませんが、

 

私は友人にLGBTQなどなどの方がいますし、性について考えることはどんな性別でも分け隔てなく重要だと思っています。

 

とか言ってるそばで日本では性教育を「破廉恥」だとかほざいている政治家がいて情けない限りですが。

 

そんな人々が一刻も早く改心すること願い、一応本紹介のブログなので駆け足で紹介します。

 

言わずと知れたまきむぅから〜

 

まきむぅ(牧村朝子) (@makimuuuuuu) | Twitter

cakes.mu

百合のリアル (星海社新書)

百合のリアル (星海社新書)

 
ハッピーエンドに殺されない

ハッピーエンドに殺されない

 

 

そしてドラッグクイーンと言えば!

Jの総て(1)

Jの総て(1)

 

 

あと以前紹介したんですけど、プラトンの饗宴は性の今昔を考えるヒントがたくさんあります。

 

食事中に話していると思えないほど!まあ、飲み会か。

饗宴 (光文社古典新訳文庫)

饗宴 (光文社古典新訳文庫)

 

 

関連して最近見た映画では 

Call Me By Your Name

Call Me By Your Name

 

これ意外と考古学映画で、ギリシャの同性愛へのオマージュでいいなって思いました。

文字通り主役二人がギリシャ彫刻並みの美男子だし〜

 

バーレスクミュージカル映画嫌いの私でもアギレラさまが出演なさっているので目ん玉かっぽじって見ました。 

バーレスク(字幕版)

バーレスク(字幕版)

 

 

みんなの憧れ、Xtina↓

www.instagram.com

 

心と体の性に関しては、

 

ちびりそうになるシーンがあります。

 

 イケメンのエディーレッドメインが儚い美少女になっていて、「女のくせに可愛くない自分って...」という気すら起きません。

 

私が、生きる肌(字幕版)
 

何を言ってもネタバレになりそうなので何も言いません。

 

やけっぱちのマリア (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)

やけっぱちのマリア (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)

 

手塚治虫の漫画こそ保健体育の授業中に取り扱うべきです。

それにしてもギャグを交えてとは言え、この時代にこの作風は攻めてる〜

 

ぼくらのへんたい(1) (RYU COMICS)

ぼくらのへんたい(1) (RYU COMICS)

 

 ソフトタッチだからこそ心をえぐられる描写にもなります。

 

 

 

だいぶ話が逸れましたが、ドラッグにも女装にも興味なくても、当事者でも当事者じゃなくても、いや、みんなが当事者ですよね、何か手にとってみてはいかがでしょうか〜

 

https://media.giphy.com/media/3oz8xtprbtd0wEWOoU/giphy.gif

 

またね!

ジャケ買いと"翻訳"

こんにちは。

 

"本とは何か"という終わりなき議論の答えの一つに「商品」という答えがあると思います。

 

個人的には「家具」「風景」という答えも推して行きたいと思っているのだけれど、それはまた今度。

 

「本は"普通の"商品とは違う」という声もよく聞かないわけではない。

 

私はそういう本の特権的な立場もとても魅力的だし、そういった考え方こそ、本を「商品」として考える上で非常に重要であると思っています。

 

これに関しては内沼晋太郎さんの著書を読むなり、本屋B&Bに一足踏み入れてもらえば彼のような天才たちが"出版不況"の波を乗りこなしている理由や哲学に触れられると思うし、出版業に浅学非才な私が口を挟めることではないので以下をご参照ください。

 

本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)

本の逆襲 (ideaink 〈アイデアインク〉)

 
本の未来をつくる仕事/仕事の未来をつくる本

本の未来をつくる仕事/仕事の未来をつくる本

 

bookandbeer.com

 

でも、一消費者として、そして本の選び方の一つとして「ジャケ買い」がある。

 

最近積ん読と課題が最骨頂を迎えてきてしまい、新しい本を探している場合じゃないんだけど、そういうときこそ探さずにはいられないよね〜

 

最近は本の見つけ方も多様化しています。

 

私は本屋さんや図書館という空間も大好きで、寧ろそこに収まっている本が好きで本好きになったでないわけでもない。

 

東京ではお気に入りの本屋さんもたくさんあったし、地元や大学の図書館にも非常にお世話になった。

 

留学が決まったとき、最も心配したことの中の一つに「今まで築き上げてきた読書空間をどう維持するか」があったほど。

 

もうあの空間に度々訪れることはできない。

 

しかし、ありがたいことにここライデンもこぢんまりしていながらも素敵な本屋さんがあって、大学のデータベースも非常に素晴らしい。

 

私の知る限り国民のほとんどがバイリンガルオランダ語・英語)であるオランダには英書も幅広く揃っている。

 

でもやっぱり日本語に触れたい...

 

最近「縦文字がマジで読めなくて大学受験のとき国語必須の大学全部落ちた」という人に出会ったのだが、私はその逆かもしれないというくらい横文字が読めないし、そもそも元から読むのが早い人間ではない。

 

日本語の横文字の方が圧倒的に触れている時間が長い。

 

そこでお世話になっているのがtwitterinstagramです。

 

各出版社やお気に入りの本屋さんはだいたいアカウントを持っているし、「商品」を売るためにあれこれ工夫がなされていてとても面白い。

 

どちらのサービスも文字と画像を投稿できるわけで、宣伝のためとは言え無料でチラ見できるのは非常に有難い。

 

本当に、本屋さんの中で表紙を見ながら歩いている気分になれる。

 

そんななか、面白いことに気がつきました。

 

私は日本で売っている本の中でも原作が海外のものをより好むらしい。

 

これのおかげで最近日本語に訳されたばかりの英語書籍(だいたい3〜4年前に発売)された原著を安く読んで優越感に浸る、という非常に不思議な状況に置かれています。

 

そもそも私はあまり文学を読まないし、私の好みである心理学や哲学、芸術系は一部を除き日本の出版業界自体が外国語書籍に頼っていることも大きな理由の一つでしょう。(統計に基づいていない個人的な感想です)

 

それでもツイッターのタイムラインで画像として流れる本の表紙の中で、消費者が惹かれるやすいのは外国語書籍だと思う。

 

なぜなら、日本は本全体を”翻訳する”ことに長けているから。

 

商品として売る上での内外の圧力ももちろんあるだろうが、本当に上手。

 

すぐ「国民性」という言葉を使いたくないが、日本語に”翻訳”された本たちは表面上とはいえ日本人のように第一印象が良い。

 

つまりCDでいうジャケットのセンスが素晴らしい。

 

最近とても良い例を見つけた(内容も面白いです)ので、是非以下のいくつかの例をみていただきたい。

 

シャーデンフロイデ: 人の不幸を喜ぶ私たちの闇The Joy of Pain: Schadenfreude and the Dark Side of Human Nature

 

猫の世界史Cat (Reaktion Books - Animal)

 

動物学者が死ぬほど向き合った「死」の話 ──生き物たちの終末と進化の科学Death on Earth: Adventures in Evolution and Mortality

 

猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)ãcat's cradle first editionãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

わたしの名前は「本」My Name Is Book

 

勘違いを防ぐためにここで確認しておきたいのは、私は「外国語書籍を日本語に輸入して新しいカバーをつけた方が様々な点で優れている」ということが言いたいのではありません。

 

日本は外国語書籍の『外国っぽさ』を残しながらも日本用に改変することに長けているということです。

 

というか、私の好みです。

 

熱狂的なファンではありませんが、ディズニーランドのキャクターグッズに関しても同様のことが言えます。

 

もっというと、私がこの本に興味を持ったのは「翻訳の仕方(=表紙のセンス)が良いから」という唯一の理由によってである、といっても過言ではないかも。

 

①②③はシンプルな原題そのままだと日本人の大多数に内容が伝わらない(だからこそいいという場合もある)から帯とタイトルを含め割とくどく説明し、何よりも表紙が思わず手に取る仕掛けにあふれている。

 

(これは映画のタイトルやチラシの原題→邦題間にもあることですが私は好きではありません。)

 

④は日本語版はタイトル=イラストの初版のデザインはほとんどそのままに、日本人なら一目でわかる和田誠を表紙に起用しちゃうとかね。

 

⑤はタイトルそのまま翻訳しているけど、シンプルながらただものではない感を出すことに見事成功している。

 

公平を保つために、日本書籍の外国語翻訳版のお気に入りもいくつか載せますね。

 

Ms Ice Sandwich (Japanese Novellas)あこがれ

 

ãThe Wind-Up Bird Chronicleãã®ç»åæ¤ç´¢çµæãã­ãã¾ãé³¥ã¯ã­ãã¯ã«ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

 

 

Spark Joy: An Illustrated Guide to the Japanese Art of Tidying人生がときめく片づけの魔法

 

 
この日本文学翻訳プロジェクトも重さや紙の質のデザインに至るまで細部へのこだわりが見受けられます。

 

これらの逆バージョンを踏まえ、全体の翻訳のされ方を見ていると、二冊間の時間差が良い結果をもたらしているのかな、とも思えます。

 

 

中身が長い時間をかけて翻訳されて、より吟味され様々な要素を選び抜いた上でのこの表紙!という感じがする。

 

また、"翻訳"というのは解釈を広げれば他言語の書籍間だけに起こる現象ではない、とも思います。

 

例えば大御所のペンギンブックスは大御所であるだけに、古典を再発掘することに卓越しています。

  

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 手のひらサイズで色が清潔感に溢れた値段もワンコインのものから、 

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コレクター用でまさに本棚で埃をかぶるためのものまで。 

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 でも最近の一番のヒットはこれかも!

ディストピアファンにはたまらない。

 

これ、実は写真の撮り方がうまくないとタイトルが見えない印刷の仕様になっていて、

手に取った時に表紙のイラストとうまく光の調整が合わさって意味がわかった時の快感といったら。

 

https://img.omni7.jp/co/productimage/0001/product/92/1102431692/image/1102431692_main_l.jpgきりがないのでここら辺にしますが、

ロアルド・ダールも国によって売り方が全然違いますよね...

 

本は印刷技術のおかげで多数複製されることが可能になりましたが、それが当たり前になってきた今、特に古典に関しては再解釈や本の全ての要素をひっくるめた改訂・改良版が求められています。

 

本が主に扱う言語は生き物であり、商品として流通するためにも、コワモテながらも脱皮を繰り返している。

 

そもそも、何に関してもオリジナルなものなんてあるのか。

 

オリジナル>コピーの構造をひっくり返したのはデリダですが(論文用に読まなきゃ〜)、本は中身だけでなく本そのものについて考えることも色々ヒントになりますね。

本の存在自体が古典的なものですからね〜

 

Derrida's Voice and Phenomenon (Edinburgh Philosophical Guides)

Derrida's Voice and Phenomenon (Edinburgh Philosophical Guides)

 

edinburghuniversitypress.com

 

今回は物体としての本にしか触れませんでしたが、関連して古典に関しても書き溜めている原稿があるので近いうち載せようと思います。

 

高校時代、古文・漢文の授業を貴重な睡眠を確保するための時間と見なし、百人一首の内容をただの下ネタと解釈したあの頃の女子高生からは考えられない進歩ですね。

 

それでは、また!

限界を超えてはいけない

というか、超えられないし越えようとするもんではないんじゃないかと思います。

 

まず、限界を越えようよ〜!、

みたいな体育会系思考には、私はほとほとついていけなくなってきた。

じゃあそれ超えちゃったらどうすんの...

そもそも、超えられた時点で果たして限界だったのか。

 

私は悪い意味で自分で限界を決めたことがない。

相対的であるはずなのに、いや、相対的だからこそ人に与えられた限界、あるいは人に自分の限界を委ねてきた。

 

もう限界という言葉があんまり好きじゃないから、もう意識したくない。

しかしながら単語が存在している時点で意識せざるを得ないし、

その「限界を超えられなかった自分」を責めてしまう材料にしかなっていない。

 

変なとこ意識が高い環境で生きてきたので、

限界を超えたらまた新しい限界(リミット)をセットして、また超えてというのの繰り返しが求められて来た。

辛〜

 

リミットとゴールがごちゃ混ぜになってるのかな?

達成するという面では同じだけど、ゴールって必ずしも限界を試すものではないですよね。

 

かといって限界の範囲内でほどほどにやるのは体質的にもう無理〜!

 

意識しないことが本当に限界を越えることに繋がっている気もするけど、

もうここで言葉に書き表すことでそういった思考の枠組みから逃れたいね。

 

と、最近考えるきっかけになったのが以下の本などです。

 

THE BOOK OF CIRCLES - 円環大全:知の輪郭を体系化するインフォグラフィックス

THE BOOK OF CIRCLES - 円環大全:知の輪郭を体系化するインフォグラフィックス

 

これ、あまりにも 青山ブックセンター本店 (@Aoyama_book) | Twitter にて宣伝されていたので関連書籍を読みました。

洋書だから英語版あるかな、と思ったけど近くになかったので、前著をとりあえず。

ビジュアル・コンプレキシティ ―情報パターンのマッピング

ビジュアル・コンプレキシティ ―情報パターンのマッピング

  • 作者: マニュエル・リマ,Manuel Lima,久保田晃弘,奥いずみ
  • 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
  • 発売日: 2012/02/24
  • メディア: 単行本
  • クリック: 21回
  • この商品を含むブログ (12件) を見る
 

できもしないしやる予定もないけど、インフォグラフィックスとかマッピングという横文字に弱い。

THE BOOK OF TREES―系統樹大全:知の世界を可視化するインフォグラフィックス

THE BOOK OF TREES―系統樹大全:知の世界を可視化するインフォグラフィックス

 

木バージョンもあった。

 

ちなみに本を読まなくてもウェブサイトで図たちだけなら見れます。↓

www.visualcomplexity.com

 

一冊しか読んでないのでなんとも言えませんが、端的にいうと私はゾッとしました。

 

あらゆる技術を駆使したはずのグラフが、全部の人体の一部に見えてきてしまうんですよね。

 

ふとタイトルを見直すと丸(circle)や木など、とても基本的なものがモチーフになっていて、それもそのはず、と思ったり。

 

正直に申し上げますと、以下ツイートに影響されている部分が大きいです。

 

 

ほええ、と思いつつ同時期に借りたフンデルトヴァッサーの本をめくって見ると、

Hundertwasser 1928-2000: Personality, Life, Work

Hundertwasser 1928-2000: Personality, Life, Work

 

(表紙がわかりやすい関連書籍(まだ読んでいません))

Hundertwasser: The Painter-king With the Five Skins (Taschen Basic Art Series)

Hundertwasser: The Painter-king With the Five Skins (Taschen Basic Art Series)

 

 

なんかこの人も幾何学極彩色&サイケデリックだけど、

まじで自然リスペクトという感じ。

 

ガウディに似ているな、と思っていたらちゃんと影響を受けているとの言及がありました。

ガウディ完全ガイド

ガウディ完全ガイド

 

 井上雄彦とのコラボ展、もちろん行きましたよ〜

Casa BRUTUS特別編集 ガウディと井上雄彦 (マガジンハウスムック CASA BRUTUS)

Casa BRUTUS特別編集 ガウディと井上雄彦 (マガジンハウスムック CASA BRUTUS)

 

 バガボンドももはや漫画を超えているという点で、テーマは似ているかも。

バガボンド(1)(モーニングKC)

バガボンド(1)(モーニングKC)

 

 

ミケランジェロと関連してダ・ヴィンチなんかもいうまでもなく今では捕まるレベルで人体を追求した人ですから、仲間に入れましょう。

 

...こう、新旧問わず巨匠の画家たちを眺めていると、

もうそのすごさに圧倒されるというか、突き詰めるとここまでいっちゃうんだろうな、

っていうのがなんとなくわかるけど私は一生届くことがないんだろうな...

みたいな完膚なきまでの虚無感にもはや感動しますよね〜

 

冒頭に繋げようとすると、

巨匠のヤバさはさておき、人間には超えられない部分というよりも

超えたところで戻ってくる場所が普遍的にあるんじゃないかな、と思っています。

 

そこは悲観的にも楽観的に捉えることもできるので、場所に応じて使い分けられたらいいんじゃないかな。

 

例えば私は一人の人間が本を読む以上、

真の乱読というものは存在しないと思っているんですけど

それは自分の限界を見つけた、いうよりも

セレンディピティ力(?)が上がってるのかな、と捉えてもいいかもしれないですよね。

私なんかはまだまだこじつけに留まっていますけど。

 

オランダにも春が来て、天気が良かったり日が長いとつい色々やろっかな!!!

とあちこち手を出してしまう自分がいますが、

それも結局自分の範囲内で起こっていることで、

だからといって無理してはいけないな〜と自戒を込めて。

 

ちなみに、フンデルトヴァッサーは美術館に行った時に美術史専攻の友達に教えてもらったのがきっかけで知ることができました。

オーストリア出身だそうで、クリムトと同じで日本にもインスパイアされているみたい。

matome.naver.jp

美術館↓

www.cobra-museum.nl

Co=Copenhagen br=brussels a=amsterdamだって。おしゃれか!

小さいけれど、アヴァンギャルドとは何かを肌で感じることができます。

アヴァンギャルドも突き詰めた結果、捻り出している感じがして好きだ!

 

第三次世界大戦中なのかギリギリ踏みとどまってるのか知らないけど、こういう運動がこの時代にも欲しいよね。

 

最後までありがとうございます。

それではまた。