エピソード記憶としての食べもの
つまらないデートで奢ってもらった100グラム五千円のシャトーブリアンよりも、親友と八時間くらい飲んだあとに食べる始発前の一蘭のラーメンのほうが美味しい。
そうなんです。
そういうことなんですよ!!!
私は自他共に認めるグルメな人間だと思っているのですが、美味しいものを食べる・作るのはもちろん、「食べ物に関するヤバいエピソード」が多い人間であると自負しています。
「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君の人となりを当ててみせよう」と言ったのはフランスの伝説的美食家、ブリア・サヴァランです。
You are what you eat. とかもよく聞きますね。
私の場合そんなこと言われなくてもわかってるっていうか、そうでしかない。
食べ物や食事と言った行為なしには私自身のことを語れないのです。
そこで今回はそのうちのいくつかを紹介できたらと思います。
食べ物に関する記事は常に書こうと思っていたのですが、気合を入れまくりたいがために逆にいつも書けずに終わっていたんですね。
あまりの凝り性でもどうしようもないので、ここいらで小出しにしておこうかなと。
いろいろあるんですけど、冒頭の文が以下のエピソードたちの特徴をうまく言い表していると思います。
つまり「表参道で五時間並んで食べたパンケーキは美味かった」といったような話は一切出てこないと思っていただいて大丈夫です。
食べ物に関してはいろいろな切り口で今後も攻めたいですが、単なる美味しいものたちを描写するのって視覚が情報の多くを占めている今、めちゃ難しいんですよね。
スマホの写真フォルダの中では主役級かもしれないけど、文字情報としては面白くなくなくなってきていると感じられているか、もう読まれないかもしれない。
杞憂だと良いのですが。
インスタグラム様様ですね。
だからといって面白さだけを求めて、珍味ばかりを攻めるのもどうかなと。
食べものを語るうえで私たちはこれからどうしていくべきなのか。
別に食べものとしては食べて美味しかったりカロリーとして蓄積されれば本来の目的を果たしているわけなので、別に書かれなくてよい。
写真のみのメニューのほうが文字だけのメニューよりわかりやすいし。
でも良い食べものと良い文章に囲まれて育ってきた身として、これからもこのお二方が仲良くされていくと嬉しい。
というわけで実験的にやってみようと思います。
個人的にグルメライターが本業ではない人たちの書く文章が好きなので、自分の文章もそうなっていくと嬉しい。
はい。
メニューみたいに並べてみました。
順番どおりに読んでも読まなくても大丈夫なので、クリックして飛ばして読んでみてください。
見出し機能にチャレンジしてみたよ!
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エビグラタン
記憶力には自信はないが、「食べものを食べる」という行為がいかなるものなのか意識し始めた瞬間はよく覚えている。
小学生のときに感じた圧倒的飢えだった。
というと砂漠でも行かれたんですかと聞かれそうだが全然そんなことはない。
空腹は最高のスパイスとよく聞くが、そんなレベルではない。
空腹のあまりもはや胃腸ではなく鼠径部が痺れてきてしまうほどだった。
なぜそこまで空腹になったのかは覚えていないが、とりあえず飢えを凌いだのがコンビニのエビグラタンだった。299円。
私の母は日々の食事はもちろん、お弁当にも一切冷凍食品を使わないし、コンビニや牛丼屋チェーンで買って済ませることはなかった。
その母が私に車であと五分で家に着くという距離の途中のコンビニで買い与えたという意味でも、このエビグラタンはすごいのだ。
当時はあまり食に関心を示さなかった私の悲痛な空腹の訴えがあの母をコンビニに走らせたというのもすごい。
エビグラタンもたまたまお昼過ぎのコンビニで陳列棚に残されていただけではない。
肉まんやおにぎりよりもお腹いっぱいになれて、しかもきちんと主食として完結している。
汁もないから、車の中でもこぼさずスプーンで食べられる。
でもちゃんとあったかい。
この利便性は愛である。
ちなみにアツアツを急いで掻き込んだため盛大に舌から喉を火傷したし、味はぜんぜん覚えていない。
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千歳飴
ミルキーはママの味で、糖分で頭が痛くなるほど食べていたい。
小さいころ牛乳も大好きだったから、ミルキーを牛乳で流し込むというカルシウム界もびっくりなかんじでおやつの時間を過ごしていたこともある。
そんな圧倒的支持率を誇るペコちゃんの最終兵器は七五三のときに姿を現すのだが、今風の言葉を使うならこんなユーザーインターフェースの悪さと言ったらない。
細長い飴が細長い袋に入っていて、全方向から舐められるのである。
ポッキーのような持ち手もない。
ベチャベチャにならないわけがないし、七五三の年頃の子どもが丁寧に割って少しずつ食べるなどといった理性を持ち備えてるはずがない。
しかも割ろうとしても竹並みに縦に裂けやすいので、全然食べやすい形にならない。
常に刺さる感じの形を保ち続けるので、あのわたあめよりも曲者である。
でもたまにはいい。
たまにだからいいのだ。
電信柱にぶつかってアイスを落とすような子でも、ハレの日には絶対千歳飴である。
別に込められたメッセージが教訓めいてなくたっていい。
(誰も千歳まで生きない)
でも「食べづらいけど甘くて美味しいので人目を気にせずむしゃぶりつく」なんて原始的な欲求の芽生えは、早いうちに経験しておいて損はない。
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カップラーメン
狂牛病の脅威はオーストラリアに旅行中の家族さえも逃すことはなかった。
「海外で食べるインスタント麺はおいしい」というのは我が家の家訓のひとつである。
でもほんとうに美味しい。
美味しく感じるのだ。
旅行という非日常と、ふだん”食べさせてもらえない”、”体に悪い”インスタント麺という非日常が合わさっているからだ。
恵まれた子どもならではの記憶である。
だからこそ当時の空港の検閲官に問いたいのである。
こんな家族の幸せを、カップ麺のふた一つ一つをカッターで裂き、あろうことか具だけ抜き取るなんて、こんなに非人道的なことがありますか、と。
いっそ麺まるごと取り上げてくれよ。
でもそんなことで味が損なわれる日本のカップラーメンではない。
あれはラーメンではない。
食のミニマリズムと携帯性を突き詰めた技術の結晶である。
そしてほんとうに非人道的なのは、牛たちをここまで追い詰めた人間なのだと幼心に学ぶ。
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唐揚げ
唐揚げは濡れてはいけないはずである。
永遠に和解しあえないと言われていた水と油の、後者の具現化ともいえるこの揚げものは、前者の友達、レモンとの対話を熱心に進めてきた。
その結果「自分の取り分は自分で」というポリシーが定着しつつある。
人にレモンを絞ってあげるのは、水分同士のチューハイだけ。
しかし常識は覆されるからこそ意味がある。
松蔭神社前に喜楽という中華料理屋がある。
看板メニューは唐揚げ定食。
わざわざ看板なんてつける必要すらないほどだ。
スライド式のドアを音を立てて開けるとき、鼻どころか皮膚全体を覆う油とにんにくにの香りが唐揚げを想起せざるをえない。
しかし運ばれてきた瞬間、初めて訪れた客はざわつく。
唐揚げを、しかも老舗の中華屋で濡れた状態で来るなんてと。
まあ落ち着いて、とセットの卵スープを一口すすり、いざ箸でつつくのだが、そのあまりの湿りっぷりにまた躊躇する。
でも空腹が限界でかぶりつくと、もう虜になっていた。
これはいわゆる唐揚げではないが、こうなった経緯には唐揚げという食べものへの探究心があるのだ。
唐揚げを伝えきるためには、主要な要素を切り捨てるときもあったっていい。
歯ごたえは刹那的だが、風味は口の中で持続する。
でも揚げたては揚げたて、アツアツなのだ。
瓶ビールで乾杯するしかない。
食後の口臭を恐れてムスロ定食を頼んだ臆病者にもいちおう一ピースあげる。
もう市販のミルクティーの異様な甘さと牛乳の割合の少なさに怒りを覚えた私は暴挙に出た。
煮え立つ牛乳にそのままティーバックをぶち込んだのである。
我ながら紅茶界を覆す大発明だと思った。
色もすごくいいかんじだし、なんたって濃い。
さっそく家族に自慢したら、「それをロイヤルミルクティーと言うんだよ」とつっぱねられた。
正確にはロイヤルミルクティーも水で抽出してから牛乳を足すそうで、比率の問題らしい。
牛乳ではどうも完全に紅茶の味が出し切れないそうなのだ。
それにしてもロイヤルってなんだ。
そして牛乳の比率が高くなるにつれ高級度が増すのなら、抽出しにくかろうが私の自己流ミルクティーが最高峰ということになる。
そもそも紅茶味の牛乳が飲みたいのか、紅茶に牛乳の風味を付けたしたいのかで論点が異なってくる。
コーヒー牛乳に関してはコーヒーは風味として位置づけられ、なんなら牛乳も存在感が薄くなり、コーヒー牛乳という味が確立しているのだ。
というわけでロイヤルミルクティーもミルクでもティーでもない、二つが混ざったものにしかできない味を目指すべきなのではないか。
とおもっていたらタピオカがあっさり仲介し、新たな地位を確立しつつある。
いずれにせよ一度試していただきたいのが両者の純粋なぶつかり合いとも言えるこの私流のミルクティーである。
暖められた牛乳が作る膜のせいなのか、ティーバッグが沈まないのだがこの相容れない感じがまた良い。
お互いなかなか譲らないのである。
私は猫舌なので長期戦に持ち込まれることが多い。
真っ白だった牛乳が次第に茶葉に心を許していくさまは、透明な水に圧倒的に茶葉が優勢に侵略していくものとは何か違うものがある。
いかがでしょう。
なんかこういう、エピソード記憶レストランみたいのやってみたいですね。
メニューにあるものに関して頼むときにそれに関するエピソードを言わなきゃいけない、みたいな。
無意識にやってるときもあるな。
ちなみに好き嫌いのない人間としては抽象的な「好きな食べ物はなんですか」という質問がめちゃくちゃ難しいのですが、おまけとしてジャンル別に並べてみようかな。
ブリヤ・サヴァランもこれくらいの答案を見て私を判断してほしいものです。
- おつまみ
日本酒なら、いぶりがっこクリームチーズ、白子ポン酢、なめろう
洋酒ならレバー、パテなど原形をとどめていないシャルキュトリ系とヤギとか臭いチーズが好き。
- お酒
ワイン/ドイツとオーストリアらへんのさっぱり甘め
カクテル/圧倒的モヒートだったが、ジンが来ている。XYZとかレモンジュース系のショートカクテルが好き
日本酒/金沢の!
ビール/IPAと見せかけて6パーセント以上あるやつ
- パン
クロワッサン、キッシュ、くるみパン、メロンパン
好きなパン屋さんはHOKUOです。北欧のパンより美味しいと思う。
- ケーキ
レモンタルト、ロールケーキ、ショートケーキ
でもレモン以外の柑橘系が乗ってるケーキは好きじゃない!
- 甲殻類と貝類
ダントツで牡蠣
あわよくば牡蠣で当たって死にたい。泡系のワインと合わせると美味しいカクテルになる。オイスターガズム。
- 麺類
汁ありなら鶏そばなどスープ透き通ってる系
うどんは釜玉!
- 調理器具
オーブントースター、ガスバーナー、ブレンダー
熱いものをアツアツで食べたいので、全身を火傷しながらグラタンとか食べます。
目の前で何かが溶けるのを目の当たりにするのが好きなのでバーナー。
ブレンダー万能なのでほしいです。
- キーワード
炙り、炭、串、揚げ、照り
二つ以上組み合わせるのも楽しい
よだれ鶏、瀬戸内レモン、バビ・グリン
- お土産
- 粉もの
マントウ、ナン、たこ焼き、ホットケーキ
- 臭い野菜
ニラ、春菊、パクチー
- 辛い料理
タイ料理、韓国料理、四川料理
一見わかりづらいのにあとからじわじわくる、理不尽な辛さが好き
山椒とか痺れ系も好き
- ホルモン
マルチョウ、トリッパ、レバー
- ごはんにかけるもの
味道楽(味道楽って何?)、塩昆布、しらす、ゆかり
- 食堂
オムライス、カツカレー
どうせなら千カロリーくらいぶつけてきてほしい。
- 魚
鰻、穴子、鯛
甘いタレを絡めながらご飯と食べるのが好き
- じゃがいも
フライドポテト、マッシュドポテト、ポテトサラダ、コロッケ
- 野菜
なす、ズッキーニ、アボカド、大根、さつまいも
- 揚げ物
天ぷら、かきあげ、串揚げ
- カレー
バターチキンカレー、グリーンカレーのエビが入ってるやつ
ココナッツミルク強めで!
- ○○ライス
ハヤシライス、海南チキンライス、オムライス
- スープ
豚汁、トムヤムクン、クラムチャウダー、オニオンスープ、スンドゥブ
- 煮
角煮、しぐれ煮、里芋
- フルーツ
みかんなど柑橘系全般、マンゴー、ざくろ、巨峰、パッションフルーツ、桃、パイナップル
好きなものを可視化するの、結構楽しくないですか。
食べものを語るなら、こうやってとことん話したい。
だから「地球最後の日に何が食べたい?」という質問が嫌いなんです。
一見、地球が終わるときに食べもののことしか考えてない人が考えた質問と見せかけてそうでもない。
「地球が終わること」と「食べもの」、両方に配慮が足りていない。
こういう質問をしてくる人はだいたい注文するもの決めるのも遅い。
どっちつかずなんですよ。
地球の終わり方にもいろいろあるじゃん、隕石ぶつかって一瞬で死ねるならまだしも、終わりそうな気配がしたら滅ぶ前に逃げるでしょ。
滅ぶ時期が分かっているなら(日本人なら)それなりの脱出に設備投資して、当分はそれなりのご飯食べられるようになってるでしょ。
え、そうでもないのかな、まあとりあえず私は地球滅亡の日にも食べもののことしか考えてないと思います。
でもこういうこと言うと「わかってない」とか言われる。
まあまあ言いたいことはなんとなくわかるけど、そんな話をするくらいなら、今空いているグラスを次なにで満たすかとか、残ってる最後のひとくち誰が食べるのかとかを考えましょうよ。
私は地球が滅びようが車に跳ねられようが、「いつ死んでもよくはないけど、それでも万が一のときに後悔しないよう好きなものをちゃんと定期的に摂取する」派です。
でも絶対、走馬灯は食べものばっかりだろうなぁ。
走馬灯、馬、馬刺し、とか考えちゃうもん。
いよいよ春ですね!
「三月は一年を通して最もヤバい時期である、ヤバさは人それぞれ」という三月がめでたいやら悲しいやらで、終わろうとしていますがみなさんいかがお過ごしでしょうか。
私も例に漏れずなかなかにやばい三月でした。
食べものだけに絞っても、
オーブントースターでサムギョプサル作ろうとして火事になりかけたり、
友達の家に泊まったときに「ヴィーガンだから鼠は殺さず捕まえて逃がす」という衝撃発言を聞いたり、
1.5キロの豚バラブロックで角煮を作ったのに友達にドタキャンされたり。
食べものの恨みは怖いですよ!
以下参考文献や参考記事です。
↑上で出てきた偉人。最初の箇条書きの部分だけでも読むべき
↑料理を物質単位で分解。人間の根源的欲求みたいなのに触れられる
↑本から湯気が立ちそうな圧倒的描写。オムレツの詩とか泣いちゃう
↑文化人類学的にタブーを語るうえで、三大欲求の中でも性と食なんだよね。そして二つは密接に関わりあう。「かいじゅうたちのいるところ」出てきます
↑私が中学のとき始めて買った、一見アダルト漫画らしからぬ、そういう漫画。食べものをセクシュアライズするうえで「食戟のソーマ」はアウトと感じた人も、これは読んでみるべし
↑漫画だけでなく文もうまいなんて陳腐な謳い文句では描写しきれない。鎌倉に住んで、こういう感覚が研ぎ澄まされた生活をしてみたい
↑『鮨』が良いとの噂なので、これから読みます
↑言語学好きな人で、グルメじゃない人に会ったことがないというのが自分も含め私のステレオタイプなのですが、たぶん合ってます
↑いわゆるデートには飲食がつきもので、食前と食後は相互に作用しあう。デートの極意がテーマの大前提だけれど、食べものの描写にも手を抜いてなくて好き!
↑最果タヒさんの普段の詩は難しいのですが、error403さんと合わさってエッセイだと、間接的にこの方の普段の描写力の凄さも分かるような気がしました
私はいわゆるグルメ漫画みたいなのはあんまり好きになれなくて、逆にグルメがテーマではない漫画の食べものの描写に惹かれます。
『ワンピース』のサンジのエピソードや定期的な大宴会、ルフィの食べる姿はもちろん、『ハチミツとクローバー』のあゆとはぐちゃんが作る意味不明な料理やムンクの月の描写から月見うどんへの連想、『ブラックジャック』のピノコが作るケシズミみたいな卵焼き、『バガボンド』で武蔵が吊るされながら食べるぐちゃぐちゃのおにぎりとか。
どれも王道中の王道漫画ですが、逆にこれらが王道なのは食べもの=生きる糧としての存在を甘く見ていないから、それが結果的に全体的な細部へのこだわり、そして漫画そのものの面白さに結実しているんではないかと思います。
最近では『ゴールデンカムイ』が最高ですね。
「食事」が狩猟から始まっちゃう血生臭さと、食べる表情が好き。
排泄とか廃棄物とか、食べものに付随する汚いとされてる部分もあれだけ書ききれるのはすごい。
下品とか上品とかなんだろう、ってなります。
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↑早速今日も神を殺しました。
一人暮らしのレシピは以下の偉人の方々を参考にさせていただいてます。
誰もここまで読んでないと思うけど、もしいたらありがとうございます!今度飲みに行きましょう!
金目鯛の煮付け、骨までしゃぶりてぇー!