ドラッグクイーンは自らをなんと呼ぶか?
完全ににわかなんですけど、現在RuPaul's Drag Raceにはまっています。
簡単にいうと伝説のドラッグクイーン、ルポール↑がオーディション形式で自らの後釜を探す番組のことです。
「レース」となっているのは、最初10人前後で始まり、毎回誰かが脱落して最後3人→王者決定戦となるまで戦うからです。
よくメディアに取り上げられているのは番組最後のLip Sync(口パク)でしょうか。
その週のビリ二人がルポールの"LIP SYNC FOR YOUR LIFE!"の掛け声とともに予め指定された曲に合わせて歌って踊るわけですが、負けたら帰宅しなければいけないので大体ものすごく気合が入り、アクロバティックな技も繰り広げられます。
私は国内外問わずいわゆるドラマやシリーズ番組にはまったことがほとんどないんですけど、この番組はオチ(優勝者)を知っていても楽しめます。
なぜこの番組は多くの人々を惹きつけるのでしょう?
ここでは「ヘテロで女性で美男美女が好き」というありふれた一女性の視点から語らせていただきます。
大まかに
・彼女達が恐ろしく綺麗だから
・元気が出るから
・英語の勉強になるから
の三つに理由が分けられると思います。
・彼女達が恐ろしく綺麗だから
番組内ではステージ上と楽屋(化粧・衣装作り用)があまりにも明確に分かれています。
私は自分がほとんど化粧をしないくせに、日本のアイドルの偽「すっぴん」にはブチ切れる心の狭い人間なのですが、ここでそんな心配はありません。
彼女達は舞台裏では完全にオッサンなのです。
もちろんそのまま男性としても普通にイケメンの人もいますが、中にはビフォーアフターで別人になる人も。
出場者の平均年齢も30歳ということが少なくない。
体型も細ければいいなんてことはなく、中には豊胸している人など色々です。
曲線美のためにはパッドを入れまくるし、ウエストも極限まで細くする。
ゴールである「女性」の対局にいる時点で土台はほとんどゼロなわけで、そこからいかに作り込むかが見れるわけです。
半顏メイクなんてのがインスタグラムで流行りますがそんなもんじゃない。
そしてその完成形を番組終盤のランウェイで拝むときには思わずため息がこぼれます。
私の推しメンは以下の方々。
・なぜ元気が出るのか?
私は心底曲がっている人間なので「自信に満ち溢れている人」「自らの魅力を知った上で振る舞う人」を好ましく思えません。
要は僻んでいるわけなのですが、まさに自信満々で綺麗な彼女達を見ていても、そんな気が起こらないのです。
これは簡単に言ってしまえば「彼女たちは本来男性で、私は女性だから」だと思います。
上記にあげた二パターンは、ヘテロセクシュアルである私は男性に対しては僻むことはせず(勘違いmensplaining fuckboyは論外です)、むしろ魅力に感じます。
ハリウッド女優などの別格の女性に対しても同じで、散々言われていることですが僻みという感情は、自分と全く違うタイプには起こりえない感情です。
無駄だから!!!
これ以上汚い言葉を使うのを避けたいんですが、
「なんで私とほぼ同じ立場のこのレベルのコイツが私よりでしゃばってんの?」というときにしか僻みは生まれません。
コンプレックスが競争意識に発展して、武器になるときもあるけど!
ドラッグクィーンたちに話を戻すと、彼女達は期間は様々ですがとりあえず「生物学的な男性からそこらの女性よりも綺麗な女性になりたい」わけで、それには外見だけでは不十分です。
寧ろルポールは自身の経験から内面も次世代クイーンを選ぶ上で考慮に入れます。
彼女こそ番組内でもっともウィットに富んでいて、自信満々で、美しい。
頭脳勝負も強いられます。
そして何より、自信を尊重します。
パフォーマンスに直結するからです。
人間はなんに関してもきれいでかわいいものには共感し、心が洗われると思うんですけど、なんか違うんだよな〜
芸術品を見たときの「ただ美しい」で片付けられない感情に近いかな。
自分とは違って、自分が絶対になれないもので、自分も目指していないもので、それでいて応援したくなるというのは
相当魅力がある人に対してでないと起こらない気がします。
この感情は男女問わずはまったアイドル達には抱いたことがありません。
もちろん量産型アイドルたちも血の滲むような努力をしているとは思うのですが、
性別だけに絞って考えても
「自らの性別を生かしてその頂点を目指す」のと
「誰もなることを期待しておらず(寧ろ差別もある)、圧倒的不利な対岸を飛び越えてトップに駆け上がる」
とではかなり識の差があると思います。
そして彼女達は「ただきれい」であることから寧ろ遠ざかり、新たな地平を築いているように思われます。
ただの素人のくせに「彼女達はきれいな女性になりたい」なんて言ってしまったけれど、本当はそんなのとっくのとうに超えているかも。
・英語の勉強になる
これはもちろんで、舞台裏でも表でもスラングは飛び交うわ、冗談でもけなし合うわで非常に勉強になります。
↑Bianca Del Rioに”illiterate”と叫ばれたい。
何よりも女性よりも女性的な言葉(英語なので非ネイティブとしては日本語ほどはっきりとした性差はわかりませんが)を使うので、きついのに丁寧でわかりやすい。
ショービジネスということもあるかもしれませんが。
舞台裏の喧嘩のシーンなんかもやらせだとしても圧巻です。
そして気がついたのが、彼女の人称の使い方です。
アイ・マイ・ミー・マイン
ヒー・シー・イット。
穴があったら入りたくなるような日本語英語をいきなり出してしまって恐縮ですが、悲しいかな、これが私たちが義務教育で習う英語ですね。
一人称は I(アイ)。
私たちはそう習ったはずです。
ところがドラッグクイーンになると、三つ使えるんです(!)。
もちろん大体はI。
そしてsheとheです。
心が女性で体が男性の人、心も体も男性だけど女装を楽しむ人、人により立場は様々ですが、
おそらく使い分けているのは、
She=女装した自分を語るとき/他のクイーン達を語るとき、
I=女装でも男装でもどちらでもない、もしくは入り混じっているとき
He=女装した自分から生物学的男性時の自分を語るとき(ex.過去)
という感じなんだと思います。
(あくまで私の意見なのでもし当事者の方がいたらお聞きしたいです)
使い分けない人もいます。
ドラッグネームで呼ぶことも多いですね。
↓上のことに注意してシーズン10のクイーン達を見てみよう!
これは英語独特の表現ですよね。
日本だと主語で「俺」「僕」「私」と選べますが、
私は英語の主語至上主義を突き詰めた結果、結局主語が複数になるという矛盾にも魅力を感じました。
またまた新しい地平を築いていますね。
ニューハーフの「ハーフ」には共感できませんが、色々な意味で「ニュー」な分野を切り開いていく彼女達が好きです。
〜終わりに〜
偉そうなことは何一つ言えませんが、
私は友人にLGBTQなどなどの方がいますし、性について考えることはどんな性別でも分け隔てなく重要だと思っています。
とか言ってるそばで日本では性教育を「破廉恥」だとかほざいている政治家がいて情けない限りですが。
そんな人々が一刻も早く改心すること願い、一応本紹介のブログなので駆け足で紹介します。
言わずと知れたまきむぅから〜
まきむぅ(牧村朝子) (@makimuuuuuu) | Twitter
そしてドラッグクイーンと言えば!
あと以前紹介したんですけど、プラトンの饗宴は性の今昔を考えるヒントがたくさんあります。
食事中に話していると思えないほど!まあ、飲み会か。
関連して最近見た映画では
これ意外と考古学映画で、ギリシャの同性愛へのオマージュでいいなって思いました。
文字通り主役二人がギリシャ彫刻並みの美男子だし〜
バーレスクはミュージカル映画嫌いの私でもアギレラさまが出演なさっているので目ん玉かっぽじって見ました。
みんなの憧れ、Xtina↓
心と体の性に関しては、
ちびりそうになるシーンがあります。
イケメンのエディーレッドメインが儚い美少女になっていて、「女のくせに可愛くない自分って...」という気すら起きません。
何を言ってもネタバレになりそうなので何も言いません。
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手塚治虫の漫画こそ保健体育の授業中に取り扱うべきです。
それにしてもギャグを交えてとは言え、この時代にこの作風は攻めてる〜
ソフトタッチだからこそ心をえぐられる描写にもなります。
だいぶ話が逸れましたが、ドラッグにも女装にも興味なくても、当事者でも当事者じゃなくても、いや、みんなが当事者ですよね、何か手にとってみてはいかがでしょうか〜
またね!