「今日のみそ汁はインストゥルメンタルよ」Parcelsとかいう西京(最強)バンド
音楽を聴いたことのある人で、この言葉に疑問を持たなかった人などいないだろう。
シングルCDのinstrumental ver.を勝手に二曲めと勘違いしラッキー!と思って蓋を開けてみたら肝心の歌詞が入っていないじゃないか!?と、曲名をろくに確認せず列で認識した自分を省みた人も少なくないかもしれない。
いま家で作業する人が増えるなか、全体的な音楽のストリーミング率は下がったがインストゥルメンタルのジャンルだけ上がった、といったことも耳にしたような気がする。
歌詞がないほうが集中しやすいと言うのもうなずける。
それにしても音楽用語ってすごくヘンなものが多いように思う。
シングルの対義語?がアルバムなのもよく考えてみれば変だし、コンピレーションだのオムニバスだの、英語なんか全くわからず二ヶ月分のお小遣いでやっと初めてのシングルが買えた中坊にはちとハードルの高い単語が多かった。(平成キッズの話をしています)
そのなかでも"インストゥルメンタル"は群を抜いて頭の中を?で埋め尽くしてくる。
まずどこで切ろうか。
英語の知識を中学生あたりに巻戻して考えてみる。
インはinで接頭辞っぽい。
メンタルもなんか聞いたことある。
でも間のトゥルはなんだ、トゥルって。
じゃあインストゥルまで一気に続ける?
インストール?パソコン?
英語でスペルを確認するとinstrument(楽器)の形容詞系ということがわかるのだけど、他ではほとんど聞かない単語だ。
しかもまだtruのトゥル感がすごい。
文字感はさておき、”歌詞入りの音楽の歌詞なしバージョン”というのが一般認識であろう。
元からヴォーカルが入っている曲のヴォーカルをわざわざ抜いたものですよ、という印象が強い。
ここでwikiを参照してみる。
An instrumental is a musical composition or recording without lyrics, or singing, although it might include some inarticulate vocals, such as shouted backup vocals in a Big Band setting. Through semantic widening, a broader sense of the word song may refer to instrumentals.
なんだか思ったより曖昧だな。
もう最後の文なんて「幅広い音楽を指します」と堂々と言っちゃっているし...
inarticulate vocals(はっきりしないヴォーカル、おそらくア〜とかラララとか)が入っててもいいのか。
でも確かに、instrumentalというジャンルを名乗っておきながらヴォーカルが多少入っている曲も少なくない。
日本語版はどうだろうか。
なるほど。
元は声楽に対する器楽と言う位置付けだったようだ。
昔は声楽>器楽という明らかな上下関係があったことも書かれている。
"シングルCDなんか買うと3曲目あたりに歌なしの曲が入ってて「インストゥルメンタル」と書いてあります。ご家庭でみそ汁の具を買い忘れたお母さんはこう言えばいい。「今日のみそ汁はインストゥルメンタルよ」テスト中、答えがうかばないとき、みなさんは空欄の横にこう書くといい。「インストゥルメンタルです」漫画の中で僕は色々なもの描き忘れてると読者に指摘されるが、あれは勿論「インストゥルメンタル」だ。" 38巻
もはや現代詩といっても差し支えない表現力と、文章を四コマにしたような起承転結。
ONE PIECEは漫画本編もさることながら、SBS(読者からの質問コーナー)や扉絵、そして表紙の裏にまで徹底して読者を楽しませようという意気込みが細部まで伝わる数少ない人気長期連載漫画の一つだ。
何度読み返しても新しい発見があり、各単行本発売当初すでにオタクだった自分がいつになってもアップデートされるという、オタク冥利に尽きる作品である。
そんな引き出しが無数にあるなかで、多分三秒くらいで思いついて書いているんだろうけど、だからこそ先生の笑いの瞬発力が光っているのが巻頭コメントである。
一般的な漫画だと作者の近況報告や本編への意気込みが書かれていることが少なくないのだが、尾田先生の場合、突拍子もない内容が書かれていることが多い。
私は長年にわたる ONE PIECE愛読者だが、本編の内容はけっこう忘れていても巻頭コメントでどうしても頭から離れないものがいくつかあり、このインストゥルメンタルに関する38巻のものもそのうちの一つだ。
今見たらこの巻の発売日は2005年で、私は当時小学校高学年だった。
ちょうど兄姉の影響でCDという物体を知覚し始めた時期と重なり、それが今に至るまでの強烈な記憶に影響しているのかもしれない。
ちなみにONE PIECE本編ではウォーターセブン編まっただ中で、夏休みに一気読みしていた記憶があるけど泣きすぎて脱水症状になるかと思いました。
改めてこの巻頭コメントを見てみると、いかに私たちがインストゥルメンタルに対して曖昧且つちょっとクールなイメージを抱いているかがわかる。
”外来語”かつ”音楽用語”であるがゆえに本来それが指すところはなんであれ、なんとなくかっこよく聞こえてしまう。
しかも「絶対聞いたことはあるけど実はよく知らない」単語でもあるので、言われた側はなんとなく「この単語を知らないと思われたら恥ずかしい」と思い訊き返せない、という心理も利用することができる。
...といったことを踏まえて、尾田先生は「"インストゥルメンタル"という言葉を使えば、本来はネガティブなものがカッコ良く言い換えられてその場をうまく切り抜けられますよ」という、いかにも小中学生が好みそうな小技を伝授してくれているのだ。
「あるべきものの不在は不という表現を使わなくても表現できる」というのが心理作戦も含み、自身への皮肉も込めて見事に数行で表現されている。
しかしここで私が疑問を呈したいのは「みそ汁」という例えである。
この場合、具が歌詞で、みそ汁の部分が楽器の演奏部分ということになる。
なんとなく、みそ汁の場合、確かに具が入っていなかったらショックだけど、みそ汁がみそ汁たらしめる要素を考えたときのみそと汁の比重が具より圧倒的すぎるのだ。
つまり歌詞(具)がないがしろにされてはいないか、と思うのだ。
どちらかというと寿司のワサビ抜きの方が近いんじゃないか。
え、じゃあネタとシャリが歌詞で、ワサビが歌詞の部分か、といったらそれもあまり腑に落ちない。
ネタとシャリの関係なのかもしれない。
一心同体。一蓮托生。
それを無理に離そうというのだから大したものである。
instrumentalという単語のそのものが本来的には"補助的"というニュアンスが強いことにも注目されたい。
先ほどの寿司とワサビの例えが適切かもしれない。
寿司がメインで、ワサビは補助的。
でも楽曲の場合、そうはいかない。
曲とはなんなのだ。
歌詞と演奏がそもそも一体化して曲を成り立たせていると考えると、それを分離することはもはや黒魔術的な試みなのかもしれない。
ワサビをチョンと抜き取って「あいよっ!サビ抜きね!」といった単純な引き算ではなく、曲にとってはごま塩をごまと塩に分けるくらいの行為なのかもしれない。
でもこれ、別に技術的にはもとから別々にレコーディングしていたりして、対して難しいものではないだろう。
それでも一度完成すると離れがたい。
にしてもlylics-lessとか言わないところにやはり音楽用語の凄さを感じる。
これだとマイナスの印象にどうしてもなってしまう。
歌詞の方がどうしてもメインだったんですね、と思われてしまう。
そもそも何が歌詞で何が歌詞じゃないのか。
歌詞カードに書かれているから歌詞なのかというわけでもないだろう。
逆に、声だけの曲でも歌詞が全くない場合ももちろんある。
...と、私のようにインストゥメンタルを中学生からこじらせてしまった人に紹介したいアーティストがいる。
Parcelsというのだが、ひとことでいうと生年月日的に70/80年代をリアルタイムで追えなかった人たちのために存在しているようなオーストラリア発の五人組バンドである。
彼らの曲は、「インストゥルメンタルする必要がない」、いわばアンチ・インストゥルメンタル(anti-insturmental)的であると言える。
歌詞そのものと楽器で奏でる音楽の恣意的な分離を許さない楽曲が多いのだ。
ラーラーラーとかが多いし、何よりイントロが長すぎて初めて聴いたときは「え、歌詞ないの?」と思わせる曲も少なくない。
歌詞があっても同じフレーズの繰り返しが多く、歌詞をじっくり聴くというよりはヴォーカルの声が楽器の一つというような位置付けである。
これらの代表曲はそうでもないのだが、私が好きな曲はイントロがものすごく長い印象がある。
ということで2018年に(やっと)出たアルバムのそれぞれの前奏時間を以下書いてみた。
カッコ内は曲全体の長さである。
いうまでもなく何を前奏とするかもインストゥルメンタルの定義同様、限りなく主観に拠るところが多いのでそこはご容赦いただければと思う。
1:01 (3:08) Comedown
0:29 (3:57) Lightenup
0:20 (3:25) Withorwithout
0:05 (3:43) Tape
6:01 (8:35) EveryRoad
0:50 (3:39) Yourfault
0:18 (5:30) Closetowhy
1:55 (5:27) IknowhowIfeel
1:00 (5:12) Exotica
0:24 (3:01) Tieduprightnow
0:19 (2:27) Bemyself
...まあ確かに長いかもしれないけど、比較対象がないとなんとも言えない。
数えている間、何をやっているんだろう?となんども自問したし、そもそも音楽における平均的なイントロの長さの統計なんてあるのか、とこの文章を書いている意味が見えなくなってきて検索してみたら出てきた、出てきた!
研究によると、最近の曲のイントロが格段に短くなっているのは、Spotifyなどのストリーミングサービスの台頭が理由ではないかとされているのだ。
この研究が発表されたのも2017年で、ちょうどこういったサービスが増え始めている時期だったと記憶している。
私が利用し始めたのも確かその頃からだった。
80年代中旬の平均のイントロの長さが平均20秒以上であったのに対し、5秒ほどに落ちているそうなのだ(この「落ちた」という表現はしかし必ずしもネガティヴに捉えられるべきではないが敢えて直訳に近い表現を採用した)。
そして、その背後にはストリーミングサービスの「スキップのしやすさ」が関連していると。
なんでも利用者に30秒以上再生されないとプレイ数としてカウントされない、つまり再生量が支払われないということは作る側、つまりアーティストがお金を稼ぐにはもちろんその30秒間でいかにリスナーの心を掴むかが鍵となってくる。
とすると、長々とイントロを演奏するよりはサッとヴォーカルでより早くつよい印象を与えられた方が良い、というのが全体的な傾向らしい。
さりげなくシャッフルして聴いていた音楽がマッチングアプリみたいな話になるなんて。
私はSpotifyの、自分が作ったプレイリストを流しっぱなしにしているとそれが終わった時に勝手に私の好きそうな曲を流してくれるシステムが好きで、もう最近ほとんどそういった形でしか好きな曲を発見していない。
でもこの「好き」の「発見」の裏にはもちろん、オトナのおカネの世界があるんだろうなとは思っていたけど、30秒とはね...!
明らかにSpotifyに喧嘩腰なメディアとは裏腹に、私は今の今、この記事を書くまでそんなことを意識したこともなかったし、イントロの長短だけが曲の良し悪しを決める要素ではないはずだし、80年代のイントロの長さの裏にも違った商業主義があったとしてもおかしくない。
それでもやはり、音楽を聴く手段そのものが聴く側のみならず作る側にも影響を及ぼしているのは確かで、それがもちろん音楽界全体の変化をもたらしているのは事実だろう。
ここでもう一度、Parcelsのアルバムのイントロの長さたちを見てほしい。
最初の曲はなんというのか、三分の一がイントロということで、最初の曲は曲全体がイントロっぽくなりがちというアルバム構成あるあるを差し置いても、Spotifyのシステムを敢えて無視しているようにしか思えない。
やっと四曲めで早くなったかと思いきや、そのあと意味のわからない曲(台詞はなんか言っているが本格的に歌うのは6分あたりから、それもすぐ終わる)が入り、そのあともSpotifyのイントロの鉄則を結構な確率で無視し続けている。
ここで偶然なのが彼らが本格的にデビューしたのもこのイントロ問題が騒がれ始めた2017年ということだ。
私がParcelsの彼らの80年代っぽさに惹かれたと思っていたが、その80年代っぽさというのが、リズムや雰囲気以前に一見シンプルだが気づきにくい、今は廃れつつあるイントロの長さにあったのかもしれない。
逆に言えばジャンルに限らずイントロを長くしさえすれば80年代感が出るとも言える。
ちょっとイントロ論が長くなってしまったが、イントロが曲に占める割合が高くなるにつれ、曲内のインストゥルメンタル(歌詞なしの部分)の割合が高くなる、といったら前半とつなげることができるだろうか。
しかもこのParcels、ライブバージョンはもっとイントロの長さ且つインストゥルメンタル感がすごいので「歌詞が全く主役にならない」演奏っぷりを見届けてほしい。
もうここで起こっているのはみそ汁でも寿司でもない。
刺身の味噌漬け(西京漬け)定食である。
キーボードのPatrickが3:37あたりからキーボードに背を向けて静かに狂ってしまう以下のライブ動画にも注目されたい。
以下ヘビロテ関連曲たち
↓Tom Mischも歌っている時の苦しげな表情が良いし、FKJはFrench Kiwi Juiceの略らしい。フレンチキウイジュースって何?
youtu.be↓骨盤がどうかしている方々たちによるフロアヌメヌメダンス
↓うう〜む、良いイントロの長さぢゃ...(イントロじいや)
私は音楽なんて作ったことがないどころか、音楽理論も習ったことのない、アウトプットの観点で言えば全くの音楽初心者でしかない。
それでもイントロの長短ほどだったら私にも数えることができ、そこから自分が好きなバンドや曲の傾向や現代の音楽産業における位置付けが少し垣間見えるのは楽しい。
好きなものは好きなんだ、良いものは良いのだ、というバカボンのパパ的な意見ももちろん大賛成だが、自分が好きなものの「どんなところが好きか」「なぜ好きか」の輪郭をなぞり全体像が浮かび上がってくることにはまた別の喜びがある。
そしてそれはずっと曲を流しまくって(私は好きな曲は好きになった途端一曲だけ500回ほど聴く)、歌詞が入っているのにインストゥルメンタルに聴こえるくらい、そもそも曲を聴いていないように感じるくらい、一つの曲を聴きまくってみて見えてくるものでもあったりするのかもしれない。