キヨカのブログ

半永久的夏期休暇自由研究

早春小噺寄せ集め

ん〜春は眠い!

最近天気が良くって眠気しかないので、我ながら良いなと思ったアイディアをなんとなく置いておいて今月は良しとします。

私の好きなオモコロやデイリーポータルZの記事ネタになりそうなタイトルを考えて実行に移さない感じ。

あとツイートにしては長すぎ、ブログにしては短すぎみたいな、そんな中途半端な原石(というと聞こえが良い)を集めてみました。

帯に短し襷に長しですね。

 

めちゃくちゃ盛るなら、内容としては益田ミリさんの「よくわからないけどいっか」感を目指しました。

この感覚、大事ですよ。

最近割と親しいと思っていた人に「SNSに挙げている内容がよくわからない」と言われて少しばかり凹んだのですが、世の中は結局わからないことばかりなのであまり気にしないことにしました。

私のわからなさを楽しんでいる人もいるはず!

でもわざわざ「あなたの言っていることがわからないよ」って言ってくれる存在はありがたい。

ていうか「あなたのことはよくわかってる」なんて、よく分かっている人こそ言わなくない?

わかろうとせず、わからせようとせず、流しそうめんを見送る感覚で見守っていただけますと幸いです。

タイミングが合えばすくって食べるかんじ。

 

  • 英単語を検索して出てきたメタルバンドとホラー映画を紹介する
これ本当に面白いくらい、結構真面目な学術用語とか検索しても(一応大学院生なので)よくわからないニッチなバンドや、評価が4.2くらいのC級ホラー映画にぶち当たることが少なくないんです。これ、実は「現在進行形で英語学んでて良かったな!」と思う瞬間の一つだったりします(嘘です)。でもほんと面白い。多分英単語側としても「なんでこの名前にしたの?」って思ってるくらい変なのばっかり。これは意図的に検索しても見つかるものじゃない。具体例を集めていれば良かったのですが、一発で本来検索したい内容であるはずの意味に行き着かないことにイライラして消してしまったことが多かったので残ってないです。逆にメタルバンド好きの人は改めてバンド名の意味を検索してみると面白いかも。
 
  • 形ごとに名前が付いているランジェリーブランドがアツい

下着が好きなんですけど、色々探しているうちに最近のトレンドとしていちいち名前をつけると当たり前だけど個性が出てきて良い、 という印象があります。女性の名前が付いているブランドもあり、試着時に店員さんと話していると「え、誰のこと話してるの?」と言ったわけがわからない状況に陥るのも確かですが、名前とイメージと形は割と一致しているので覚えやすくて楽しいです。ちなみに私の推しメン且つ一番の友達はintimissimiのEleonoraちゃん。

  • 「言ったもん勝ち」の対義語は「言わなかったもん負け」か

個人的にはそうであってほしくないと思う一方、発言の機会や場が格段に増えている世の中だからこそ、そう考え始めている人が多いのかな、という印象を受けます。「あのとき言わなかったからあれで良かったと思った」の、「あのとき」がどんなときだったのかという想像力のある人がもっと増えると良いな。自戒も込めて。

言えない状況で言えなかったことを後出しするのはかっこ悪くなくて、むしろめちゃくちゃ勇気がいることだと思う。

まあこのハイコンテクストな「察して」文化は特定の種類の人や国ではあまり通用しないので、特に嫌なことの場合はきちんと怒りましょう。そして、怒れなかったときは強気な友達に相談して、次に備えましょう。

  • 好きな曲を三日で500回くらい聴いてしまう

いや、別にいいんですけど、音楽に”消費”という言葉を使うのが好きではない自分がいる一方、好きな曲の圧倒的な中毒性から生まれる消費感には毎度驚かされます。そしてさらに怖いのは、こんなに一時期好きなのに飽きる自分がいるということ。でも何かを「好きになる」という行為には、こういう一時的に盲目的な時期と、その熱が過ぎ去った後の付き合い方のバランスがポイントかもしれませんね。

そういえばiPodを使っていた時は、プレイリストの名前を作成時の日付にしていたことを思い出しました。今はspotifyでふとお気に入りに追加してしまうので、自分の音楽史みたいのなくなってきてしまった...こう、簡単に自分史っぽいの作れるの良いよね。

  • 対談がしたい

顔を合わせているときはそこまで話さなかった友達からたまたま連絡が来たりして面白い議論に発展したり、何気なくアップしたインスタグラムのストーリーに鋭い考察が入って、共通の好きなことが見つかってより深い仲になったりと、出会いや付き合い方が多様化してきました。で、「わ〜い!」となって熱い議論を交わすのだけど、対談て前提ではなくて気がついたらなっていた、事後的なものが理想だなと。対談形式の本を読むのも好きなのですが、居酒屋で話している雰囲気を感じさせる、話の始まりと終わりの区別がつきにくい感じ、良いですよね。

私はサシ呑みが好きです。

  • 試着室で買わない服を着て写真を撮る  

 「試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。」というキャッチコピーが一昔前に話題になりましたが、その前に試着室ではまず服そのものと対峙し、恋に落ちるべきですよね。海外の服屋さんが良いのは、柳原可奈子がモノマネしているようなショップ店員が徘徊しておらず、一流デパートでも基本放置プレイなところ。試着室で必要以上に声をかけられることもないので、めちゃくちゃ写真撮っても全然大丈夫。

この前嬉しかったのは、良い意味で絶対にお世辞を言わなそうな店員さんに何気なくカジュアルスーツ上下を着て出たら「めっちゃ似合ってるじゃん!写真写真!」っていわれたこと。普段は誰もお世辞を言わないから、気軽に買わないと思ってる服でも試着できて逆に購買欲が上がる、という謎の現象が起こりました。

あと服を買おうか迷ったらInstagramのストーリーに上げて色んなタイプの友達から意見をもらうもよし!

  • FacebookのMessengerのリアクション機能

があんまり好きじゃない。そもそもいいねボタンが多様化し始めた時から暗雲が立ち込めていた気もする。感情を集約しちゃいけないと思うんですよね。「シェアされているコンテンツに対する反応を多様化させる」という(おそらく本来の目的)よりは、「五つの反応に沿ったコンテンツがシェアされるようになり、反応が計量化しやすくなった」気がします。ユーザーではなく、あくまで作成者のためのものなのでは。そしてその五つの中から選ぶ私たちの感情も微妙なニュアンスを失い始めているのではないかと。

Instagramのストーリーへの反応も、いくつかオプションがありますよね。そもそものFacebookTwitterはコンテンツに対する気軽な共感からのつながりを拡大することで利用者を獲得していったわけだと思うのですが、 upvoteかdownvoteしかないredditや、そもそもそんなものが存在しない2ちゃんねるを見てみるとコメント欄に重きが置かれていて、そこで議論が交わされている。Twittertumblrボタンを押せば済む反応ではないことは、言葉にしなければならない。それがフェイスブックには減ってきている気がする。

なかでもメッセンジャーのハート顔の利用頻度の高さ、気軽さといったらない。Twitterの「お気に入り」の★から♡への以降も、Instagramのダイレクトメッセージの♡の軽さも、多用しておきながらなんだか怖い。昔だったら、♡押されたらどんなコンテンツをシェアしたのであれ、もっと強い意味を持っていた気がすると誰かがツイートしていました。

自分の感情がそのまま伝わることというのはほぼないので、だからスタンプや絵文字に頼るわけですが、使用を重ねる度に私たちの感情がそちらに合わせてきてしまっている気がする。絵文字で肌の色が指定できるようになったように、選択肢が増えれば増えるほど自分の意見を代弁してくれるものが増えるわけなのですが、それだけが表現方法になってしまったら悲しいので、私はブログを続けるのだと思います。♡

でも♡はやっぱり良いよね。♡は良い。

個別のメッセージもアプリによって同じ人に対してでもコミュニケーションの仕方が全然違うなと、Messenger、Whatsapp、LINEを使い分けていて思います。メッセージがかさばりがちだったところに、LINEのリプライ機能は嬉しい。

  • 「海外で活躍する日本人」と「海外に行って(も)変な日本人」

島国だからか、国外に出る人に注目する国、日本。でもその対象は「外に出て日本の文化を広めるために頑張っている」人や、「海外で勉強して帰国後日本でその知識を活かす」人。その対極にいるのが、「海外に行って変なんなっちゃって帰ってこなくなりました」という、国内外に利益をもたらしていない根なし草のような存在で、まあ私なんですけども。

「『クレイジージャーニー』に出そう」ってよく言われますけど、クレイジーはクレイジーでも旅人なら日本が拠点ですからね。私はどちらかというと、元から母国に適合していなかったのが、よその国で暮らしてからというもの帰国後もその傾向が増したという感じです。「どこにいても、どこにも属している(belong)気がしない」というのは少し悲しいことですが、きっと何事もパーフェクトフィットなんてないのでしょう。でもだからこそ実験がてら色々な場所に住んでみたりできるのであり、離れてみて見えてくるものがあるというのは確か。

というわけで私はそこらへんのweabooよりも日本に詳しいオタク、みたいな地位を海外で確立しつつあります。 一応国籍はまだ日本なので、自分のなかの「日本らしさ」と「日本らしくなさ」の葛藤を楽しんでみたいと思います。トルコの時間の流れ方や、Dutch directnessもうまく取り入れていると嬉しい。

 

・self respectとconfidenceの違い

私は自己評価が低い方だと思います。これはもう良いとか悪いとかではなくて、ここまで来たら変わらないものです。でもそのあまりの低さの割には周りにそう思われてない方だと思います。これも結構どうしようもない。

冒頭に戻りますが、「誰かが私のことをどう思っているのか」というのは二重構造の想像みたいなものだと思います。相手がもし私に関する評価を下したとしても、私がその評価を理解できるとは限らないし。いや、私も自分のことよくわからないし。答え合わせというものが不可能ですよね。

でも、たまにはひどいことを誰かに言ってしまう(し言われることもある)!なぜか「私のことを全く知らないはず」の通りすがりの人にもその権利はあるようです。そのときに大事なのがself respectです。

そんなとき「毒を以て毒を制す」とまでは行かなくても、「自分は不当な扱いを受けている」という出来事には強気でいきたい。これ、自信とか自己評価と別物なんですよね。defense mechanismという言葉もよく聞きますが、自分のことは守らなきゃ。そういう感覚を研ぎ澄ませていきたいなと思います。

というのも最近友達と話してて気がつきました。相手の子も自己評価が低いんだけど、なんか気高いなって思ってて、ポイントはself respectなのかなと。

 

追記

24歳になりました!干支2周しちゃったって信じられない。

最近のハイライトは、友達とスカイプしているときに5秒くらい寝てその5秒間に買い物している夢を見て、目覚めたときにそれまでの会話となにも脈絡もなく「スウェット」と口にしたこと。

映画『善き人のためのソナタ』の最初の方のシーンで、「眠らせないのが一番の拷問だ」って言ってたのがあった気がするけど本当にそれで、私だったら眠らせてもらえなかったら真っ先に仲間を裏切ると思います。

拷問シーンで言えば『007 慰めの報酬』のも結構「イテテテテ!」ってなりました。

それではみなさん、良い三月を〜

 

暖かすぎて桜フライングしているライデン。