キヨカのブログ

半永久的夏期休暇自由研究

2月は贈与論の月

...というのもバレンタインデーと私の誕生日がある月だからなんです。

日本だとクリスマス、お正月に引き続いてバレンタインとなると三ヶ月連続で出費がかさんで仕方ないですね。
それには他ならぬプレゼントの交換/贈与が各イベントの大部分を占めているからですね。
 
てなわけでPresent(贈り物)を通してPresent(現在)を考えてみませんか(うわぁ...)。
ちなみにbirthday "present"というよりbirthday "gift"というのが、周りの友達の英語を聞くにこちらでは主流かも。
考古学だと"offering"とか"tribute"とかなんだかすっごい血が滴ってる感じのパワーワードが頻発するので、同じ類語で「あげる⇄もらう」を表すにも幅広いですね。
 
というのも、過去数年で私のものの見方を大きく変えたコンセプトのうちの一つに『贈与論』というのがあり、やっぱりこの私の誕生月には振り返らざるを得ないでしょう...ということでこの月の記事は贈与論がテーマです。
 
ちなみに色々これから発言する側として自分の立ち位置を説明しておくと、私は考古学専攻なので、『贈与論』が主に議論される文化人類学を専門としているわけではありません。
が、この二つの学問領域は密接に絡み合っているし、『贈与論』自体がここら辺界隈で非常に重要なトピックであるので、どちらかを専攻していて習わないことはあまりないと思われます。
 
いちおう一通りの文献は二年前ほどに集中的に読んだのですが(下記参照)、今敢えてそれらを一字一句参照することなくまとめてみるとしたら、贈与論が学界的・社会的に画期的だったのは、ヒト>モノという力関係を覆し、両者が同等に、複雑に関わり合う関係が繰り広げられる場として社会をとらえ直した点ではないかと思います。
 
ポスト・ヒューマニズム的(脱人間中心主義的)とも言えるし、文化人類学者に観察される側であるはずの”未開”の人々の贈与論的慣習が観察者である"文明人"にも共通する社会構造を抉り出したという点では、ポストコロニアリズム(脱植民地的)とも言えるかもしれません。
色んなものを脱しました!おつかれさまです。パラダイムシフト
 
それを踏まえて今、私の言葉で説明してみると、贈与論とは「モノの交換や贈与によって定義されるヒト間の関係の創造・継続・断絶」についての研究だと思います。
 
敢えてカタカナで表したのは抽象化したかったからです。
ここでいうモノとは贈られ、交換されうるもの全てを指しているし、人間ではなくヒトとしたのも文化的な人間というより、生物学的意味合いを含ませたかったからです。
それに物だけが交換されるわけではなく、お金や、恩や思考などの目に見えなかったり形がないものも含まれます。
 
二年ほど前、私にとって贈与論が青天の霹靂だったのは、当時悩んでいた人間関係についての答えを多少なりとも示してくれるものであったからです。
 
かなり個人的経験になるので当時のそれ(今も多少続いている)を平均化して述べると「私が今苦しんでいる人間関係も要はモノのつながりなのか」と思うと少し楽になれる部分があった。
どんなに表向きに純粋な人間同士だけで繋がっているよう見える関係であろうと、根幹では純粋な貸し借りの押し合いへし合いが繋ぎ止めているのだと。
英語だとowe、日本語だと負うで、割と響きは似ていますが、このowe/負うの投げ合いなんじゃないか。
 
小さくて身近な例ですが、そうであればこそよく表しているのが居酒屋で飲んだ時「ここは私が」という行為は、奢られた相手が次回、同様に返せる場を想定しているから起こりうることで、そしてその次にはまた次があって、...と始まってしまったが最後、ほぼ無限に続く”人間関係”の始まりなのです。
 
自分の意思のみで始まっていないとされる関係などもありますが、いずれにせよモノの交換の中止を通じて断ち切るというのは相当なことです。
 
その途方のなさに辟易もしましたが、私は一応、こうしてモノの交換が作っているものとして人間関係を見る視野を手に入れたことで、関係の作り方や切り方を理論的に学んだような気がしました。
 
相手を本当の意味でも物理的にも精神的にも罪悪感という意味で服従させるには「あるのにあげない」のではなく、ポトラッチのように「相手が返せないくらい与える」ことなのだ、とか、他の人にとってはどうでもいい、全く高価でもなんでもないものが「先祖代々伝わるものだから」という意味で重宝されているのはポリネシアのクラと同じだな、とか、自分の身の回りで起こっているモノの循環について、ある意味で冷たく、でも一方では洞察力の高い文化人類学者の視点を手に入れることができた。
 
でもこの贈与論的思考というコマンドを手に入れた当初は使いこなせず、見たくないものを見てしまったような気もしました。
これを学び、自分なりに消化した今でも「知らなければ良かったな」と思うことも多少あります。
でも「正体不明の何か」に脅かされるよりは、まずは本当の敵を知ることが大事です。
私が戦うべきは特定の"この人"じゃなくて、社会システムなんだな、とか。
 
それにもちろん人間関係の全てが贈与論で定義されるわけでもない、という、贈与論を学んだからこそ、良い意味でお釣りが来ることもありました。
先日の誕生日パーティーが良い例で、すごく幸せだった〜!
 
ちなみにクリスマスの12月やお正月の1月ではなく、私の誕生月であること以外になぜ2月が贈与論を語る月においてふさわしいかを説明させてください。
 
2月はバレンタインですが、社会学的にはもう完全に資本主義で嫌いですけど、文化人類学的には「関係が始まる月」になりやすい。
「好きな人に告白」とか、今までなかった関係がイベントとプレゼント(チョコ)によって開始される。
思いが成就しただのなんだのは関係なんです。
モノの贈与を通して、単なる他者間の人間関係が違う色を帯びてくる、というのが大事。
一方、クリスマスやお正月はどちらかというと「関係を保つ月」というのがふさわしい。
家族で過ごしたりしますね。
 
でもここで私の誕生日が二月に入ることによって!二月は関係が始まる月と関係を保つ月の二重構造になるわけです。
先日も親しい友人たちに囲まれて過ごしたのですが、パーティを通じて私と彼ら間の関係は保たれようとしますが、私以外の彼ら同士では新しい関係が始まっていたりして、見ていてすごく微笑ましかったです。
 
大学という高等教育機関に今年で合計7年間くらいいることになるのですが、学んでいて楽しいとかためになると思うのは、必ずしも集合的単位の「社会問題」が学んだことを通じて解決できるようになるときだけでなく、その「社会問題」の影に隠れて後回しにされがちな個人レベルの自分の悩みに対する答えが見つかったり、「こことここが繋がるのか、というか繋げていいんだ」と感じる瞬間であるように思います。
とはいえその社会問題も蓋を開ければ個人の問題の要約なので、相補的ではあります。
そういった意味で教育というのは個人レベルで行き届いてほしいなぁ、と、国内外で良い教育を受けている身だからこそ言えるのですが、思う限りです。
 
私は今年25歳になったんですけど、この特別な一日を祝うというより(今日も朝から図書館に缶詰だし)、ここ最近、自分で作り出し保っている生活や習慣、人間関係の流れがすごく素晴らしいので、どちらかというとその良い流れを通過する1日がたまたま誕生日であることに感謝しています。
 
以下、人類必読書連発の参考文献タ〜イム

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https://mishimasha.com/books/ushirometasa.html

中身の凄さもさることながら、どちらかというと「読書体験」がすごく大事なので、私が敢えてここらでとやかく言うのを聞くより読んでみてほしい。

若かりし頃の私は代官山蔦屋で出版イベントに行って「考古学も文化人類学と同じで、学ぶ意味がないって言われてますけどどう思いますか」なんて作者に質問しちゃいましたてへぺろ

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https://sekaishisosha.jp/book/b449100.html

上記と同じ著者の松村圭一郎先生を筆頭に現在の文化人類学の叡智がギュッと、そしてファッショナブルに詰まった一品。こういう表紙のデザインの本を持っている、っていうことが大事です。ジャケ買い待った無し。私は海外でしか文化人類学を学ぶ機会がなかったのですが(日本にいた頃は存在も知らず)、学術傾向が比較できて面白かった。

 

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https://mishimasha.com/books/21stcentury.html

『うしろめたさの人類学』同様、私の大好きなミシマ社さんから。ソフトカバーの本の触り心地がいいんですわ。贈与論に限らず貨幣学や経済学も入り組んでいて、かつ読みやすい。

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http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000185679

う〜んこれも表紙が良い...と思いきや五冊のシリーズの合本なのでクソ分厚くて重いです。サイズを予め確かめてから買うなり借りるなりをお勧めします。「うお〜文化人類学やったるぞ!!!レヴィ=ストロースだ!モースだ!マリノウスキーだ!」といきなり原著にぶち当たって全滅するのではなく、プロが一段階消化した文章で相性を確かめてみる方がいいかも。贈与論にあたるのは『愛と経済のロゴス』です。↓

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http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000195220

表紙、どうにかならなかったのか???

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http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000323958

松村先生然り、日本の文化人類学の最前線の方々、仕事が早くて多作なの、ありがたすぎますね。ほぼ隔年で出版してるの頭おかしすぎる。中沢先生は他の著作でもチベットの仏教について触れられていて、これが集大成の一段階なのかな。チラッと立ち読みしたけど相変わらずのっけから文字だけで周りの世界が再構築されていく感じたまんないですね...

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http://sayusha.com/catalog/books/longseller/p9784865281798c0039

お、インゴルド、日本でも翻訳出てんじゃん!と思ったけど、個人的には日本語訳の文調が肌に合わず、読み進められませんでした...英語の論文もたくさん出ているので、エッセンスを掴み取りたいだけなら短い論文から読むことをお勧めします。この方も様々な専門を行き来していますね。

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http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=2236

デスコラも私は好きです。去年の夏あたりなぜか今通っている大学に公演に来ていて、アルコールが入った勢いで普通に話しかけることができました(こちらの大学ではアフタードリンクがよくある)。

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https://www.iwanami.co.jp/book/b482341.html

以前紹介した『性食考』 の待望の新作ですね。前作でも身近なポップカルチャー現代文学への言及が多く読みやすかったのですが、もう今回、タイトルっていうか研究対象がナウシカなんですね。

 

実は今月はサウナの記事を書こうと思っていたし書きためていたんですけど、さっきお昼ご飯を食べたら考えが変わったので2時間ほどでさっくり書き上げてみました。

さっくり、"かき揚げ"...かき揚げが食べたいな〜泣

 

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