キヨカのブログ

半永久的夏期休暇自由研究

結婚したくない、働きたくない(けど呑み食いしたい)

最近アナーキズムにはまっている。

というのも栗原康著の『はたらかないで、たらふく食べたい-「生の負債」からの解放宣言-』を一気に読み、

更に同著の『村に火をつけ、白痴になれ-伊藤野枝伝-』もつられて思わず読んでしまったからだ。

 

はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言

はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言

 
村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

 

 

ちなみに一冊めは以下リンクのBETTERA STANDで出会った。

オープンスペースで色々な目的で利用できるのだが、

その奥にちょっとした本棚みたいなところがあって、

覗きに行ったらオーナーっぽい人がパソコンをいじっていたりしてなんとも良い雰囲気だった。

顔が赤かったのでバーに並んでいる日本酒を飲んでいたに違いない。

 

bettara.jp

 

私はできれば働きたくない。

バイト先で泣きながら「働きたくありません」と言って社長を困らせたこともある。

社長が変人じゃなかったら終わっていた。本当にありがたい。

人は大きくなると泣ける場所でしか涙を流しにくくなるのだ。

あそこで泣いておいてよかった。

 

さて、栗原氏が描き出す大杉栄伊藤野枝はすごくかっこいい。

ちょっと今の私の文体も氏のそれに似てきてしまっているのだが、

上記の二冊のタイトルみたいな魅力的な単語を盛り込んで、

スバズバと現代社会の問題点、主に結婚制度を中心に大杉や野枝とぶった切っていく。

日本史や日本の歴史人物に全く興味のなかった私にでさえ、すごく読みやすかった。

 

いや、かっこよすぎる。ありえないだろ。

やっちゃいけないだろ、思ってても。という部分もいっぱいある。

現代の道徳に当てはめると返り討ちで即死してしまいそうな部分も少なくない。

あちこちにお金を借りまくって学ぶことを貫いた高野長英や、

家族の反対を押し切って駆け落ちした男と離婚した挙句、

二番めの夫の大杉とは四角関係になり、しかもその中でも力づくで頂点に立った野枝はもう、反則である。

私も半ば同じようなことをしているので人のことは責められないが。

 

そんなめちゃくちゃな人たちでも、

思想がしっかりしていたから現代でも彼らの功績が讃えられているわけで、

もう亡くなった人の性格や罪を責めるのはここらへんにしておこう。

 

結婚制度に関する部分が面白い。

野枝は栗原によれば結婚制度は奴隷制度で女は家畜と同じ、

ふざけるな、なめんな、そんなものいらないと言っている人である。

(と言いつつ子どもは産みまくっており、結婚≠子ども≠家族をつくづく体現している)

私も結婚したくないし、奴隷制度なんて御免である。

 

野枝が怖いのは、ガチだったことだ。

女性の権利を主張するために制度を批判するのではなく、

体当たりで結婚や家族制度を実際に壊しにかかって行ったからである。

でも、野枝みたいに制度をぶち壊した先にはなにがある?

 

『放蕩記』は母娘の葛藤を描いたものだが、決して父親が無関係なわけではない。

むしろ読んでいて作品中父親の影の濃さに驚くほどだ。

父親が浮気しているから、母親が娘に愚痴を言うようになり、それが諸悪の根源かと言うとそうでもないのだが。

同性同士のぶつかり合いは、異性がいるからこそ引き立つものだ。

 そもそも母娘関係は父親や家族制度なしには生まれない。

(とはいえこの作品の主題は注目に値する。母から娘に対する数々の行動・言動は戦慄するものが多いが、身に覚えがある人は少なくないはずだ。作品中では躾と"調教"を区別している。)

それでは家族制度が悪いのか?

放蕩記 (集英社文庫)

放蕩記 (集英社文庫)

 

それだったら無くしてしまおう。

 

でも好きな人とは一緒にいたい。

プラトンの言うように人間は元は二人で一つだったのだから、

パートナーを求めるのは当然だ。

(これはよく聞く話だったのでちゃんと読んでみたら、球のように移動していたらしくすごく気持ち悪くて驚いた)

鍛冶場の神・ヘファイストスが提案したように、

好きな人とずっといたかったら物理的に溶接してもらうのも悪くないかも。

饗宴 (岩波文庫)

饗宴 (岩波文庫)

 
饗宴  恋について (角川ソフィア文庫)

饗宴 恋について (角川ソフィア文庫)

 

でもいくら何でも一蓮托生は嫌だな、やっぱり色んな人と付き合いたい。

 

じゃあ『すばらしき新世界』が理想かもしれない。

タイトルからして理想的じゃないか。

"家族"なんて気持ち悪い。"両親"とかいう概念もヘドが出る。

子どもは壜の中で生まれ、あらかじめ人生も身分も容姿の良し悪しも決まっていてとても楽だ。

好きな人とやりたい放題だし、むしろ男女問わず乱交が賞賛される世の中だ。

それでも避妊はきちんとしているから子どもはできない。

家族という集団の構成員間のなんという息苦しい親密さ、なんという危険で常軌を逸した猥褻な関係!気でも狂ったように自分の子供たちを抱え込む母親

は、もういない。

親から子どもが生まれる過程が断ち切られるため、家族や家庭などもなくなる。

そして人々はストレスのない、安定した生活を手に入れることができる。

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

 

 

やっぱりまだまだわからない。

どれも正しくて、どれも間違っているような気がする。

でもなんとなく、女は強いなと思った。

自分が女だから、出産は痛そうだからとかではない。

 

『BUTTER』を読むと、自分の女性性(性的魅力や商品価値)に期待を持つどころか嫌気が差し、胃もたれを起こすほどだ。

若くも痩せてもいない女が何人もの男をたぶらかしていたのなら、私たちも希望を失うなとか、そういうレベルの議論ではない。

 

木嶋佳苗、もとい、カジマナはこう叫ぶ。

「女が幸せになれないのは悪い。女が男を受け止めれる女神になれ」と。

男には敵わない。

でも料理が作れる女は無敵だ。

女子力という意味ではない。

生の権力を握っているのは女なのだ。

そんなもの何百年も前から決まっているから、

自然の摂理に従って、欲望のままに過ごせばいいのである。

我慢する必要などない。

こんな無敵な存在の前では、野枝がぶち壊そうとせずとも、

つい最近できたばかりの制度、そしてそれに関する議論さえも無意味かもしれない。

 

(ちなみにタイトルに関連して「ちびくろさんぼ」が挟んであるのだが、特に進化に関する描写が面白かった。たまたまその時生き延びたものが生き、死ぬ者は死ぬ。それだけだ。)

(また、『放蕩記』の夏帆と『BUTTER』の里佳は似た部分があり、女子校出身の男役であるところだ。彼女たちが身につけた社会的役割や立ち回りは、女子校卒業後も影響が大きいようだ。)

BUTTER

BUTTER

 

 

と、一気に書いてしまいましたが、どうなんでしょう。

お盆明けで疲れているだけかもしれないし、

たまたま最近読んだ本のキーワードが"結婚"や"労働"だった気がするので、

思いついて勢いで書いてしまいました。

 

文章ではこんなことを言っていても実際に言うとぶん殴られるのがオチですが、

最近嬉しかったのは高校からの友達で看護師の子に

「あなた(私)みたいな人が働かなくてもいいように働くのもいいかなって思えてくる。だって私はあなたみたなことできるかって言われたらできないし。」

とさらっと言われたことです。

なぜか私が彼女を励まし、私は彼女に励まされていました。

友情って素晴らしい。

嫁ぎたい。