キヨカのブログ

半永久的夏期休暇自由研究

"Little Blue and Little Yellow" 2.0

こんにちは、もう六月ですね。

こちらもオランダなりに猛暑といいますか、日本の夏真っ盛りよりかははるかに過ごしやすいものの、30度を越える夏がやってきました。

日焼けサイコ〜!

あともう一つ、六月といえばPride Month🌈でした。

街中で虹色が目に入るようになって、今回のテーマは色にしようかなと思い色々読んでいたり、前に読んでいたものが色に関連しているものだったりと、まあタイムリーな結果になりました。

今のところセクシュアリティに関して言えば私はLGBTQ etc.には当てはまらないかな、と思っていたのですが、そもそもそういう「誰かが何かの枠に入る」という考え方を改めましょうよという、性別だけに留まらない問題なのではないかなと。

そうやってカテゴライズ、線引きをし続けてとどこかで誰かしらが仲間はずれになるわけで、そういうことじゃないだろ、という注意喚起なのですね。

まあこんなことは先賢の有難いお言葉二番煎じにしかすぎませんが、私にもやっとそこらへんが掴め始めてきたというのは個人的に自分の人間としての成長が嬉しいし、考えるきっかけを与えてくれた人々や環境に感謝するばかりでございます。

そういった意味でのオランダ生活の意義は大きいかも〜

うん。

でもね、多分本編はあまり関係ないかも。笑

それでも私なりに色々な意味での色について考えた記事なので、そこを楽しんでもらえると嬉しいぜ!!!

というわけで前置きはここら辺にして、目次ですよ皆さん。

堅苦しくて恐縮なのですが("恐縮"も堅苦しいな)、本論と補論①②に分かれる結果となりました。

本論だけでも完結しますが、補論①②は本論で取り上げる色以外の色についての参考文献の紹介といった形で考えてもらえるといいかと思います。

本論

『マチネの終わりに』平野啓一郎

かなりの話題作で、ずっと読みたかった平野啓一郎先生の作品。

といいつつも、注意力散漫な私にでさえも「読みたい」を持続させるこの本が持つ力って何だろうとずっと考えていて、表紙だな、と思いました。

驚くことにそれは読み始めてからも続くのです。

内容に対する感想は一言で言えば「時間の力を借りていない時代小説」でした。

もっと時間を置いて寝かせないと、客観化して見ることができない。

小説って少し自分を重ねたり介入させたいときもあるけど、結局「小説だから」で済ませられるじゃないですか。

作品内に出てくる出来事である震災、テロリズムPTSDなど、全てそれなりに私の経験の一部というのもあるのですが、うわ、今蒸し返さないでよって正直思いました。

やっと忘れ始めた頃だったのに〜ってね。

でもそこが著者の意図であるとも思います。

記憶の風化が起こりやすいのはまさに今このタイミングで、つまり人々が「忘れよう」と良くも悪くも前を向いている時期なのではないかと。

それでも読みたいと思ったし、読まなければいけないと思った。

そのためには専門用語や多少難しい言い回しを文中に散りばめるものの、それでさえも中心となるメッセージを伝えるための確固たる計算のもとで行なっている平野先生の小説家としての技巧が大きな部分を占めていると思います。

 

しかもそれらでさえ、あくまで男女の主人公の主軸の周りを回る、恋愛小説を形作る上での要素でしかない。

 

.....という複雑な全てのメッセージを伝えきっているのが表紙なんじゃないか。

白地に大胆な青と黄色で、一見おしゃれなモダンアートと言ってしまっても差し支えない。

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https://k-hirano.com/lp/matinee-no-owari-ni/

でもこれ、もうちょっと目を凝らして(ここからは芸術鑑賞の時間です)、この二色が重なりあっている部分を見て欲しい。

緑、あるじゃん!!!!

この緑の部分がこの小説そのものであると思いました。

黄色と青の、どちらでもいいけれど、何かしら対立する二つの異なる要素を表象しているとします。

主人公の男女二人、二人の恋愛とそれにまつわる事件、書き手と読み手などなど。

これらは明らかに違う色が表すように、それぞれやっぱり独立した二人の存在で、交わることがないと思ってしまうけれど、それでも触れ合う瞬間(まさに英語での「感動」の場合のtouchedって感じ)があるじゃ〜ん、っていうのがこの緑、場所によっては青緑や黄緑になっていたりする。

下の部分の、青が黄色よりも少し面積が大きくて、黄色がそれに乗っかっている感じも良い。

タイトルを表紙に入れなければいけなかったという現実的な問題もあったのでしょうが、表紙全体が色で占められているわけでないのも良い。

タイトル部分の白を残して堆積している感じといいますか、時間をかけて溜め込まれた何か同士が触れ合う瞬間、というかさ。(プレートテクトニクス)(?)

まあこの何か同士は、これを踏まえると30~40代という世代である主人公たち、という解釈が一番有力かもしれないですね。

あ、そこで緑は当事者二人を知っていて第三者の視点から描く、平野先生そのものかもしれない。

でも、何で黄色と青なんだろう?

Pride Monthに言いたくないけれど、男女を表す色と言えば青と赤じゃないの?

....というのはもうみんなの子どもの頃の友達(私にとってはリア友なう)のレオ・レオニおじちゃんが触れているわけなんだ、というのが次章です。

『あおくんときいろちゃん』レオ・レオニ

絵本がすぐ手に入らなくてYoutubeの読み聞かせの動画を見ていたのですが、すごい世の中だなと思いました。

本のオンライン上でのコンテンツ化について、色々考えさせられてしまう。

それはさておき、まずタイトルから。

これ、原作の英語版では"Little Blue and Little Yellow"なので、”くん”や"ちゃん"でそこはかとなく読み取れてしまう性別は与えられていません。

これはもったいないところ!

と、思いきや英語版でもlittle blueは後ほどheが使われていましたが、little yellowは文脈的に代名詞で表す必要がないので良くも悪くも放って置かれていました笑

うむ。

ハイライトとしては、「うれしくてうれしくて緑になってしまいました」という衝撃的な一文で表される通り、littile blueとlittle yellowが抱き合っているうちにお互いの境目がなくなり、緑色の新しい一個体が誕生してしまう、というところ。

...という状態をこういったややこしい専門用語を一切使わず表現できてしまうのがレオ二おじのすごいところ。

原文でセンスが爆裂しております。

Happily they hagged each other

and hugged each other

until they were green.

each otherの繰り返しによる詩的な印象はもちろん、becameではなくwereを使っているところもポイントが高い。

日本語で訳するといずれにせよ「なりました」ですが、なんだろう、これは後ほど二人が再び元の色に分裂してしまう後半部分から振り返って、移行期間しか表せない「緑色になった(=became)」よりも、完全な状態である「緑色であった(=were)」ということを強調したかったのではないか。

このモーメントが重要なんですね。

ひとときでも二人はお互いの境目を忘れて一つになった...というともう完全にアレですが、そういうことなんでしょう。

平野先生に言わせてみるとこんな感じ(拍手)

常と異なるというだけでなく、どこか本質的に自分を見失い、自らを相手にすっかり明け渡してしまう喜び 。

少し悲しいけれど、「緑になったまま二人は幸せに暮らしました」だと普通の絵本なんですよね。

そこを一度「お互いの両親が緑色だと認識できない」という至極真っ当且つ「色でしか自分の子どもを判断できない親」という壁を乗り越えるために、二人は一度元に戻るんですね。

そして緑へのなり方を親たちにも説明するという賢さを発揮するわけなんです。

この成就→喪失→学習という普遍的な神話エッセンスを最もシンプルで美しい手法で散りばめてしまうところ、まじでレオ二おじは永遠の子どもの味方です(合掌)。

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http://www.leolionni.jp/

"Little Blue and Little Yellow" 2.0 試論①

というわけで、私は『マチネの終わりに』は『あおくんときいろちゃん』のアップデートバージョン、つまり2.0として位置付けたいわけなんです、というと非常に強引ですが、この二作が共通で簡潔に「内容を表紙で伝えきっていること」というのは個人的には無視できませんでした。

(タイトルと見出しを英語版にしたのは先述した通り性別があからさまな日本語訳が気に食わないからです)

先ほど神話という言葉を使いましたが、やはり物語構造って何かしら全世界で普遍的なものがあると思っていて、それは近代以降生まれた小説などのフィクションでも少しずつ形を変えつつ同じ道を歩むと思うのです。

『マチネの終わりに』には冒頭にこんな一文があり、これが全てを伝えきっているといっても過言ではない。

人間には、虚構のお陰で書かずに済ませられる秘密がある一方で、虚構をまとわせることでしか書けない秘密もある。

虚構というと寂しすぎるのでフィクションと捉えたいところですが(敢えて「虚構」を使用している意味はもちろんあるはず)、この後者の「秘密」は「本質」と言い換えて捉えてもいいのでは。

神話世界でも非常に浮世離れしたことが起きまくりすが(=虚構)、でもそこには必ず隠れたメッセージがありますよね。

すごく回りくどいやり方けれども、やはりそういう形でしか伝わらない何かがある、というのは同じなんじゃないかな?

『色彩論』ゲーテ

はい、でもここで終わらないのがこのブログです。

むしろここから!

だって上記二つの作品の共通項である"成就"=「対照的でありながらも一緒になる」を説明するために黄色と青を使用した理由が明かされてないからね。

というわけでここで長期に亘る積ん読(沈黙)を破って放たれたのがゲーテ先輩による色彩論です。yey!

彼はまじで博覧強(狂)記で、違う分野同士の人と話していても「え、そっちでもゲーテいんの!?」ということがよくあります。

この色彩論も単体で有名だけれども、シリーズの一つとして位置付けられている感じかな。

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http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480086198/

で、やっぱりあったんですよね〜黄色と青に関する記述がね!

こういう瞬間がたまらない。

この本もね、一字一句きちんと読むよりは辞書みたいにパラパラめくるのが楽しい。

当時としては学術書だったのかもしれませんが、文体はさすがのゲーテということもあって詩的表現に溢れているので、内容そのものよりも美文を眺めるだけでも良いと思います。

出てきたのは四編「内的関連の概観」の最初のほう、「色彩の決定性」というところ。

(本当にパラパラめくっていてたまたま記述を見つけただけなので、 それ以前にも触れてる部分があるかもしれません。あしからず。)

一般的に見て色彩は二つの方向に向かって自己決定を行なう。色彩が提示する対立関係を我々は分極性と名づけ、プラスとマイナスによってひじょうによく表示することができる。

 

プラス    マイナス

黄      青

作用     脱作用

光      陰影

明      暗

強      弱

暖      寒

近      遠

反発     牽引

酸との親和性 アルカリとの親和性

へえ、化学的専門用語はよくわかんないけど、光陰や寒暖がそれぞれの色によって示されそうなことはなんとなく納得がいきますね。

そしてすぐ次の部分。(下線筆者)

両側の混合

 

この特殊化された対立関係をそれら自身の中で混ぜ合わせても、両側の性質は互いに打ち消されることはない。しかし、これらの性質が平衡点にもたらされ、両者のいずれをも特に認識できないようにされると、この混合は目に対して再び特殊な性質を帯びる。すなわち、それは一つの単一のものとして現われ、そのさい、われわれは合成されたということをもはや考えない。この単一のものをわれわれは緑と呼ぶ。

キター!

回りくどい説明ではあるものの、割と緑も早く出てきてくれて私としてはスッキリ。

この記述は『あおくんときいろちゃん』とシンクロしますね。

対立し合うものが混ざりきって落ち着いている状態が緑なのか。

 

黄色、青、緑、それぞれの色についての言及もあります。

黄色は「光に最も近い色彩」で、「つねに明るいという本性をそなえ、明朗快活で優しく刺激する性質を有している」。...(ネガティブな印象も述べられています)

対して青。

「黄色がつねに何か光を伴っているように、青はつねに何か暗いものを伴っているということができる」。

お、以下の言い回しすごくかっこいいですね。(強調筆者)

この色彩は眼に対して不思議な、ほとんど言い表しがたい作用を及ぼす。青は色として一つのエネルギーである。しかしながら、この色彩はマイナス側にあり、その最高に純粋な状態においてはいわば刺激する無である。それは眺めたときに刺激と鎮静を与える矛盾したものである。

ここまで来ると哲学の域に入っちゃってるじゃん、という記述はこちら。

われわれから逃れていく快い対象を追いかけたくなるように、われわれは青いものを好んで見つめるが、それは青いものがわれわれに向かって追ってくるからではなく、むしろそれがわれわれを引きつけるからである。

日本語でいうと「吸い込まれそうな青」って感じかな?

そして緑。(下線筆者)

最初の最も単純な色彩とみなされる黄色と青をその最初の出現のさいにすぐ、その作用の第一段階において重ね合わせると、緑色と呼ばれる色彩が生ずる。

われわれの眼は緑色の中に現実的満足を見出す。二つの母色、黄と青が混合のさいにまったく均衡を保ち、どちらの色彩にも特に認められない場合、眼と心情がこの混合されたものの上で安らぐことは、単純なものの場合と変わらない。われわれはそれ以上を欲することもなく、またそうすることもできない。

ちょっとドイツ語と日本語の翻訳の都合上かもしれませんが、文がややこしい。

可もなく不可もない、均衡状態としての緑といった感じでしょうか。

ここでもやはり黄色と青が"親"(混ざる前の色)として出てきて、緑の個の色としてのこの二色に対する依存度が強いことが伺われます。

緑って自然のなかによく見られる色であったりと、落ち着くというイメージを持たれているし、真っ向から対立する青と黄の中間色として両者を落ち着かせるという意味でも役割と印象が合っているね。

黄色と青の対立も逆算的に生まれたものなのではないかと思います。

little blueとlittle yellowが緑の状態で泣いているうちに青と黄に分裂したように、安定している緑の状態を無理矢理解剖したら青と黄色が出てきた、そんな感じ。

...というわけで私はまた『マチネの終わりに』の表紙と内容の関連性について話を戻します。 

"Little Blue and Little Yellow" 2.0 試論②

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる 。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです 。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える 。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか ? 」

私はここで試論①における解釈(黄色と緑は登場人物二人の象徴)を、記憶や過去の観点から見直したいと思います。

以上のセリフは主人公たちのうちの一人によるもので、二人が合ったときに交わされる会話の一部であり、このトピックは一貫して物語の中で度々触れられることになります。

私はここで、現在の主人公それぞれの状態を緑と捉えたい。

過去の嬉しかったこと(黄色)や悲しかったこと(青)が混ざっていてできあがった自分がある今、黄色と青のどちらに近い緑になりたい(未来)ですか?

というのが作者が伝えたかったことなのではないか。

もう色が混ざっていて判別がつかないものもあるけど、大体の人は緑として体裁を保ち、今現在を生きている。

もちろんたまに貯まった青が強く顔を出すこともある。

それか新しい青が新たに追加されるということもあり、せっかく今まで持っていた黄色でさえも薄めてしまうかもしれない。

でも私たちは黄色を自分の内外に見いだすことによって緑に戻れるんですよ。

それでも緑がなぜ緑なのか、何から成り立っているのかはいつも忘れない方がいいかもね。

だから視点の問題なんですよね。

この物語の結末は、主人公が様々な出来事を経て、お互いに緑になったからこそ訪れるものであると感じました。

この意見に対し、「過去は変えられない」とするのが村上春樹先生。イヨッ!

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年村上春樹

これは『マチネの終わりに』や『あおくんときいろちゃん』と異なり、神話の仕組みが開示されている小説なので読みやすいっちゃ読みやすい、読みにくいっちゃ読みにくい。

好みが分かれるところです。

海辺のカフカ』も古い神話を説明している新しい神話みたいなところがあって、私は好きでした。前知識がなくても勉強になる。

 

それにしても「色がない」というのは、どういうことなのか。

仲良し5人グループで、多崎つくる以外は全員名字に色がついている。

アカ(男)、アオ(男)、シロ(女)、クロ(女)。

...五人はそれぞれに「自分は今、正しい場所にいて、正しい仲間と結びついている」と感じた。自分はほかの四人を必要とし、同時にほかの四人に必要とされているーーそういう調和の感覚があった。それはたまたま齎された幸運な化学的融合に似ていた。同じ材料を揃え、どれだけ周到に準備をしても、二度と同じ結果が生まれることはおそらくあるまい。

...とはいいつつも、色の設定の時点でとりあえず反対色である同性キャラクター同士の対立は避けられないわけなんですね。

だから色をもたない、いやもたないからこそ色を自分で「つくる」ことができる彼の存在が必須だった。

アカとアオの間では紫になれるだろうし、シロとクロの間ではグレーになれる。

他の組み合わせが起こってもまた然り。

だから「ない」ことを少なくとも周りには求められていた。

...おまえがそこにいるだけで、俺たちはうまく自然に俺たちでいられるようなところがあったんだ。おまえは多くをしゃべらなかったが、地面にきちんと両足をつけて生きていたし、それがグループに静かな安定感みたいなものを与えていた。船の碇のように。

補っていたというより、溶媒に近いかもしれませんね。

でもこの役目は色を持つ人々がつくるに対して抱いていた想像であり、彼自身のなかでは色をもたないことにコンプレックスを抱いていた。

しかも五人が完璧すぎて、色で運命的につながったとも言える仲間以外とのつながりをもたなかったこともあり、他の人々がつくる人間関係と相対化できなかった。

この運命や完全体という神話もまた崩れ去るわけなんですが、その理由が後から種明かしされていきますね。

大筋としては主人公が「失った過去を取り戻す」物語なのですが、その行動の引き金となるのが以下の部分。(下線筆者)

「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それがもたらした歴史を消すことはできない」。沙羅は彼の目をまっすぐ見て言った。「それだけは覚えておいた方がいいわ。歴史は消すことも、作りかえることもできないの。それはあなたという存在を殺すのと同じだから」

「どうしてこんな話になってしまったんだろう?」、つくるは半ば自分自身に向けてそう言った。むしろ明るい声で。「この話はこれまで誰にもしたことはなかったし、話すつもりもなかったんだけど」

沙羅は淡く微笑んだ。「誰かにその話をしちゃうことが必要だったからじゃないかしら。自分で思っている以上に」 

わ〜〜〜深〜〜〜い...

もう、「なんで話しちゃったんだろう」という、こぼれ落ちてしまった瞬間というか、これ臨床心理学だったら一番良いセッションなのではないか。

でもこの「辛い過去をつい話してしまった」だけで戸惑うつくるを、沙羅(つくるのデート相手)は「追求せよ」と促すのです。

これはとても辛いし、危険な作業です。

つくるからしてみれば、事件以来ずっと自分は青の状態のままで黄色が入ってくる余地なんてあると思えない。

でも沙羅は彼女自身の存在(助け)があるからこそ、青を掘り下げていくつくるにも黄色が見いだせると信じたし、それが他でもない二人の関係における彼女の役割だと確信したのではないか。

これを「辛い過去をもつつくるくん」を「助けてあげなきゃ」と上から目線ではないのも、彼女の使う言葉の節々に表れています。

「義務とか権利とか、できればそういう言葉を出さないでほしい。なんだか憲法改正論議をしているみたいだから」

 クール。

こういう大人になりたいな。

 

表紙行きましょう、表紙!

お、ハードカバーと文庫、二パターンある。

村上春樹の作品こそ、国内外でも色々な形で出版されているので、表紙を見比べるのが非常に楽しい。

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https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163821108

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https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167905033

いいですね、二バージョンで使用している絵こそ異なるものの、同じアーティストです。

Morris Louis(モーリス・ルイス)という方。

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https://www.metmuseum.org/toah/works-of-art/67.232/

この絵が一番有名じゃないかな?

まあ言わずもがな、私の大好物のジャンルでございます〜ありがとうございます。 

帯の言葉は両方とも、小説内に出てくるなかで印象に残った言葉ではありませんでした。私にとっては。

にしても、春樹作品に出てくる「導く系女子」とでも言いますか、そういう子イイですね。

主人公の「ぼく」を翻弄する存在に見えながらも、小説として彼女たちがいなければ成り立たないんですよね。

ここではつくるを含む五人グループをパレットの上に乗せ、色使いを決めるのが沙羅なんですね。 

"Little Blue and Little Yellow" 2.0 試論③ (結論?)

さて、過去は変えられるんでしょうか、どうなんでしょうかね。

『マチネの終わりに』と『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は書いてある言葉たちこそ対立しそうなものの、メタメッセージは似ているのではないかと思いました。

過去のために過去は変えられないけれど、未来のために過去は変えることができるし変えても良い、という。

起こった事実そのものは変わらないけれど、これからどうなりたいかで事実の読み取りかたを変えても良い。

我ながら太字のとこ、良い言い回しができて満足〜

色のイメージ同様、自分の過去における青と黄色の普遍性は変えられないと思います。

当時自分が認識したものを、反対色に変えるなんて黒魔術もびっくりの技術です。

難しい。

でも私たちはそれでも緑でなんとかやってるじゃないか。

人工的にせよ、青ばっかりだったかもしれないところを黄色で中和させようとしてきたじゃないか。

そうすると優しい緑色になっていくわけで、でもそれには結構日々のメンテナンスが必要で...

...というのがこの小説たちの伝えたかったことであるし、『マチネの終わりに』の場合は表紙がそれにも出てるんじゃないの、というお話でした。

個人的には「過去に戻る」うえで、全くその過去に関係していない人(木元沙羅)に結果的に頼ることに多崎つくるの方が、『マチネの終わりに』の自分たちで頑張りすぎな主人公の二人より、共感できました。

人の力、借りて良いんだよ〜〜〜!

行ったり来たり、お疲れ様でした。

論文と違って字数制限がないので、「本来の結論とは直接関係ないかもしれないけど思考プロセスとして経たという事実は大事」な部分が書けるの、良いっすねブログ。 

補論①「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」ガイ・ドイッチャー/"Through the Language Glass: Why the World Looks Different in Other Languages" Guy Deutscher

この本、前も多分紹介したんですけどやはりあまりにも素晴らしいのでもう一度登場させていただきます。

素晴らしすぎる本というのは一文一文が素晴らしいので、目で単語を追ったあと頭で整理するのに時間がかかるんです。

面白くて一気に読めてしまうんだけど、内容が頭に入ってなかったかも。

噛まずに飲み込んでしまう感じというのもたまらないのですが。

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http://www.intershift.jp/w_gengo.html

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https://www.penguin.co.uk/books/1090315/through-the-language-glass/9780099505570.html

日本語・英語ともに表紙とタイトルがもったいない感は否めないです。

それでも大絶賛が飛び交う本であるし、日本語訳も素晴らしいのでぜひ。

私は90歳を超えてもなお現役の言語オタクの祖父のプレゼントしました。

もう二年ほど前のことです。

色という一見世界共通(なはず)の概念に対し、ある言語使用者はそれを表現する術を持つ一方、そうではない言語を話す人もいる。

それに対して科学界は長年にわたり熾烈な論争を繰り広げてきたわけなんですが、以下筆者が出した結論がこちら。

そんなわけで、過去数十年にわたって集められたデータは論争の両陣営ーー貪欲な自然主義者と文化主義者ーーのどちらも完全には満足させられなかった。しかしむしろ、両陣営とも楽しく仕事に勤しんでいるというのが実情かもしれない。色の概念が主として文化に決定されるのか、主として自然に決定されるのかを心ゆくまで論争し続けられるからである(互いに意見が一致していては、学者商売は成りたたない)。しかし、どちらかになるべく偏ることなく証拠を見直せば、それぞれが真実の一部分を我がものとして主張しあっていることに気がつくはずであるーー文化と自然の双方に、色の概念を我がものと主張する正当な権利があると同時に、どちらの側も完全な支配権を握ってはいない。 

作品内でももちろんきちんと説明されていますが、自然主義者は先天的なもの(身体構造や人種)、文化主義者は後天的なもの(環境)と言い換えたほうがわかりやすいかもしれません。

筆者は言語学者であり、ケーススタディとしてこの本の執筆にあたり色を選んだというだけで、他の部分にもきちんと目が向けられています。

 

数世紀前から辿る研究史(=論争史)を辿るのが興味深いのはもちろんですが、やはりこれらを俯瞰したからこそ持てる筆者の中立的な立場というのがとてもかっこいい。

青と黄色に話を戻せば、筆者はミリグラム単位で丁寧に対立するそれぞれの絵の具を測って混ぜ続けた結果、緑になったというわけなんですね。

そこでできた案牌や「どっちだっていいじゃん」という諦めからくるものではなく、良い塩梅が今たまたま生まれているだけだよってことなんだろうな。(アンパイとアンバイかけました、はい)

それは「特定の色を示す言葉が無いから」というだけである特定の人々を野蛮とみなしてしまうことでさえも”科学”とされていた時代よりかは進歩ありきの安定ですが、そこに胡座をかくのではなく、この姿勢をいつでも忘れないようにってね!

認知能力に関するかぎり、人類は基本的に平等だというのを認めたことは、二〇世紀が戴く王冠を飾る宝石の一つである。したがって現在では、民族・種族間の心的特徴の差異を説明するのに、まず遺伝子に目を向けるということはしなくなった。二一世紀の私たちは、文化的慣習によって、とりわけ異なる言語を話すことによって身についた思考方式の違いを正しく認識しはじめている。

この部分なんて、みそから出た涙が目を伝って頬に零れますよね。

本当にこういう仕事っぷり好き...

しかも最後の最後までのこの謙虚さ。

戦闘で並外れた武勲が立てられたと聞くときには、通常、戦況が思うように進んでいない兆候だと思ってまちがいない。戦争が計画通りに展開し、自軍が勝っているならば、個人の並外れた英雄的行為はまず必要ないからだ。武勲が必要なのは概して負けている側である。

本書で紹介した実験のいくつかはきわめて独創的かつ斬新なので、人間の脳という要素を攻略しようとする科学の戦いが、大勝利をあげた兆候ではないかと勘違いしたくなる。しかし実際には、これらの実験に見られた独創的な推論は、大いなる強さではなく弱さの象徴である。これほどの独創性が必要とされるのは、脳の働く仕組みがよくわかっていないからこそなのだ。 

しかし汝後世の読者たちよ、われらがわれらに先立ちし者の無知を許したがごとく、我が無知を許したまえ。遺伝の謎は私たちの眼前で明るみに出たが、私たちがその大いなる光を見ることができたのは、先立つ人々が倦むことなく闇を探しつづけたからにほかならない。だから後にくる者たちよ、苦もなく達した高みから私たちを見下ろすことがあるとしたら、私たちの努力という踏み台があったからこそ、そこへ上れたのだということを忘れないでほしい。闇を手探りし続けるのは報われない仕事であり、理解の光が射すまで休んでいようという誘惑に抗するのは難しいからだ。しかし、もし私たちがこの誘惑に負けたなら、あなたがたの世は永遠にないだろう。

補論② 厳選!色彩系ステキ本(アート・歴史・ファッション)

とくにパイ・インターナショナルの本は家に置いておくだけで教養と風水がアガるのでおすすめ!!!

『色で読み解く名画の歴史』城一夫

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https://pie.co.jp/book/i/4314/

ピカソの青の時代/赤の時代やフェルメールブルー、表紙のクリムトなら金など、結構使用する色によって作家のカラーが出ますよね〜という話。

もちろんそれは入手可能性(availavblity)と関連した、status symbolであったりもしたりしなかったり。

『配色の教科書 歴史上の学者・アーティストに学ぶ「美しい配色」のしくみ』城一夫

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https://pie.co.jp/book/i/5063/

アーティストだけでなく、カラーセオリーを提唱した学者たちも含まれているので、もっとアカデミックに色彩全体のあれこれが俯瞰できます。

ゲーテも出てくるよ!

"The anatomy of colour : the story of heritage paints and pigments" Patrick Baty

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https://thamesandhudson.com/the-anatomy-of-colour-9780500519332

 

中身はしっかり学術書ですが、分厚さと良い大胆な厚みと引用画像の使い方といい、観賞用にも最適な作り。

美術作品というより、内装(インテリア)における色の使い方の歴史がメインなので実用的・現実的な色の使い方が学べて面白い。

"Pantone: The 20th Century in Color" Leatrice Eiseman&Keith Recker /『20世紀の配色 アート・ファッション・インテリアの流行が彩る』

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https://www.pantone.com/products/color-books/pantone-20th-century-color

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https://pie.co.jp/book/i/4139/

色彩見本帳の大御所、PANTONE(パントーン)の本をパイ・インターナショナルが日本語版に、という奇跡のコラボ。

20世紀に焦点を当てているだけあって、敷居の高い"アート"の他にも広告などの大衆芸術(立派なアート)も取り上げられていて、そこの比較が面白いかも!

PANTONEといえば、まさかの公式グッズがめちゃくちゃかわいいので要チェック!

特にポストカードセット、色ヲタの人が周りにいたらぜひプレゼントして一緒に遊ぶと良いです。

”良い色が全て自分の手元にある”ことでしか満たせない征服欲があります。

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https://www.pantone.com/products/pantone-lifestyle/pantone-postcards

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https://www.pantone.com/products/pantone-lifestyle/pantone-mug

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https://www.pantone.com/products/pantone-lifestyle/pantone-notebook-set


"Color Collective's Palette Perfect: Color Combinations Inspired by Fashion, Art and Style" Lauren Wager /『配色スタイル ハンドブック 思い通りの空気感を演出するカラーパレット900』

www.instagram.com

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http://www.bnn.co.jp/books/9042/

Color Collective というオンラインデータベースから生まれた本なので、ぶっちゃけ本を買わずともウェブサイトや著者のインスタグラムを眺めるだけでもおk。

こちらはファッションについて。

黒ばっかり着ていたんですけど、似合う色とか本格的に学んでみたいな〜

最近はオレンジとカーキがマイブーム。

おわりに

最近本編に力を入れすぎていて、身辺話まで持たないんですね〜

今そろそろ書き終わるのも日曜日の18時なので、もう家帰って簡単なご飯作ってNETFLIXエヴァンゲリヲンを見たいので、今回も力入れません。

久しぶりにMADMAXも良いし、BeyoceのHOMECOMINGも応援上映しなきゃ。

最近嬉しいのは、SNS越しでも私のブログなりアップするコンテンツを楽しんでいる人が増えてきたということで、私の最終目標且つ最終形態である「好きなコンテンツと自分の境目が無い」生命体へ着々と近づきつつありますね!

その意味でコンテンツの意味は大きいですね、私がいなくなっても私のエッセンスがあるコンテンツは残るからね。

応援してくださる方、ありがとうございますほんとに!

私が楽しんでいることを楽しんでくれる人の存在、まじありがてぇよ。

来たる七月が素晴らしい2019年上半期の幕開けとなりますように。

それでは、また!

それからはタコのことばかり考えて暮らした

連想ゲーム まえがきにかえて

タコが頭から離れなくなること、数週間。

なんでタコなのかわからないんですけど、頭から離れないものがあると割といい記事が書けることがあります。

「降りてくる」憑依系トピックは実は昔の出来事や経験から無意識に追い求めていたものだったりする。

そしてインスタグラムのストーリーで連想ゲーム的に「私のなかのタコ」をいくつかアップロードしてみると、「この作品面白いですよ」と勧めてくれる人が出現したりするのです。(ありがとう!!!)

でも私の悪い癖で、興味のあることは自分のキャパシティを超えても追求して形にしないと気が済まない傾向にありまして、今回もそんな感じでした...

締め切りのある論文でもないのになぜこんなことを自分に課しているのかわけがわかりません。

運良く資料がこちらでも手に入ってしまったがために読まずにはいられなかった!

インターネットに感謝です。

でもなんでタコなんだっけ、大モトのきっかけはなんだったかな、友達が使ってたフェイスフィルターだったかな?

www.instagram.com

そうそう、好きなインテリアショップがタコ型ランプスタンドをリリースしたりもしていた。

www.instagram.com

あと使い道がわからないアブノーマルな雑貨をノーマルな雑貨棚に平然と陳列するのを得意とすることで有名なおちゃめな雑貨屋、FLYING TIGERで1ユーロの指をはめられる触手を見つけてしまったりして...

 触手の威力はすごいですよ、買ったあと指がシワシワになるまで一日中つけていましたからね。

私だけでなく、家に友達が来るとずっとそれで遊んでいます。

「今日何してたの?」

「タコの触手を買ったんだよね〜!」

というその後の会話が弾むこと間違いナシ。話題作りにも最適! 

閲覧注意ですが、映画『オールド・ボーイ』のタコの踊り食いシーンもYoutubeに転がっていました。参考までに。

youtu.be

How to じゃないだろ(笑)

うん、あとはファン唾涎の黒手塚作品のなかでも『蛸の足』というタイトルからオチがバレバレなのにちゃんと戦慄する短編があります。

https://tezukaosamu.net/jp/manga/img/m0249/m0249_01.jpg

蛸の足|マンガ|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL

ドイツの生物学者、エルンスト・ヘッケル(Ernst Heckel 1834- 1919)の絵がインパクトと知名度的には一番強いのかな。

左右相称動物(Bilateria)の特徴を捉えつつ、よく見ると実はちゃんと各足に個性があって良い...

パブリック・ドメインの高画質画像で舐め回すように見よう!

f:id:heavyd:20190527214037j:plain

Haeckel Octopus | This image is in the PUBLIC DOMAIN. Attrib… | F

本はね、はい、もちろんお馴染みのTASHCENからなんと鈍器としても使えるXXLサイズで出ていますのでね。

www.taschen.com

あ、ビートルズがOctopus's Gardenという可愛い歌を作っているので、よかったらBGMにどうぞ。

youtu.be

前置きはここまでにして、それでは本編に行きましょうか。

 

『タコの心身問題』/『動物の知性が分かるほど人間は賢いのか』/『ウムヴェルト』

前から気になってはいたのです。

あっ!ほらまたヘッケル出てきました。

(長い前置き、無駄じゃなかった〜!) 

https://www.msz.co.jp/_cover/front/08757_big.jpg

タコの心身問題:みすず書房

https://images.macmillan.com/folio-assets/macmillan_us_frontbookcovers_350W/9780374227760.jpg

Other Minds | Peter Godfrey-Smith | Macmillan

お、英語版でも同じ表紙だ〜!

これはもう、すっごくおすすめ。

哲学者兼スキューバダイバーが生物学的観点から書いているわけですから、面白くないわけがないんだけど英語版だと難しいかなって思うやん。

だから表紙かわいいけど読みたくないな~しかもこっち英語版しか手に入らないしな~って思ってたんですけど、もうタコ週間だからって覚悟決めて読み始めたら止まんない!

生物学的専門用語以外は口語口調の優しい文体でスラッスラ内容が入ってきてしまいます。

むしろ英語も日本だと大学入試の英語長文読解くらいなので、高校生でも読めちゃうんじゃない?

ほんとはズキュンと来た表現を一字一句引用したいけど、本編と逸れてしまうので自制自制!

むしろ日本語版気になるなぁ...変に堅苦しく翻訳されていないことを願います。

生物学の先生って面白い人多かったな〜とか思い出しました。

まあ作者は哲学者なんだけどね。

Why↔︎Howの問いの立て方にも注目〜!

イントロに感動しますよ。(せめてここだけは引用させてくれ)(下線と強調by私)

So this is a philosophy book, as well as a book about animals and evolution. That it’s a philosophy book does not place it in some arcane and inaccessible realm. Doing philosophy is largely a matter of trying to put things together, trying to get the pieces of very large puzzles to make some sense. Good philosophy is opportunistic; it uses whatever information and whatever tools look useful. I hope that as the book goes along, it will move in and out of philosophy through seams that you won’t much notice.

使えるものは分野を問わず使う」という、学際的な知的探究心が垣間見える、クラクラしてしまう文章。

今まで何に対しても「素晴らしいものへの感動」の比喩としてオーガズムを使っていたんですけど、ここではそれを通り越してfaintedです。卒倒~!

しかもこのOpportunisticという姿勢を筆者はタコから学んだのだということが読み進めていくうちに見えてくるのですが、ちゃんとイントロで暗示してるのがいいよね...

Opportunisticは検索すると日和見主義と日本語訳が出てくるけど、それだとちょっとイメージがずる賢すぎるかな。

文中では周囲と自己のバランス感覚に優れていることを指していると思う。

今チャプター4なんですけど、そこまで全然タコが出てきてないのも笑える。

ちょいちょい出てくるんだけど、本全体のアプローチが「人間の脳について考えるうえでタコを比較対象として取り上げるとしっくりくる部分がありますので登場してもらいました」という感じなので、anthropocentric、人間中心的っちゃそんなかんじ。

そこでアッッッ!と思って並行して読み始めたのがこの本。バーン!

https://cdn.wwnorton.com/dam_booktitles/266/img/cover/9780393353662_198.jpeg

Are We Smart Enough to Know How Smart Animals Are? | W. W. Norton & Company

日本語版はこちら。直訳ですね。

https://www.kinokuniya.co.jp/images/goods/ar2/web/imgdata2/43140/4314011491.jpg

動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか / ドゥ・ヴァール,フランス【著】〈de Waal,Frans〉/松沢 哲郎【監訳】/柴田 裕之【訳】 - 紀伊國屋書店ウェブストア

これ、牧村朝子さんがだいぶまえにツイッターで紹介していて、「ひれ伏した」といったようなことを仰っていました。(オリジナルのツイート見つからず。すみません)

ひれ伏すとまではいかなくても、このタイトル読んでハッとさせられたのは私だけではないはず。

アンタらさんざんうちのネコちゃんは賢いだなんだ言ってるけど、それってすごくウエメセな発言ってわかってる?

人間が生んだ「賢さ」っていうものさしで他の動物を測るってそもそも何様?

人間は頭が良いから他の動物の頭の良さもわかるはず」って結構おこがましくない?

と、もう一刀両断なわけ。

なんと作者がオランダ出身ということが読んでいるうちに判明し、会いに行けたら会いに行きたいなー!

とか思ったのも読み始めてからで、難しそうで今まで読んでなかったんだよね~

でも読んで正解でした。

めちゃくちゃ頭良い人がパンピーに向けている、優しくわかりやすく、しかもユーモアもプラスして書いてる文章ってジャンル問わずなんでこんな脳内に快楽物質分泌されるんだろ?????

とりあえずタコ週間なので、イントロとタコの部分を抜粋して読んでいるところ。

タコの心身問題と被ってる部分もあるよ。↓

https://media.giphy.com/media/ZmTJBhmeyd83K/giphy.gif

<ココナッツの殻の中に入って防御力が上がったタコの図>

かわいいー

この行動についての詳しい解説は各本文で!

タイトルについてきちんと説明している部分があって、とーーーってもかっこいいし、他分野の研究でも最重要視されるべき部分をもう抜粋しましたので!!!!

動物兼人類のあなたも読んでいただきたい。

---why is humanity so prone to downplay animal intelligence? We routinely deny them capacities that we take for granted in ourselves. What is behind this? In trying to find out at what mental level other species operate, the real challenge comes not just from the animals themselves but also from within us. Human attitudes, creativity, and imagination are very much part of the story. Before we ask if animals possess a certain kind of intelligence, especially one that we cherish in ourselves, we need to overcome internal resistance to even consider the possibility. Hence this book’s central question: “Are we smart enough to know how smart animals are?” The short answer is “Yes, but you’d never have guessed.”

頭の良いヒトは動物の賢さを理解する能力を持ち合わせてはいたかもしれないけど、その能力を実際に深く掘り下げるどころか、気づくための想像力さえ持ち合わせていなかったのではないか。

気づいた部分もあくまで人間の知識の管理下に置いているけれども、私たちが知らない部分なんてたくさん見つかるだろうし、その可能性を私たちの手で狭めるのはお門違いじゃなーい?

でもやっぱり研究という点ではヒトがその役割を担っているかもしれない。

じゃあ人間を動物たちとの関係の中でどう位置づければいいのかについてもまたまたかっこいい一文が。

The comparison is not between humans and animals but between one animal species—ours—and a vast array of others. Even though most of the time I will adopt the “animal” shorthand for the latter, it is undeniable that humans are animals. We’re not comparing two separate categories of intelligence, therefore, but rather are considering variation within a single one. I look at human cognition as a variety of animal cognition. It is not even clear how special ours is relative to a cognition distributed over eight independently moving arms, each with its own neural supply, or one that enables a flying organism to catch mobile prey by picking up the echoes of its own shrieks.

「同じ釜の飯を食った仲」ならぬ「同じノアの方舟乗った仲」。まじで。

分野に限らずよくあることなんですが、自己中心的考え方はこのvariationというとこが抜け落ちてることが多いと思います。

spectrumとかもいいですね。

もう無限すぎて想像つかないじゃん、それを「わかんないです〜だからその豊かさをできるだけわかりあっていきましょう」っていう謙虚さを忘れずにいこうよっていうね。

関連してウムヴェルト(Umvelt:環世界)という概念も面白くて素敵ですが、中二なんですが、私の文章力より五十嵐大介大先生の圧巻の画力がまじで百聞は一見にしかずなんで、漫画読んでみてください。

http://bkmkn.s3-website-ap-northeast-1.amazonaws.com/9784063882476/9784063882476_w.jpg

『ウムヴェルト 五十嵐大介作品集』(五十嵐 大介)|講談社コミックプラス

この概念をさらに深く掘り下げたのがディザインズです。

http://bkmkn.s3-website-ap-northeast-1.amazonaws.com/9784063881240/9784063881240_w.jpg

『ディザインズ(1)』(五十嵐 大介)|講談社コミックプラス

三巻まで出てるよ!

ウムヴェルト自体は何度かブログで取り上げている國分功一郎先生の『暇と退屈の倫理学』を通して知りました。

https://www.ohtabooks.com/assets_c/2015/02/9784778314378-thumb-autox260-7198.jpg

暇と退屈の倫理学 増補新版 - 太田出版

とくにスマホで読んでいる方、指つってると思うんですけど、ここで今止まるわけには行かないのです。

今更ながらはてなブログにはページ切り替え機能がない=長文ブログに向かないことに気がつき、もうどうしようもないんだけどなー他の機能は好きなんだけどねー

なんかよいアイディアあったら教えてください。

冒頭に目次を載せているので(それ以外技術的なアップデートがない笑)、疲れたら利用してもらえると助かります。 

 

『動物奇譚集』/下水道のタコ/タコのオートファジー

タコにや動物ついて考えていて、次に思い浮かんだのがこれ!アイリアノスによる動物奇譚集ー!

英語版も日本語版も大学出版とは思えないくらい表紙がかわいい。

http://www.kyoto-up.or.jp/upload/book/book_2184_20180901085459.jpg

京都大学学術出版会:動物奇譚集 1

http://www.kyoto-up.or.jp/upload/book/book_2186_20180901085746.jpg

京都大学学術出版会:動物奇譚集 2

これ、河島先生という西洋古典学の専門家で、世界中のかわいい猫の切手をツイッターで定期的にアップしているというもう素晴らしい方が呟いていて見つけた本です。

このページを見れば一目瞭然なのですが、京都大学出版会の西洋古典叢書シリーズのなかでこれだけ表紙がめちゃめちゃかわいい。やったね!

ポンペイのモザイクを思わせる素敵な表紙。

京都大学学術出版会:シリーズ: 西洋古典叢書

百科事典のエントリーというか、短編ぽくて小噺なので「へー」ってかんじでどアマチュアでも読めます

日本語版のタイトルもいいですよね。

英語版だと"On Nature Of Animals"(ギリシア語の原題のほぼ直訳)で、「奇譚」みたいなひねりはないんですね。

こちらの表紙はブレーメンの音楽隊っぽくてかわいい。

http://tupress.org/img/upload/aelian_front_72.jpg

Aelian’s On the Nature of Animals: Trinity University Press

二冊を読み比べてみると、京都大学出版会のもののほうが原作に忠実かと思われます。

英語版のは内容も部分抜粋がまとめられて一冊に対し、二冊分あってけっこう分厚かったし。

見つけた当時はちゃんと読まなかったけど私はもうこの本に絶対タコ載ってるんじゃないかな!?って思ったらほんとに載ってて感動したんです。

しかもけっこうエントリー数多め。

でもボロクソに書かれてる。なぜ???

英語版から抜粋します。

まってまって、その前にプロローグを読んでおこう!

The humans are wise and just, and take care of their of children, and honor their parents appropriately, and feel themselves, and protect themselves from other's schemes. and posess other gifts of nature should not strike anyone unusual. Humans have the gift of speech, the greatest gift of all, as well as reason, which is always of use. Humans also know how to revere and worship the gods. It is, however, remarkable when animals, which have none of these gifts or knowledge, should nevertheless exhibit some of the best qualities of humans. It requires a sharp mind and great deal of learning to descern the characteristics of animals, and many scholars have turned to there questions over the years. For my part, I have gathered everything I could learn on the subject here, and put it all into ordinary speech. It seems to me that the result is noteworthy. If you think so, then I hope these words will be useful to you. If not, give them to your father to keep and study. Not everything pleases everyone, and not everyone wants to study everything. Plenty of other writers have come before me, but that should not disqualify me from praise, if it really is true that this learned book is far ranging and well weitten enough to deserve attention.

うーん、言ってることわかるけど、こういうことを言うタイプの人とはあんまり仲良くなれないと思いました。

動物にも読み手にも多様性を期待していないかんじ。

同じこと言うにしても、その単語わざわざ使わなきゃいけなかったの?

当時の知識人階級の人ってこんなかんじだったのかなー

まあもう一世紀生まれの人に今文句を言っても仕方ないけど、マジで今でもこういう奴いるよな。

行き辛い!

エピローグでは「金稼ぎより動物と時間を過ごすことのほうが好き」「網羅的な知識を提示するより読み手を楽しませることが最優先」などと少しマシなことも言っているけど、やっぱり節々に自己中心さが見て取られてこっちが恥ずかしいわ!ってなりました。

アイリアノス氏はさておき、タコの描写を抜粋しましょうか。

The octopus is greedy, sneaky, and voracius and it will eat anything. It is probably the most omnivorous creature in the sea. Here is the proof; in times of hunger, it will eat one of its own tentacles, this making up the lack of prey. When better times come, it grows back the missing limb. Nature thus gives it a ready meal in moments of want.

最初っからけっこう辛口だなー。

雑食で貪欲で、おなかが減ったら自分の足も食べてしまうというイメージ。

ready mealってなんかすごいな。

The octopus is lustful fish,and it couples until all its strength has vanished, leaving it drained and incapable of swimming or hunting. When this happens, little fish and crabs, paticularly the kind called the hermit crab, come down and eat the octopus. They say that this is why octopuses live for only a year and no more. The female octopus is exausted, too, by giving birth so often.

次は過激なセックスライフについて。すごいな。もう体力がゼロになるまでするもんだから、そのガードがガラガラな状態をヤドカリとかが食べちゃうらしい。

だから短命なのか。

最後はけっこう長文なので部分抜粋です。

Octopuses, in time, grow large, as big as whales, and are even numbered among the cetaceans.. There was one octopus as Dikaiarchia, Italy, that grew to be monstrously huge and shunned and loathed the food it could get from the sea, and so it actually got up onto the dry land and grabbed ehatever it could find. It swam up through a sewer that let the waste from from the city flow down into the ocean, and it came up into a house where some Spanish merchants kept their goods, mostly pickled fish in big earthen jars.---

巨大化して海の食べものに飽きたタコが下水道を通じて街中に進出し、スペイン人の倉庫から食料を盗んだらしい。

そのあとにはあまりにもその手際が見事なため、被害者は犯人がタコであることと判明するために時間がかかったことが書いてあります。おつかれ!!!

Octopus is likely get into the trouble, and they're sneaky;those are the characteristics of the creature.

そして最後の一文はまたタコはいけすかん奴や、という感じで締めくくっています。

でも下水道伝ってくるのめちゃくちゃ怖いな。

にしてもスペイン人を選ぶというところに味覚のセンスを感じますね。プルポ。

興味のある人は、タコの下水道伝説について書かれた論文があるのでぜひ読んでみてください。↓

The Octopus in the Sewers: An Ancient Legend Analogue on JSTOR

伝説にしてもワニとかブタも出てきて、下水道の生物多様性に驚かされます。

こういうニッチな論文たまらない。

アイリアノスとプリニウス(『博物誌』の人)のタコに関する描写の比較がなされています。

プリニウスもいいよねー!

澁澤龍彦先生が『博物誌』をペラペラめくってプリニウスの矛盾したり非現実的すぎる描写にツッコミを入れるという、眼福でしかない光景が繰り広げられておりますので是非。

http://www.kawade.co.jp/img/cover_l/9784309412887.jpg

私のプリニウス :澁澤 龍彦|河出書房新社

http://www.kawade.co.jp/img/cover_l/9784309413112.jpg

プリニウスと怪物たち :澁澤 龍彦|河出書房新社

タコに戻しましょうか。

最初の描写に、「自分の足を食べる」タコって出てきましたよね。

これについても論文があるんですよ。

"Autophagy in Octopus" by B. U. Budelmann, 1998

https://www.tandfonline.com/doi/pdf/10.2989/025776198784126502

この論文では自食(Autophagy;オートファジー)は飢餓やストレスによるものではなく、伝染病由来であることが示唆されています。

でもそれだと一本しか足を食べないというのも納得が行く。

本当にお腹ペコペコだったら、次の章で取り上げる萩原朔太郎の詩に出てくるタコみたいに全部自分を食べちゃうじゃん?

でも先述の「タコの心身問題」でタコは触手一つ一つが脳と同等の高度なシステムを持ち、頭部にある脳と独立したり連携したりして動いているって書いてあったので、もし伝染病だとしたら触手(の脳)か、それとも頭の脳にダメージを与えるのかどっちなんだろ。

触手のほうが伝染りやすそうではある。

頭の中では「食べたくない!」って思ってても、触手だけが頭(?)おかしくなって口の中に突っ込んでいくのかも。怖すぎ!

 

萩原朔太郎「死なない蛸」と「その手は菓子である」/『性食考』

最後の章です。

ここではねー、私がインスタグラムのストーリーにタコ関連を上げまくってたら素晴らしい後輩がお勧めしてくれた詩を紹介したいと思います。

後輩の鑑。

まあ最初に読みましょうか。 

死なない蛸

   或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた。
 だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。
 けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。少しづつ他の一部から一部へと。順順に。
 かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。
 或る朝、ふと番人がそこに來た時、水槽の中は空つぽになつてゐた。曇つた埃つぽい硝子の中で、藍色の透き通つた潮水しほみづと、なよなよした海草とが動いてゐた。そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかつた。蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。
 けれども蛸は死ななかつた。彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――或る物すごい缺乏と不滿をもつた、人の目に見えない動物が生きて居た。或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた。

萩原朔太郎『宿命』より

萩原朔太郎 宿命 (青空文庫

最初から余談ですが、体の旧字体の「體」、良いですよね。

あーそっか、骨の周りに豊かな肉ついてんだーって。

脂肪がついた体は完全体ではなく、恵まれてるんだよね!

 

さっきのオートファジーの論文はさておき、この朔太郎版のタコがいてもおかしくないと思う。

このタコが自分を食べたのは、本質的には飢餓からではなく孤独からだと思います。

飢餓からくる孤独?

孤独からくる飢餓?

ぐるぐる。

詩の内容自体は哲学的な問いを含んでいる気がします。

食べる主体と食べられる客体が同じものである場合、食べ(られ)たあと残るのはどっちなんだろう。

主体が残ったみたいですね。

でも意識という点では残りそうですよね。

体がなくなって「死んだも同然」は「死」とは異なるわけで、ここにいるタコは果てしなく前者に近いけれども、後者ではないのです。

タコはこれを理解したうえで、食べてみたんですよね、何かが満たされると思って。

でも結局何も満たされなかったというのは、冒頭の描写が最後に繰り返されていることで読み取れます。

最初からいなかったも同じだから、実際にいなくなっても同じ。

伝染病説が果てしなく他者や環境に依存しているのに対し、この動機は孤独から生まれて、孤独しか生まない。

 

英語版もけっこうよく訳されているので見てみてね。

The Octopus That Does Not Die

 In a water tank of a certain aquarium, for a long while, a starving octopus was kept. In the underground dim rock shadows, pale crystal ceiling rays of light always drifted sadly.

 Everyone, all of the people, had forgotten about this dim water tank. It was thought that the octopus had died long ago. And only rotten seawater, in the dusty sunlight, always stagnated in the glass window of the tank.

 Nevertheless the animal did not die. The octopus has been hiding in the rock shadows. And when he woke up, in the unhappy, forgotten tank, for days on end he had to endure terrible starvation. When there was nothing to eat anywhere and food completely ran out, he tore off his leggs and ate them. First, one leg. Then, another. Then, finally, when all of them were uttely gone, this time he turned his body insideout and started to eat his intestines. Little by little from one part to another. In neat order.

 Thus the octopus finished eating all of his body. Epidermis, brains, stomach. Every part,leaving nothing at all. Completely. 

 One morning, when the keeper happened to come by, he found the water tank empty. Behind the the cloud dusty glass, transparent indigo seawater and willowly seaweed was moving. And in no corner of any rock was the creature visible any more. The octopus, had actually, utterly vanished. 

 Nevertheless octopus did not die. Even after he disappeared, he still was eternally alive there. In the antiquated, empty, forgotten water tank of the aquarium. Eternally ーmost likely throught many centuriesーan animal with a certain horrivle deficiency and dissatisfaction was alive, invisible to human eye. 

English transration from "Cat Town" by Sakutarō Hagiwara, translated from the Japanese by Hiroaki Sato

https://cdn.shopify.com/s/files/1/0726/9203/products/Cat-Town_1024x1024.jpg?v=1528395438

Cat Townwww.nyrb.com

ちなみにこのタコが自分を食べている様子を図解しようとしたんですが、すごく難しかったです。インサイドアウト!?

よせばいいのに朔太郎先生のほかの作品もチラリと目を通してみましたらこんなものが見つかってしまったんです。 

その手は菓子である

そのじつにかはゆらしい むつくりとした工合はどうだ
そのまるまるとして菓子のやうにふくらんだ工合はどうだ
指なんかはまことにほつそりとしてしながよく
まるでちひさな青い魚類のやうで
やさしくそよそよとうごいてゐる樣子はたまらない
ああ その手の上に接吻がしたい
そつくりと口にあてて喰べてしまひたい
なんといふすつきりとした指先のまるみだらう
指と指との谷間に咲く このふしぎなる花の風情はどうだ
その匂ひは麝香のやうで 薄く汗ばんだ桃の花のやうにみえる。
かくばかりも麗はしくみがきあげた女性の指
すつぽりとしたまつ白のほそながい指
ぴあのの鍵盤をたたく指
針をもて絹をぬふ仕事の指
愛をもとめる肩によりそひながら
わけても感じやすい皮膚のうへに
かるく爪先をふれ
かるく爪でひつかき
かるくしつかりと押へつけるやうにする指のはたらき
そのぶるぶるとみぶるひをする愛のよろこび はげしく狡猾にくすぐる指
おすましで意地惡のひとさし指
卑怯で快活なこゆびのいたづら
親指の肥え太つたうつくしさと その暴虐なる野蠻性
ああ そのすべすべとみがきあげたいつぽんの指をおしいただき
すつぽりと口にふくんでしやぶつてゐたい いつまでたつてもしやぶつてゐたい
その手の甲はわつぷるのふくらみで
その手の指は氷砂糖のつめたい食慾
ああ この食慾
子供のやうに意地のきたない無恥の食慾。

萩原朔太郎『青猫』より

萩原朔太郎 青猫 青空文庫

エッッッッッロ!

ちょっと待ってください。

タコはどこいった、というくらい。

あとでちゃんと戻るとして、まずこの詩を吟味するということでよろしいでしょうか。

これはね、確実に人間の手を食べたことのある人間の発言です。

(『週刊新潮』の「黒い報告書」コーナーで見ました!)

少なくとも好きな俳優の手形でマドレーヌを焼くためにハリウッドに行くタイプの人間の発言。(!?)

とか言って表向きにはタコの踊り食いや丸焼きタコせんべいには苦言を呈していそう。怖い。怖いわぁ〜

といっても手フェチの人には少なからず共感できてしまうのが怖いところ(私だけではないはず)。

そこには単なる「食べたいから美味しいお菓子に例えてみました、そうしたらみんなに伝わりやすいと思ってw」以上の描写力の凄まじさからくる説得力の強さを感じます。

私は読んだあとにみたらし団子が食べたくなりましたね。

詩に書かれていないのに!

たしかに赤ちゃんの手とかってみずみずしくって美味しそうだなと思ったことあるし、世が世なら私は食べている側の人間です。#ちぎりパン選手権

あとは人の手は結構見ますね。

食べる対象にはならなくてもタイプの手はあります。

ここで話し出すと朔太郎との手フェチ一騎打ち五月場所が開幕してしまうのでやめますけれども。

はい。

タコに戻します。

ここにあるのは「死なない蛸」の飢餓から来る食欲ではなく、もう「子供のやうに意地のきたない無恥の食慾」なのです。

だから菓子(=嗜好品)に例えられているのでしょう。

デザートは別腹。

子どもはなんでも口に入れてみる傾向がありますが、朔太郎は子どもより意地汚いですよ。

なぜならばことば巧みに自らを正当化する術を持ってしまっているからです。

この詩で描かれているのは、ダメとわかった上でやっているダメな大人が対象の魅力について微細にわたり説明することで共感する仲間を増やし、自らの変態性の市民権を得ようとしている姿です。

ダメ、ゼッタイ。

でもこのブログにおける試みもそういうことっちゃそういうことなんで、またまた非常に共感できてしまうのが悩ましいところ!

タコの詩だけでなく二つを並べたかったのは、朔太郎は飢餓による食欲(「死なない蛸」)と、好奇心や性的対象としての食欲(「その手は菓子である」)の違いをよく心得ていたのではないか、と思ったから。

経験者ですね。

常識的には両方タブーですよね。

お腹が減ったから自分を食べてしまうというのも、興味本位で不可食且つ同族なものを食べるというのもね。

でも常識なんかあるところに文学作品は生まれませんよね。はい。

こういう正解のない問いは、どんどん国語や倫理の授業で取り上げるべきですね。

それでですね、これはまた『性食考』という素晴らしい著作を併せ読むことでぜひ深く追求していただきたい。

芥川龍之介の「僕は文ちゃんが御菓子なら、頭から食べちゃいたいくらい可愛いと思ってます」という愛くるしい恋人への手紙から、

かいじゅうたちのいるところ」のかいじゅうたちによる主人公へのセリフ、「おねがい、いかないで。おれたちは たべちゃいたいほど゙ おまえが すきなんだ。 たべてやるから いかないで。」などをヒントに(性)愛と食が交差するタブーな瞬間を民俗学的観点から掘り下げた長編傑作です。

なんとなく概念は分かるけど、それって研究対象になるの?触れていいの?という、研究分野のタブーにも踏み込んでいる。

https://www.iwanami.co.jp//images/book/297922.jpg

性食考 - 岩波書店

書いていて「あらしのよるに」「おまえうまそうだな」などの名作も思い出し、思い出し泣きしてしまいました。オオ...

文化人類学視点から読むとなんかまた新しい観点が得られそうだね!

英語版が日本語に負けず劣らず変態まっしぐらなので電車の中で読まないでください

THE HAND IS A CAKE

Look at the way it's truly lovely, and ample

look at the way it's round and full, swelling like a cake

take the fingersーthey are svelte, graceful

and just like tiny blue fish 

the way they are gently wafting, I can't stand it

ah, I want to kiss the hand

put my mouth on it and eat the whole thing

what clear-cut roundness of fingertips

look at the air of these mysterious flowers blooming in the vallerys between the fingers 

they gace the frangrance of musl and look like slightly perspiring peach blossoms.

A woman's fingers ever so elegantly polished 

fingers perfectly fitting, snow-white and slender

fingers that hit the piano keys

fingers for labor that hold a needle and sew silk

the way fingers workーthey snuggle up to a shoulder yearning for love

let theirt nailtips touch slightly 

the particulary sensitive skin

scratch it with nails lightly

and pretend to press it lightly, firmly

the joy of love that trembles visibly, the fingers that tickle violently shrewdly

the standoffish and mean forefinger

tricks of the cowardly, spry small finger 

the thumbs's obese beauty and truculent brutaliyy 

ah, I would like to gratefully receive one smoothly polished finger 

have it slip into my mouth and suck on it, suck on it forever and ever 

the back of the hand is the soft rise of a waffle

ごちそうさまでした! 

 

うまくまとまらないのでイラストでごまかす

生物学にも文学にもアマチュアな私が気の赴くままに探してみた資料を目の前にして、偉そうなことなんて何一つ言えるわけないじゃん。

興奮や面白さが伝わればいいかな!

そこは自信あります。

でもずーっと頭のなかがタコだらけだったので、思わずイラストにしました

お絵かきめちゃくちゃ楽しいですよね。

飲まず食わずで没頭しちゃう。

そこで生まれたのがオートファジーガールのタ子(ユウコ)ちゃんです!

f:id:heavyd:20190531215057j:plain
まあイラスト面でもド素人なので、よく見ればわかるんですけどレイヤー機能がわからず消しゴムを使用した際に後ろのグリッド線も消失しました。

チャームポイントは爛々と黄色に輝く眼です。

最初はカタカナのタに子だったのですが、友達に間違われて読まれた結果、ユウコと読ませたほうがしゃれてんな、と思い変更。↓

もちろん着ないけど、ベルサーチのメデューサのロゴが好きなんじゃい!!!!!

こう、自分ではうまく画にできないことを描いてくれる、専属イラストレーターがほしくなりました。

www.instagram.com

ギュスターヴぎゃんかわ!

 

お知らせ

はい、以下お知らせでございます。

ブログ二周年記念のお題募集!

実は次月、6月でブログ二周年記念なんですよー!

インタバールはあれど、ここまで続いてることってなかなかないので嬉しいです。

いつもインスピレーションを与えてくれ、それらを追求する環境におかれていることに感謝感激ですね。

何についてどう思っているのか、ではなくこのトピックを提示した時に何を思い浮かべますか、どういうアプローチをしますか、という質問の方が答えやすいです。

意見はあんまり持たないんですけど、連想ゲーム好きなので。

本のお勧めも大歓迎。

この記事もいろんな人からのヒントで成り立っているので、なんかそういうよりインタラクティブな場にできればいいなと思っているのです。

横文字多いな! 

ささやかなポリシー変更

気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、amazonの書籍リンクを今回の記事から使わないことにしました。

恥ずかしながら始めた当初はアフィリエイトで小遣い稼ぎできるかなwなんて大きな夢を抱いていました。

はてなブログを選んだのも、amazonリンクが選べて入れやすいから。

でも書いているうちにお金を稼ぐには内容が伴っていないし、この記事が特にそうですが稼ぐつもりもないし笑、より重要で私の本との関わりの体験により近いものを優先することにしました。

というわけで本が出された出版社のリンクを本の画像の下に置いています。

現在住んでいるオランダにamazonがないから利便性に嫉妬している、というのもあるんですが(あるんかい)、 出版社のページの方が画像や要約の質が良いというのと、関連して見えてくる本もamazonの”人気本”ではなく、本に携わっているプロの目利きによるおすすめが反映されていると感じたからです。

出版社で本の質がわかる(=本質、おおお〜)という点でも便利ですしね(学術書か否か、など)。

あと出版社のカラーとでもいいますか、そういうのも見えて楽しい。

本質的には好きなブランドのオンラインショッピングと変わらないです。

私は好みの本屋と出版社のアカウントをインスタグラムとツイッターで追いかけ回していますが、そこまでしなくても気になった本があったら出版社まで遡ることをおすすめします!

アクティブな方はオンラインで良い本が見つかったとしても、本屋さんや図書館に赴いてその本が置かれている場所を確認し、隣り合う本も見渡してみてください。

自分で見つからなかったら、店員さんに訊いて、そこで本を持ってきてもらうのを待つのではなく棚までついていく

これを極めますとですね、店員さんに訊いたくせに一緒になって探しているうちにフロアの構成を知り尽くしていたため自分で先に見つけるという巧妙な営業妨害に発展したりします。エエェ

我ながら書いていて狂気を感じますが、日本が出版不況と囁かれるなかで、日本に住んでもいないし書店員でもないし出版社勤務でもないただの本ファンがリモートでできるのはこれくらいですかね、と思いささやかながらお力添えをさせていただければと思っております。

内沼晋太郎さんも本屋の単位の多様性について書かれておられましたし。↓

note.mu

てか、普通に考えて本の名前をオンラインで検索した時に、amazonやらの販売サイトが出てきて、「出版社」とかキーワード足さないとどこの出版社が出したのかさえあまり表に出されてないのやばくない?

わからなすぎて一回amazonに飛んで出版社名をコピペしてまた検索しなおすという。

出版社の情報って個人的にはスーパーの野菜コーナーで作った人の顔写真貼られてるのと同じくらい重要なんだけど。

いや、それは作者か。

うーん難しいな。

私がオタクなだけなの?

まあ最終的にamazon、出版社のサイト、本屋のどこから買うにしろ、筆者と同じくらい出版社に着目すると普通に読書の幅広がると思うんでやってみてください。

 

おわりに

使えるものは何でも使う

先ほど「タコの心身問題」の作者の学際的知的欲求心に心を打たれた、と書きました。

でも私も同じで、インスプレーションのためなら、手が出しにくくて全部読むのに時間がかかる本や論文だけでなく、普段つい見てしまうインスタグラムやピンタレストをむしろ積極的に活用していきたい。

私が伝えたい内容をよりわかりやすく伝えるためなら、イラストも描いてみる。

最初から入力・出力方法を限定してしまうのは時代錯誤です。

同じ内容でも入口や出口が違ったら、色々な人が面白さを見つけてくれるかもしれない。

それがまた次のインスピレーションに繋がる。

最近David Hockneyの展覧会にも行ったのですが、彼はiPadを常備していつでもどこでも描けるようにしているそうです。

ひと昔だったら「絵は絵の具をきちんと使わないと絵じゃない」なんて言う人もいたかもしれません。

一方で、彼の表現は常にコンテンツを最優先して方法が後から付いてくる。

絵画だけでなく写真の作品が多いのもそのためで、iPadによる絵はその延長に過ぎないのではないか。

真似していきたい姿勢ですね〜

こういうことをずっとやっていたい

私がこの記事でやりたかったことって、多分時代を問わず各界の専門家を並べて、脳内タコ大会議を開くことだったんじゃないでしょうか。

生物学者脳科学者、博物学者、作家をお呼びしてとりあえずずっとタコについて話させる。

別に誰が正解とかないんで、各々の役に立ちそうな部分を吸収してもらえればオッケー。

私はその横で「へ〜オートファジーねェ」とか言いながらホワイトボードで書記を務める傍ら落書きをしている、みたいな。

場所は釜山の海鮮市場かな?

まあ脳内でできているので世話ないですけど、タイムマシンがあったらやっちゃうな〜

おわりのおわりに

はい、今回も万が一ここまでたどり着いた方がいらっしゃいましたらありがとうざいます!

いつも月末の一週間前くらいにネタを絞り切って、その一週間で自分で設定している月末という締め切りに向かって書くのですが、今回は体調を崩してしまい大変でした。

風邪を引いたんですけど、もうその理由がどうしようもないのでここで消化することにいたしますね。

MANGOの夏のリネンシリーズが鬼アツくて、まあ私もオランダに夏いつくるかわからないけど買ったわけなんです。激かわトップスをね。

肩紐が太い大人っぽいキャミソールです。

でも気温だだ下がりで全然着る機会なくて、部屋の隅に置いておいていたんですけど、そしたらある日家に帰ったらそのトップスがラー油に浸かってたんです。

なぜ?????????

その辣油もすごいお気に入りのラー油で、辛そうで辛くない少し辛い辣油って日本でも一時気流行ったじゃないですか。

もうこれかけておけばおk。みたいなね。

こっちでも似たようなのを見つけてすごく感動してたわけなんです。

たまに開けて匂いを嗅いじゃうくらい。

でも匂いを嗅ぐためだけではもちろんなく、料理は共用キッチンで作るんですけどご飯は自分の部屋で食べるんで調味料が部屋に置きっぱなしなことが多くて、ラー油とゴマとコショウはお引越ししてたんですよね私のお部屋に。

でもなんでよりによってトップスとラー油が急接近しちゃうの?

何私のお気に入り同士で私がいない間に仲良くなってんの? 

という嫉妬と怒りと疑問が混ざった感情でもう最初手洗いして洗濯機にぶち込んで、それも手洗いモードであらったけれども匂いだけはとれなくて、でもかわいいから部屋で着ちゃお!って着て窓際で夜遅くまでタコに関する本読んでたら次の日風邪ひいてました。

それで最初喉に来て今鼻ですね。

耳もすごく気持ち悪い感じで、なんかボコボコ言っててよく聞こえないです。

ダイビングしているわけでも飛行機に乗っているわけでもないのに耳抜きをしなきゃいけなくて、私はもう東南アジアの離島でタコと泳ぎたいでーす!

 

それではまた来月ー!

女子大生おすすめ!Dutch brand 特集

すっかり真夏日が続いております。
長く寒い冬は鬱屈としていて辛いですが、打って変わって快晴が続き22時まで日が沈まないとなると、それはそれでどうすればいいのかわからない。
 
もう二年目なので流石に慣れたいところですが、友達とよく言い合うのが、
晴れでも雨でも、"This is not the weather to study." というかんじ。
晴れている日は昼からテラス席でビールを飲みたいし、
雨風が吹き荒れている中では自転車を学部まで走らせたくない...
 
まあ、晴れている日はアムステルダムでも散歩しましょう。
アムステルダムのだいたい全部徒歩圏内な放射線状の都市設計は良いですよね。
方向音痴且つ運河の景色が続くと結構道に迷うんですが、そんなこんなで私が歩いて見つけたオランダのお気に入りを紹介したいと思います。
お土産探しにも助かるんじゃないでしょうか。
ミッフィーばっかりっていうわけにもいかないし、ストロープワッフルとチーズは重くてかさばる。
キューケンホフに行くことはできてもチューリップは持って帰れないし。
 
ちなみに私の好きなブランドはユニクロ無印良品ニューバランスで、化粧は普段しないですが、匂いモノが好きです。
でももうロクシタンのハンドクリームはいらないかな...
オランダにニトリと百均があればいいのにな、と思います。
24歳の大学院生(女)です。
そういう人が紹介していると思ってもらえると幸いです。参考までに。
タイトル完全に釣ってますよね。すみません。てへ!
 
お土産に限ってもオランダって本当に微妙な位置にいるんですよね。
 
個人的な印象ですが、
お茶はイギリス (Fortnum & Mason)
チョコはベルギー(GODIVA
スキンケアはドイツ(Kneipp)
雑貨はスウェーデン(FLYING TIGER)みたいな?
 
でもだいたい全部日本にもある。
 
そんなわけで超ランダムですが、まだ多分日本に上陸していない一挙紹介します。
敢えてジャンルを書いてないので、名前から感覚的にクリックしてみてください。(目次機能気に入った)
 
  • Love Stories
ラクかわ、良い言葉です。
なのでワイヤーは、いらないです。
かわいいと言っても、kawaiiがほしいわけじゃない。
万人から愛されるアイドル的存在ではなく、ツウにこそ愛される。
「あ"〜いい」と見ていてため息が出るけれども、機能性あってこそ。
そういうことなんです。
そういうことなんですよ!!!!!
私が今言ったことはオンラインカタログをブラウズするなり、お店に実際足を運ぶなりすれば分かります。
でもなんとしてでも一度身にまとってみるという経験をすべき。
時代はブラじゃなくて、ブラレットなんだなぁ〜
日本のウンナナクールの上位互換という感覚です。
実は日本にいたときからインスタ伝いで知っていたのだけれど、アムステルダムのおしゃれストリート (De 9 Straatjes) で運命的に本店を見つけときは高まりました。
 
  • Fabienne Chapot 

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ツモリチサトがブランド事業を終了してしまうというニュースは、一着も持っていない私にも大打撃でした。(?)

単にファンだから(見る専だけど)なだけでなく、これを機に日本のファッション界は「大人になってからファッションで楽しめるイタさ」みたいなのを失っていくんじゃないかな〜と思ったから。

例えば私の祖母はもう90歳をゆうに超えているのですが、「敢えて白髪を染めなくなったことで明るめの花柄が似合うようになった」などベンジャミン・バトンもびっくりの現役っぷりで、黒ばかり着がちな私が辟易してしまうほどです。

こちらの女性はどんな年齢でも「旬」や「期限」という言葉を自らに当てはめません。
いくつになってもいろんな色を着るし、短くても長くてもいい。
そんな気質をよく表しているのがこのブランドで、多分ターゲットはお値段的に30~40代なのですが、この色使いやデザインでそれが成り立っている。
そして20代の私がそれに憧れるという。
「イタい」って使っておきながら、すごく悪意のある言葉だと思っています。
「自分はできるけどやらなかったのになんでアイツが」みたいな羨望も含まれてる気がして。
ノーブラや乳首云々が各メディアで話題になってましたが、いきなりそっちでメッセージ性を込めて大解放しなくても、ファッションには自分が楽しめる範囲の自由さから始めてみてもいいかも。
でもここの服の模様をずっと見ていると東南アジアに行きたくなるので危険です。
 
  • Ace & Tate

www.instagram.com

お店の窓に"Insecurities are damn sexy"と書いてあったので思わず入ってしまったのだけど、店内はメガネ屋さんでした。

私は小学校低学年から目が悪くなってしまって、高校でコンタクトレンズデビューした人間でして、自分の目の悪さと眼鏡には嫌な思い出しかないのです。

あの小学〜中学における眼鏡でイメージが下がる感じ、なんなんですかね...

眼鏡が理由でいじめられたわけでもないですが、「眼鏡取った方がかわいいね!」という心無い発言には無意識に傷つけられてきた人間です。

そういうわけで眼鏡だけは他の人に似合うって言ってもらっても信じられない。

どれくらい眼鏡(をかけている自分)が嫌いかというと、コンタクトレンズが入りづらい日があったら外出を避けるほどです。

でもなんだろう、このお店、特にこの店舗にはなんかそういうのを払拭してくれる何かがあった。

だから特別窓の謳い文句(落書き?)も自分宛てのメッセージに思えた。

insecurityがsexyってなんだよ。

(個人的にはanxiety=不安、insecurity=不安定という感じで、どっちも嫌ですけど後者の方が深刻なイメージ。)

そんなことあるわけないだろ!!!!!

と思いつつ、明るい店内を見回してたら眼鏡ってポジティブなんだなって。

オランダの人たちみたいに眉目秀麗だったらそりゃどんな眼鏡でも似合うがな、と思ってしまいますが、そういうことじゃなくて、なんか自分に似合う眼鏡を見つけたくなるお店だったんですね。

国内に広く展開していますが、上のインスタグラムの投稿の店舗がかわいくてオススメ。

店内は試着し放題で、耳のかけごごち、フィット感で選べるようになってます。

これもまたおしゃれエリアのDe Pijpというエリアにありますので、犬も歩けばおしゃれカフェとストアにぶち当たったり、オープンマーケットが開かれるなどしています。

Zoffよりは高めですが、コンセプトは似ています。

 

  • MARIE-STELLA-MARIS

www.instagram.com

先ほど匂いモノが好きだと書きました。

といっても香水系じゃなくって、アロマディフューザーの噴出口を顔の下に置いて冬をやり過ごす感じ。

(衛生的にも見た目も良くないので真似しないでください)

特にレモングラス大麻よりも罪が深い」と思っています
トムヤムクンに入っているかと思えば、ルームフレグランスとして生活に清潔感をもたらしちゃう。
こんなことってある!???
そんなレモングラサーにはぜひMARIE-STELLA-MARISのLemon Notesで手を洗ってみて欲しい。
もうね、トムヤムクンの海老を手を使って食べた後にこれで洗うべきなんですよね。
レモングラススペクトラムとでも言いますか、なんかその香りとしての豊かさに圧倒されます。
このブランドも結構運命的な出会いをしたのですが、最近日本にも上陸したみたいです。
Marks&WebとかAesopとか「消耗品なのになんでこんな良い匂いなんですか」シリーズの仲間入りをうまく果たすことでしょう。
ハイブランドの香水は欲しくないけど、トイレのハンドソープで差をつけたいですね。将来的には。
 
  • Yoni

www.instagram.com

 あ〜〜〜パッケージ最高〜インスタのフィードも最高〜〜
 
生理ブーム、来てますよね
 

『生理ちゃん』は映画化するし、 omocoro.jp布ナプキンや、月経カップ、ナプキンのいらない生理ショーツ↓なんかも話題沸騰中。

www.instagram.comジェンダー問題と絡まるとまたややこしがられそうですが(私は気にしませんが)、生理に関しては知られなさすぎ、隠されすぎだった。

高校のときは月イチ!の生理痛で、顔面蒼白で3階の教室から這いつくばって1階の保健室に行っていても、通りすがる男友達や男性教員に「生理痛だから」って言えなかった。

ましてや自分がオランダのお気に入りブランドとして生理用品を紹介するようになるなんて、夢にも思っていなかった。

震災の補助物資で「生理用品は贅沢品だ」と言ってしまうような上の人たちにも、可視化していかなきゃいけない。

今更誰が悪いとかではなく、生理現象を一現象として理解を広めていかないと。(生理ほど生理現象っていう言葉が当てはまるの生理現象もないんじゃないか)

日本では生理用品を買ったときに紙袋とかで包装してから更に袋に入れてくれるんですよね。

私はそれを日本独特の”女性のお客さまへのサービス”だと思っていたけれど、いやいやいや、なんで生理中なこと隠さなあかんねん。

そもそもパッケージがかわいかったら、もう抱っこして見せびらかしたくない?

使い心地も良いです。

コットンしか使ってないのに吸水力バッチリだけど、長時間つけてても必要な水分を持っていかれる感じがしない!すごい。 

お正月に観た『パッドマン』も良かったな〜

生理に関しては映画内のインドの状況よりも日本の方が陰湿なやばさがあるな〜という複雑な気持ちにもなりましたが。www.padman.jp 

  • Manduka

www.instagram.com

かなりのヨガ大国、オランダ。
スポーツジムにも瞑想、ストレッチ系からハード系ないろんなヨガのレッスンがあって有難い...
私が住んでいるライデンにもヨガスタジオだけで10種類くらいあります。
夏は週末に公園で無料の朝ヨガが開かれたりと、マジで有難い。
エアロヨガだのアクロヨガだの、試せるものは試しましたよ。
最近はそんな感じなくなりましたが、ダウンドッグで結構手首が痛くなったり、滑りやすくて悩んでいたときに先生に勧められたのがこのブランド。
持ち運びしやすいように激薄のトラベルマットを買いましたが、グリップが良いです。
ツルツル系は掃除しやすいけど滑るし、グリップ重視のものはデコボコしすぎて汚れが溜まりやすいんだけど、これはその中間というかんじ。
カエルのマークがよくその特徴を表しています。
色展開もヨガ中に目に入っても気にしない、かといって寒色でも暗すぎないのが良い。
日本だとlululemonとかyoggy sanctuaryが人気な印象でしたが、ヨガウェア中心だったので、好みもありますがマットならmandukaかな!
部活人間だったので渡蘭したての頃は思いっきりハードなアシュタンガやハタヨガをキメまくってましたが、最近良いインストラクターに巡り会いまして、Yin(陰)ヨガにハマってます。
アクティブに眠くなる感じがたまんないですね。
適度に伸ばす筋肉の痛みが眠さを引き起こして、「眠くなるほど気持ちいいwww」みたいな新手の脳内物質が分泌されます。やば。
 
  • Oedipus

www.instagram.comビールはね、ジャケ買いを信じます。タップも良いけどボトルなんですよね〜

ちなみに私の中でハイネケンはビールじゃなくて清涼飲料水です。

ビールとフリッツに関しては隣国のベルギーの方々は黙っていないので、ここでは書けないようなエグいジョークなんかもあります。

でもオランダにも美味しいビールあります!

お馴染みスーパー、Arbert Heijinでビールコーナーを徘徊していたところ思わず手に取ってしまったのがここのビール。

ボトルデザイン、かわいすぎるやろ〜

好きすぎてビールフェスティバルまで行きました。

味も全体的に口当たりがスッキリしているものが多いです。

"IPAs are just pumpkin spice lattes for white guys"なんて、アンチIPAの批判もなんのその。

口当たりの割には度数と満腹感が強いので、ガブ飲みせずちびちび行きましょう。

Deliriumを始めとしたベルギービールよりは重くないです。

  • Barts

www.instagram.com帽子、おしゃれとかじゃなくてオランダでは死活問題なんですよね、冬はね、耳がね。

ゴッホが耳切っちゃうとかじゃなくて、文字通り冬は「寒くて耳がちぎれそう」なんです。

だから耳まで隠れる帽子(beanie)を似合おうが似合わまいが買うんですね。

でもどうせ被るならちゃんとあったかくてかわいいのがいいじゃ〜ん!というわけでおすすめ。

日本ではあり得ない色使いとかあって楽しいですね。

でも全体的に色合いが地味になりがちなところに補色としておすすめ。

アムステルダムのお土産で安っぽいAMSTERDAMロゴの入った帽子がいかにもなお土産屋さんで売ってますが、それよかこっちのが断然おすすめ。 

  • BOOK MARKET

ファッションの流れでいきなり様々ないきもののリトグラフを出してしまってすみません。

やはり素は隠せないもので、ワタクシ、爬虫類や両生類が大好きなんです。

二年前に運命の猫と出会うまでは、好きな動物はレオパードゲッコーやコモドオオトカゲと言っていまして(サイズ感だいぶ違う)、「毛のはえた生物は可愛くない」と豪語していたほど。

若気の至りですね。

しかしこのリトグラフがまた良いんですわ。

小見出しはおしゃれにブックマーケットにしてしまったんですけど、まあそういうところに売ってるんですよね。

箱にこういうのがいっぱい入ってて、紙モノっていうんでしょうか、アンティーク系の古本やハガキと並んでるわけです。

それを発掘する喜びといいますか、一つ一つビニールできちんとカバーされてて、アニメイトで透明のブックカバーをかける人にはわかる、あの蒐集趣味に通づるものがあります。

白黒もカラー版もあります。

私が好きなジャンルは19〜20世紀の百科事典の切り抜きですが、百科事典単位ではなく「海洋生物」「爬虫類」「鳥類」といった感じで箱が分かれてるんですよね。

でも下の方にドイツ語かフランス語かで出典が書かれているので、それを検索すると見つかります。

生物系だけでなく、地理、文化人類学、解剖学などジャンルは様々。買ったところで置く場所に困るんですけど、こういうものこそお土産に渡したくなるんじゃないでしょうか。

私は欲しいです。  

あ、あと古本関連だとこれ!

https://about-blanks.com/wp-content/uploads/2019/03/Unique-sketchbooks-and-notebooks-made-from-old-book-pages-026.jpg

これ、中身白紙でノートとして使える古本なんですよ〜

言ってる意味わからないですよね、私もわからないです。

でもリサイクルというか、とりあえず古本のブックカバーを持つノートなのです。

なので一点ものです。

本屋さんとかで普通に紛れてて開けてみたら中身がまっさらでびっくりするし、表紙はちゃんと古臭いままで、なんかギャップ萌えですね。

ABOUT: BLANKS

という帯が目印です。

表紙がアンティークという点では日本でも大人気のPaper Blank ↓が先輩ですが、本当の古本の表紙を使っているという点でオリジナリティがあります。

www.instagram.com

本が読むこと、眺めること、書くことという行為にきちんと関連づけられている感じが私は好きです。

 

 

こんな感じかな〜全体的に、これらのブランドがきちんと地産地消されているところがいいところ。

国外で人気のブランドもありますが、まずは自国でしっかり売れてるし人気。

オランダ人の人でもオランダのブランドって知ってる人少ないんじゃないかな?というくらいの馴染みようっていうんですか、グローバル展開だけどローカルもきちんとしている。

グローカルとも言えますが語感が嫌いすぎて使いたくないです)

だからアンテナ張ってるとオランダ産のもの見つけるの実は簡単なんですよ。

あとは質素なおしゃれさというか、紹介はできませんでしたが古着であったり蚤の市っぽいのが盛んに開かれてて、オランダのケチさものを大切にする精神がよく表れていると思います。

着こなすのも上手で、見ていて楽しいです。 

 

  • 近況報告

以下はお馴染み大人気コーナー、近況報告です。

 

 ・コーチン

メンタルが弱いもので、色々模索してます。

ライデン大学は心理学(Social and Behavioural Sciences)も強くて、大学院生がインターンとして無料で被験者を募集してたので思わず参加してみました。

5回の定期的なセッションを通してself esteemを高めるなど、自分のなかの低いものを上げてみよう、とのこと。(目標の設定は自由)

運良く良い先生に当たりまして、英語で拙いながらも診察してもらってます。

かえってごまかしが効かなくて、しかも「多分英語だし自分の言ってること意味わからないだろうな」という前提で話すので、頑張って説明しているうちに新しい発見があったりして良いのかも。 

 

修論のトピック

散々迷った挙句、今のところ落ち着く方向に決まってきました。

色々授業を取る中で、一番憧れている先生に見てもらいたかったので、その人の守備範囲に少し寄り添う形に落ち着きました。

私の場合そうでもしないと、壮大なことを試みて後から折れがちなのでちょうどいいかも。

大変なことには変わりないですが。

プレマスターを一年終え(プレマスターって何?)、今やっとマスターなんですけど、これも一年しかないので急ぎ足です。

perceptionとcontextualizationに興味があります。

一つのもの(artefact)があったとき、それを見る人や扱う人、見つかった場所や展示される場所はとても重要で、それ抜きには語れないし、語ってはいけないということになってます、考古学では。

ピュアなオブジェクトという概念も無くはないですが、あくまで対照的概念としてで、オブジェクトは人がひとたび関わった時点で関係を切り離して考えられるべきではないというのが最近の風潮なんですよね。(Material Agency, Object Biographyとか言われます)

発掘物を見て「あ〜イイな〜」で終わっていたら考古学は発展していないんでしょうね。(その感覚も大事だけど!)

あ〜リサーチしなきゃ〜〜〜

 

 ・美術書

TASCHEN

Phaidon

Thames&Hudsonが個人的三大美術書トップランキングで、一冊ずつ揃えたい。

上二つのは一目惚れして以下二冊を破格で購入したのですが、Thames&Hudsonからはまだビビッと来てないな〜

おすすめあったら教えてください。

Art of the 20th Century: Painting (Taschen Art)30,000 Years of Art, New Edition, Mini Format: The Story of Human Creativity Across Time & Space

図鑑的なものがいいですね。

説明とかいちいち読まないので、パラパラとめくってインスピレーションが欲しい。 

 

・「私だから言える」

人種系自虐ネタ好きなんですけど、この前友達が言っていてハッとしたこと。

その子もアジア圏出身なのですが、ギャグをかました後にこの一言。「あ、それ当事者が言えるだけで、そうじゃない人たちが言っていいわけじゃないから。」

日本語にするとキツく聞こえるかもなので英語で補足すると、

"You can't say that."ですね。

違う文脈でよく聞く言葉なのでは。

(「それ言っちゃアカンでしょ!」って感じかな。日本語であまり聞かないので翻訳が難しいですね)

ちなみにこの時はたまたまグループワークのメンバーが全員アジア出身であることを非アジア系のクラスメイトに指摘された、というシチュエーションでした。

でもこれ別に人種に限った話ではなく、自虐ネタをするときは注意したいのは、あくまで自虐であり他虐を簡単に許してはいけないということ。

当たり前ですが本人が言うのと他の人が言うのとでは、単に発言者が異なるだけでなく色々意味が変わってきます。

でも「コイツは自分のことをジョークにして笑いを取っているから他から言われても平気なんだ」と思い、利用してくる人が残念ながら世の中には結構多い。

もちろん状況も色々あるだろうけれども、ダメなときはダメです。

そんなことをし続けていられるのは神の域に達した渡辺直美くらいのレベルで、普通の人は続けていたら結構メンタルにきます。

(少し前にGUCCIの広告に彼女が出たことを叩く人たちがいましたが、彼らにはここで取り上げられないほどの陰湿さとアンヘルシーさを感じます)

そんなときにこの"You can't say that (but I can)."は、「わかってないくせに口出ししないで」という排他的な意味ではなく、「ジョークの本質わかってないね/言っていいことと悪いことがある」となるので、オススメ!

というか私も勉強になった。  

 

 オランダのお花見も良いものです。

もう散ってしまったし日本のお花見はできなかったものの、歩いてるだけで花セラピーですね。

この前ビール片手に夜桜デートした人に「葉桜」の概念を説明しようとしたのですが、(葉っぱ入ってたらもう完璧な"桜"とは言えないという意味で)けっこう難しかったです。

オランダのチューリップ熱もなかなかですが、日本人の桜に対しては熱狂的且つ病的・霊的な何かを感じます。

オランダのチューリップは観光客向けだけど、日本は日本の人の桜熱が半端ない気がする。

坂口安吾の言う通り、死体でも埋まってないとあの妖しさの説明はつかないと思う。

 

 桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫) 

キングスデー、イースターと華やかな感じをうまく避けつつも適度に参加して過ごせたので、陰キャラの私は四月も上出来です。

それでは、また〜!doei doei~