ジャケ買いと"翻訳"
こんにちは。
"本とは何か"という終わりなき議論の答えの一つに「商品」という答えがあると思います。
個人的には「家具」「風景」という答えも推して行きたいと思っているのだけれど、それはまた今度。
「本は"普通の"商品とは違う」という声もよく聞かないわけではない。
私はそういう本の特権的な立場もとても魅力的だし、そういった考え方こそ、本を「商品」として考える上で非常に重要であると思っています。
これに関しては内沼晋太郎さんの著書を読むなり、本屋B&Bに一足踏み入れてもらえば彼のような天才たちが"出版不況"の波を乗りこなしている理由や哲学に触れられると思うし、出版業に浅学非才な私が口を挟めることではないので以下をご参照ください。
でも、一消費者として、そして本の選び方の一つとして「ジャケ買い」がある。
最近積ん読と課題が最骨頂を迎えてきてしまい、新しい本を探している場合じゃないんだけど、そういうときこそ探さずにはいられないよね〜
最近は本の見つけ方も多様化しています。
私は本屋さんや図書館という空間も大好きで、寧ろそこに収まっている本が好きで本好きになったでないわけでもない。
東京ではお気に入りの本屋さんもたくさんあったし、地元や大学の図書館にも非常にお世話になった。
留学が決まったとき、最も心配したことの中の一つに「今まで築き上げてきた読書空間をどう維持するか」があったほど。
もうあの空間に度々訪れることはできない。
しかし、ありがたいことにここライデンもこぢんまりしていながらも素敵な本屋さんがあって、大学のデータベースも非常に素晴らしい。
私の知る限り国民のほとんどがバイリンガル(オランダ語・英語)であるオランダには英書も幅広く揃っている。
でもやっぱり日本語に触れたい...
最近「縦文字がマジで読めなくて大学受験のとき国語必須の大学全部落ちた」という人に出会ったのだが、私はその逆かもしれないというくらい横文字が読めないし、そもそも元から読むのが早い人間ではない。
日本語の横文字の方が圧倒的に触れている時間が長い。
そこでお世話になっているのがtwitterやinstagramです。
各出版社やお気に入りの本屋さんはだいたいアカウントを持っているし、「商品」を売るためにあれこれ工夫がなされていてとても面白い。
どちらのサービスも文字と画像を投稿できるわけで、宣伝のためとは言え無料でチラ見できるのは非常に有難い。
本当に、本屋さんの中で表紙を見ながら歩いている気分になれる。
そんななか、面白いことに気がつきました。
私は日本で売っている本の中でも原作が海外のものをより好むらしい。
これのおかげで最近日本語に訳されたばかりの英語書籍(だいたい3〜4年前に発売)された原著を安く読んで優越感に浸る、という非常に不思議な状況に置かれています。
そもそも私はあまり文学を読まないし、私の好みである心理学や哲学、芸術系は一部を除き日本の出版業界自体が外国語書籍に頼っていることも大きな理由の一つでしょう。(統計に基づいていない個人的な感想です)
それでもツイッターのタイムラインで画像として流れる本の表紙の中で、消費者が惹かれるやすいのは外国語書籍だと思う。
なぜなら、日本は本全体を”翻訳する”ことに長けているから。
商品として売る上での内外の圧力ももちろんあるだろうが、本当に上手。
すぐ「国民性」という言葉を使いたくないが、日本語に”翻訳”された本たちは表面上とはいえ日本人のように第一印象が良い。
つまりCDでいうジャケットのセンスが素晴らしい。
最近とても良い例を見つけた(内容も面白いです)ので、是非以下のいくつかの例をみていただきたい。
①
②
③
④
④
勘違いを防ぐためにここで確認しておきたいのは、私は「外国語書籍を日本語に輸入して新しいカバーをつけた方が様々な点で優れている」ということが言いたいのではありません。
日本は外国語書籍の『外国っぽさ』を残しながらも日本用に改変することに長けているということです。
というか、私の好みです。
熱狂的なファンではありませんが、ディズニーランドのキャクターグッズに関しても同様のことが言えます。
もっというと、私がこの本に興味を持ったのは「翻訳の仕方(=表紙のセンス)が良いから」という唯一の理由によってである、といっても過言ではないかも。
①②③はシンプルな原題そのままだと日本人の大多数に内容が伝わらない(だからこそいいという場合もある)から帯とタイトルを含め割とくどく説明し、何よりも表紙が思わず手に取る仕掛けにあふれている。
(これは映画のタイトルやチラシの原題→邦題間にもあることですが私は好きではありません。)
④は日本語版はタイトル=イラストの初版のデザインはほとんどそのままに、日本人なら一目でわかる和田誠を表紙に起用しちゃうとかね。
⑤はタイトルそのまま翻訳しているけど、シンプルながらただものではない感を出すことに見事成功している。
公平を保つために、日本書籍の外国語翻訳版のお気に入りもいくつか載せますね。
#hateeaster? Indifferent? We understand. A full Keshiki set can help take your mind off it: https://t.co/63jemd6ZGE pic.twitter.com/l1KI8Rc8Xi
— Strangers Press (@Strangers_Press) 2017年4月14日
この日本文学翻訳プロジェクトも重さや紙の質のデザインに至るまで細部へのこだわりが見受けられます。
これらの逆バージョンを踏まえ、全体の翻訳のされ方を見ていると、二冊間の時間差が良い結果をもたらしているのかな、とも思えます。
中身が長い時間をかけて翻訳されて、より吟味され様々な要素を選び抜いた上でのこの表紙!という感じがする。
また、"翻訳"というのは解釈を広げれば他言語の書籍間だけに起こる現象ではない、とも思います。
例えば大御所のペンギンブックスは大御所であるだけに、古典を再発掘することに卓越しています。
手のひらサイズで色が清潔感に溢れた値段もワンコインのものから、
コレクター用でまさに本棚で埃をかぶるためのものまで。
でも最近の一番のヒットはこれかも!
ディストピアファンにはたまらない。
これ、実は写真の撮り方がうまくないとタイトルが見えない印刷の仕様になっていて、
手に取った時に表紙のイラストとうまく光の調整が合わさって意味がわかった時の快感といったら。
Lust, Deception, Madness and Cruelty. Four new collections of Roald Dahl's darkest stories. https://t.co/JaB2bYGWQl pic.twitter.com/T34Lhc3obJ
— Penguin Books UK (@PenguinUKBooks) 2016年8月25日
ロアルド・ダールも国によって売り方が全然違いますよね...
本は印刷技術のおかげで多数複製されることが可能になりましたが、それが当たり前になってきた今、特に古典に関しては再解釈や本の全ての要素をひっくるめた改訂・改良版が求められています。
本が主に扱う言語は生き物であり、商品として流通するためにも、コワモテながらも脱皮を繰り返している。
そもそも、何に関してもオリジナルなものなんてあるのか。
オリジナル>コピーの構造をひっくり返したのはデリダですが(論文用に読まなきゃ〜)、本は中身だけでなく本そのものについて考えることも色々ヒントになりますね。
本の存在自体が古典的なものですからね〜
Derrida's Voice and Phenomenon (Edinburgh Philosophical Guides)
- 作者: Vernon W. Cisney
- 出版社/メーカー: Edinburgh Univ Pr
- 発売日: 2014/07/30
- メディア: ペーパーバック
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今回は物体としての本にしか触れませんでしたが、関連して古典に関しても書き溜めている原稿があるので近いうち載せようと思います。
高校時代、古文・漢文の授業を貴重な睡眠を確保するための時間と見なし、百人一首の内容をただの下ネタと解釈したあの頃の女子高生からは考えられない進歩ですね。
それでは、また!